おススメに選ばれないコロッケ

庶民派と見せて実は高度なコロッケ 優まさるのマニフェスト論 207/360


マニフェスト:さういふコロッケにわたしはなりたい

               ※宮沢賢治「雨ニモマケズ」より
優まさるさんの
「コロッケ定食賛歌
と見せて実は
「僕はコロッケ定食マニフェスト
(と言う風に、私は読みました)

コチラの記事。

これはきっと、ふみぐら社さんとか

ふみぐら社さんの記事に引用されているマリナ油森さんの記事とか
マリナさん記事に引用されている矢御あやせさんの記事とか
さらにマリナさん記事に引用されてる城戸圭一郎さんのおススメ止めたら?提言とか

そんな皆様へのanswer noteになっているのだと私は感じました。


「おススメには選ばれないかもしれないが
自分はコロッケ定食のような文章を書いていきたい」


粋 (いき) です。実に粋です。
げに奥ゆかしきは
声高に語らずして本音をうたに託すひと。


脱線:いろは歌に込められた暗号

「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
の47文字の作者は、柿本人麻呂 (かきのもとのひとまろ) で
「とか (咎) なくてし (死) す」という
無罪で刑死するわが身の自己主張を込めた、
という説を、中学時代の国語教師に教わりました。
いま、どれくらいのヒトが語り継いでるんだろう?

ググってみるとwikiでは柿本人麻呂説はやや「シカト」気味に実にさらっと紹介されているのみですね。

コチラのサイトによると、かなり強力な反論があるそうです。

コチラのnote記事はもっとイケイケどんどん
なんとキリスト教的解釈もできる、と。

うん、コレは陰謀論の亜種なのかしら。楽しいけど。




「作品」発表後の解釈は、作者のコントロール外

解釈は、言ったもん勝ち。(信ぴょう性とはまた別)
いろは歌についての諸説の「真偽」はバタコにはわかりかねますが

「コロッケ定食」記事については、

一旦発表すると、作品の解釈は鑑賞者に委ねられるので
           ※バタコは作品とはそういうものだと思っています

(僭越ながら)
書き手の優まさるさんがどのようなお気持ちで書かれたは「別として」

既に
自分の解釈でしか読めなくなっているワタクシ・・(危険)

トップ画像にあるように、文中下線を引いた
「おすすめメニューなんかに載るはずもない」
けれども「コロッケ定食のような文章を書いて」いたい、
を読んだところで、勝手に確信。もう元には戻れない。


カッコイイとは何か

ところで
バタコ自身は数日前に書いたように
こういう「粋な」文章は、書けません。
       (「今はまだ」書けません、なのか
       「未来永劫」書けません、なのかどうかについては
        一応保留としておきます・・
        書けるようになってみたいですね、単純に。)

noteで一部公開されている
平野啓一郎『「カッコいい」とは何か』をバタコは拝読しました。
ちなみにバタコの「かっこいいとは何か」の答えは
読む前から決まっていたのですが
それはまた別の機会に譲ることにしまして

平野さんのご著書を読んで
正直、よくわからないなぁと、放置していたのですが

わからない問題については
放棄するのではなく、
「いつか何かのきっかけに分かるかもしれないと熟成させておく」
ことにしてます。
どうでもいい問題は忘れますが、自分にとって意味のある課題は
時間をかけて考えればいいと思います

今これを書いていて
「粋」はカッコイイのサブカテゴリだろうかと思い当たりました。
「そもそも粋とは」みたいな定義はよくわからないのですが
バタコがここで使っている意味は

「自分にはない技術を持っていて
ステキだ、憧れる。
いつかはそんな高みに行ってみたい、
行けるかわからないけれど」

みたいな感覚です。
奥ゆかしさ=表面的にはパッとわからない奥深さが感知され、もっと詳しく知りたいと思わせられる
あたりが「粋」の必須条件?


コロッケを作るのは手間がかかる

ちなみに料理をする側の意見として
コロッケは工程数が多く、しかもどれも「地味にめんどくさい」
●破裂しないように揚げる、とか。
●卵液って余ったら使いようがないんだよね、とか。
●芯を残さず芋をゆで、冷めないうちになめらかにつぶす、とか。
ハンバーグなら作れます・・


と、ここまで読み解いてくると
そうか!そうですよね。

大衆受けして、
高級感や「一発芸的な目立ち方」はしないけど
実は手間暇かかっている高度な技 = コロッケ
それが、優まさるさんの作品群ではないでしょうか。

作品は一見、馴染みやすくスッと読ませるけれど
かなりの手練手管を秘めている
そんな書き手。

「僕はコロッケでありたい」と
大変腰の低いことをおっしゃりながら
スキルが無ければマネのできないポジション取り。

本記事のタイトル通り
「庶民派と見せかけて、実は高度なコロッケ」
(腰の低さは人となり)

芸術作品ですね。

ごちそうさまでした。









PS 嶋津亮太さんのようにはとても書けませんが
論xRONマガジンにインスパイアされました。



最後まで読んでいただいてありがとうございます!