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ジャーナリスト 報道関係者 新聞記者の「露悪趣味」について考える 034/360

ごきげんよう、コーチバタコです。
  実態は・・コーチを目指してお勉強ちう。
目指してるうちから「心意気だけは」プロのつもりで名乗ってみてます。

*******今日の記事のまとめ******************************************************
ためらい や 変なプライド のなかった幼い頃に「しょうらい、さっかになる」と、「書く」ことを仕事にしたいと宣言してたバタコ。

中学生時代に出会った
「ジャーナリストは露悪趣味だ、
社会の恥部や、目をおおいたくなる現実をわざわざ見つめに行くのだから」
というセリフに怖気づき、
新聞社や出版社への就職活動から「逃げて」今に至ります。

でも、結局人生って、何かの理由で「地中深く埋め込んでた」
「ほんとはやりたかったこと」をやることになるのかも

*******ほら、こうやってガリガリとブログ書いてたりするからね・・********

ジャーナリズムの「露悪趣味」について

最近考えていたのですが
新聞やTVというのは
「イヤな話、見たくないコト、耳を覆うような情報」
を伝える性質がありますね。

バタコは、遠い遠い昔、多分中学生時代に
国語教師のおすすめ → 親友が読んでイチオシ
という経路をたどって

女性ジャーナリストとして活躍した
千葉敦子さんの「寄りかかっては生きられない」
1983年初出 → 文庫化1989年
という本を読みました。

内容説明
男が本当に幸福でなければ女は幸福になれず、女が不幸な状態に置かれ続ける限り男も真に幸福になれません。たとえ男が従順な女中役を務めてきた女を失い、女が三食昼寝つきの安楽さを失うとしても、男女の新しい関係がもっと人間らしく愛に満ち、そして自由なものであるためにどうあったらいいかを考えてみたい。

目次
第1章 「気くばり」より大切なもの
第2章 草柳流ソフト女性観
第3章 「妻たちの思秋期」への道
第4章 新しい時代の流れ
第5章 男と女はこれから
第6章 新しい男と女のための読みもの
                      出典:紀伊国屋書店ページ

千葉さんご自身が1987年に乳がんでなくなっており
もう、この本を読んだ人は世の中に少なくなってる?と思うのですが

内容は、タイトルの通り
「(外国人の)彼氏は居るけど
養ってもらってるわけではない。
女だからと言って
妻の地位に落ち着き
夫の収入に頼って生きていくなんて私はイヤだ
女性たちよ、自立しよう!」
という、なんとも時代を先どった本でした。

当時のバタコは
父公務員、母専業主婦、自分は親にねだって私立校に通ってる
という、安泰?な身分で
  (当然、親友も全く同じ立場。
  親友に至ってはお父さんがお医者さんで
  多分ですが、我が家よりも裕福なご家庭でした。)

この本から強く影響を受け
教職免許を取り
女性が生涯働けることを重視した職場 (一般企業) を選び
産休を2度とって
でも、途中で意を決して職員採用試験に臨み
現在は教師になっている立派な親友とは違い~~~

バタコは全く、この本について行けませんでした。
もう昔のことで詳しくは忘れてしまいましたが
多分、一応、全部読んだけれども
読みながら不快な気分になったんだと思います。

「正論だな」とは思いつつ
まったく、その後の人生計画や意思決定の際に、
この本からの薫陶・影響を受けることなく
今まで、「特に何も達成してない」人生を歩んできました。

・・いや、本当は心のどこかにトゲのように刺さってたんですけどね
だって、今でもありあり思い出せるくらいですから・・

能力的には明らかに
「国語、社会、英語の成績が良くて
理科、数学はサッパリ」
な自分としては
「ジャーナリスト・出版社勤務、希望」というのは
口に出すには恥ずかしい気もしつつも
あこがれの職業の一つだったのだとは思います。

ただ、マスコミや出版社は花形の職場なので全く手が届きませんでした。

  ↑↑ 就職活動をまともにする気がなく
    また、就職活動するにあたって
    アピールするに足るだけの充実した学生生活も送らなかったため

夢のまた夢に終わりました。

ただ、その時にも言い訳のように心に残っていたのが
千葉敦子さんがおっしゃっていたコトバ

「ジャーナリストは、
露悪趣味なところがある。
わざわざ、社会の歪み、不正、見たくもない恥部に
切り込んでいって、記事にする仕事だから」

英語でsour grapes酸っぱいブドウと言いますが

イソップ童話で、身長より高いところになっているブドウを
頑張っていろいろ工夫して取ろうとしたけれど
結局、取れずに断念したキツネが、捨て台詞に
「どうせ、あのブドウは酸っぱいんだ。
取る価値なんてなかった」
と自分に言い聞かせて去っていく、というエピソードから

