まだの方は是非いちど 私は二度と行きません「知覧特攻平和会館」
ごきげんよう、観世 (かんぜ) バタコです。
バタコの出身地・鹿児島県のいなか町、知覧 (ちらん) に
「特攻平和会館」というミュージアムがあります。
本日のまとめ:バタコはもう2度と行かない予定ですが、*********************
まだの方は機会があればぜひ訪問してみてください。
「知覧特攻平和会館」*********************************************************
ご存知の通り
KAMIKAZEの名で世界に知られる、元祖・自爆テロ作戦を請け負った
10代~20代のパイロットたちが飛び立った
簡素で小規模な飛行場や
出撃を待つ兵士が寝起きした兵舎を記念したもので
二度と帰らぬと知りつつ見送るひとびとの写真や手記
兵士が家族に送った手紙や写真などが展示されています。
小学校高学年もしくは中学生時代から
「学校遠足・社会科見学」などでくまなく見てまわりました。
展示品も間近で何度も見ました。
母の実家も近いので、通算5回は行ってるかと。
定番ですが「きけ、わだつみの声」も読みました。
※ある夜、ふと読みだしたら止まらず
大泣きしてから眠ったら翌朝「お岩さん」の顔になってて
でも直し方を知らないから
強気でそのまま学校に行った思い出アリ・・
最後に行ったのは23歳頃のこと
他府県に住む親戚が遊びに来たとき
両親が計画した観光ドライブにお供して
「定番だからね」くらいの軽い気持ちで立ち寄りました
場内に入ってすぐ
見覚えのある「カメラに向かいにっこり笑う若い兵士の白黒写真」
その兵士が「自分より年下だった」ことにふと思いが至った瞬間
猛烈に涙がこみあげてきて、これはムリだと
すぐに引き返しました。
(みんなが出てくるで外で待っていました)
もう、2度とここには来られない、と思いました。
***
人は年を取ると涙もろくなるんでしょうか
あるいは年齢を重ねて面 (ツラ) の皮が厚くなるのか
一般論はわかりませんが、自分の場合
「ショックな作品・場所」は数度で限界が来るようです。
前回・前々回の記憶とともに感情が幾重にも膨れ上がりtoo much
野坂昭如 (のさかあきゆき) 原作アニメ「火垂(ほた)るの墓」も
同じく「教育目的」で小学校時代から通算3-4回見たところで
「もうゼッタイ見ない映画」リストに入れ封印しました。
国語や歴史や道徳の授業、校外学習、映画などを通して
戦争を「知識」として伝授してくれた日本の教育システムには
感謝しています。
※国語は「一つの花」小4
光村図書「水門で」中1 が記憶に残っています。
←作者フィリパ・ピアスさんは不朽の名作
「トムは真夜中の庭で」を書いたイギリスの作家
※「水門で」はこの短編集に収録されてるそう
小学校の図書館には「はだしのゲン」があって
「あの日」爆撃の後、全身やけどを負ったうえに
建物から飛び散ったガラス片が表皮貫通し
手足を動かすたびに「じゃりじゃり」音をさせながら
ゾンビのように歩いていた被爆者の描写を読んで
世界がぐるりと回りだしたので、そっと本棚に戻しました。
好奇心がつよいがために「知りたい」と一度は全開で吸収するけど
割とすぐに限界が来るタイプの人間なんでしょう。
特攻平和会館も火垂るの墓もはだしのゲンも
忘れることはないと思います。
でも、生きている間に再訪・再読・再視聴することはないかな…
「高校の修学旅行に参加できなくて
アウシュビッツが見られなかった、いつか必ず行きたい」
というはつらつとした16歳の話を聞きながら
バタコは、よく刈り込まれた生垣のある知覧の通りを思い出していました
多分、アウシュビッツも、行かないと思います。
広島の原爆資料館も、行き (け) ないかな、と (今のところ) 思っています。
いずれも一度も行ったことがなくて、この中で知覧が距離・心理的に近い、そんなアナタは、よかったら是非、知覧に足を延ばしてみてください。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!