要するに「負け惜しみ」というような意味合いです。

バタコも、
本当はジャーナリストになりたかったんだけれども
基本的な、勇気がなかった・必要な努力を怠った
という現実を見つめるよりも
「ジャーナリズムの露悪趣味的な部分になじめたかどうかわからない」
と自分に言い聞かせてた部分もあったと思います。


最近、またこの「露悪趣味」を思い出していました。

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関連記事:イギリスの報道写真は「えげつない」と感じる件

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露悪趣味の反対?真・善・美

中学生バタコにとっては

真・善・美  なものにかかわって生きていきたい

という、まだ当時うまく言葉にできていない願望があり

これに照らしてみると、ジャーナリストには向かないかな~と思いました。

ただ、今になってこうやって文字に書いてみると
真・善・美
という言葉のうち「真」という部分については
まさに「真実を暴く」という新聞報道の性格と
ぴったり一致してるじゃアーりませんか。

なんで当時、気が付かなかったんでしょ。

やっぱり、考えてることをアウトプットするって
ホントーに大切ですね・・

そしてまた、今
毎日更新を目指してnoteに投稿してるのですが
ふと気が付くと、新聞記事の引用や
イギリスの報道で見聞きする エグイ話、醜い世界、などについて
結構な頻度で書いている自分・・

あの頃の「真・善・美」を信じてた自分は
どこにいっちゃったんだろう?


人生のステージ毎 (ごと) に 「たとえ露悪趣味でも世間を見たい」時期と、「内向的に、世間の荒波や汚いものに背を向けたい」時期が、入れ替わり訪れるのかもしれない


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(言い訳) 
ところで、言い訳ですが
noteの記事を毎日更新する、
というのはほぼ思い付き・勢いで始めたことで
一応、1年くらいはやろうかな、と期限を付けましたが
ある時点で、なにか「合わない」ものを感じたら
きっと辞めてしまうと思います・・

この記事で、バタコが毎日更新を始める
一番のきっかけになったMIYUさんのことを書いていますが
そのMIYUさんですら

「いつか、こうやって毎日書くことに
『違和感』を覚える日が来たら
その時はスパッと辞めます」

とおっしゃっています。
やっぱり、さすが!

わたしの、飽きたことは続かない、という点は変わらないと思う。
これまでは、飽きる前に今日のような体調というだけでやめてしまって後悔したり、もしくはその前に始めることすらできないこともあったのが自分で悔しかったのだ。だから、その向こう側を見てみたくなってしまったのだ。自分にとっての大きな課題で、ドキドキのチャレンジだった。


だから、ここで、わたしは根性があるとか、継続力があるのだということを誰かに証明したいという気持ちでは書いていない。そんなものはこれっぽっちもない。


そのために書くのは地獄だし、わたしがひとつのことを長く続けられたから信用できる、という理由で近しくなろうという人とは一緒にいられないとも思う。それを期待されても苦しいだけだ・・・その期待に応えようという気持ちで書くようになったらこのチャレンジは終わりだと思う。


好奇心の続く限り、三年のゴール目指してこれまでのように続けていく。
けれど、満足してしまった、意味がない、嫌だ、誰か他の人のために、と思ったらやめる勇気も必要だということを自分にも常々確認をとっている。その恥や罪悪感を超えることをちゃんと覚悟しろと、ずっと思っている。確認を取るというより、わかってんだろうな・・!と迫っている。


と言いつつも、今日も書く!!        出典:MIYUさん記事

バタコも、こういう「感覚」って大事だと思ってます。
たとえ、宣言しても、約束しても
(できないかもしれないことはあまり約束しない方が
イイとは思いますけど)
「違うな」
感じる時が来たら、
それは何かの合図であって
真摯に耳を傾け、従うべきだと思うのです。

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関連記事:
身体を壊してまで、「家族のため」ツラい仕事をするイギリスのお父さんたちについて

関連記事:言葉では表せない、あらわすべきでないものもある 
     例えば「人生の目的」「恋人のどこが好きなのか」


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話がそれましたが、
「『なんとなく』という自分の感覚に常に耳を澄ませ
大事にする、無視しない、放置しない」
という観点から言っても面白いと思うのですが

「ジャーナリズムは露悪趣味、だからちょっと、避けたい」
という感覚については、時期によって
バタコの人生で


■すごく感じる!イヤだ、新聞なんて!

という時期と

■新聞が読みたい。世の中のこと知りたい

という時期とが両方ありました。

そして、その都度その声に従ってきたんだと思います。
で、現在は「新聞が読みたい」時期の真っ最中。

いま、ぱっと思い出せる一番の
「報道、みたくない、ききたくない」
時期は、2011年3月11日の震災のあとでした。

次回に続く・・

アナタは、ニュースは欠かさず見る派?情報デトックス派?

ではまた明日!




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関連記事:フェイクニュース イギリス英語とアメリカ英語の差

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