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そうせよと教わったことはできないが


一月某日

大学生の友達と遊んでたら「ヤバ、今日までの課題あんの思い出した」って言い出した。
課題、懐かしい。自分の課題じゃない課題はちょっとやりたい。てことで一緒に解かせてもらった。
その中にこんな問題があった。

問:「社会的手抜き」の意味として最も適切なものを、次の中からひとつ選べ。

答:一人で作業しているときに比べて、集団で作業しているときに生じる、個人の努力の減少のこと。

つまり、「こんだけようけ人おるし、まぁちょっとサボってもイケるやろ」ってこと。それを「個人の努力の減少」って大真面目に呼んでるらしい。
そりゃ個人の努力は確かに減少してるけど、いやでも個人の努力の減少て、そんな仰々しいもんちゃうやろ、その現象名前ついてるんやっていう。

「社会的手抜き」は、でも、当の本人は等しく全力を出してるつもりで、あくまで無意識にサボってるってところが肝らしい。
確かにな、いまの仕事とか、ウチがちょっとがんばったとて別に給料上がるわけでも、誰かの仕事が減る訳でもないし、まぁやるべきことやっときゃ文句ないやろ。
あ、これがまさに「社会的手抜き」ってこと?なるほどねぇ、覚えました。


一月某日

いつも通りラジオを聞いてたら「お金との付き合い方」というテーマで、リスナーとDJが喋っていた。
二十歳の女の子が「毎月予算を立てて、何にいくら使うか決めて、バイトをがんばって、計画的に使っています!月々の積み立て貯金もしてます!」と言っていた。お手本のような計画性を披露されており、立派だった。素晴らしかった。

反して、私は計画性がない。まったく、ぜんっぜん、ない。
母校の教育方針に「予算生活の実行者たれ」という、学校としては極めて現実的な教育方針があった。
六年間まじめに学んだ私は、果たして、予算生活の実行者に全くなっていない。
そうせよと教わったことは、大抵そう出来ないから教わっているわけで、簡単に出来たら苦労しない。
そんななので、ある月は給料がマイナス60万円だった。(収支がではなく給料が)
それはもう、のっぴきならない事情にのっぴきならない事情が重なって、計画も何もあったもんではなかった。
給料がマイナス60万円になることも折り込んで計画を立てよということですか?
計画的に生きてりゃまずそんなことにはならない?
いやいや、1ヶ月、1年、何事もなく計画通りに日々が過ぎていくなんて保証がどこにあるんだ。
昨日思ってたような今日じゃないことばかりだし、どころか、さっき思ってたような今じゃないよ。

なのでこうして、計画通りではない日々を楽しく過ごし、それを日記にしているというわけです。


一月某日

週末、地元に帰っていた。
友達と新大阪駅をうろついていたら、ドトール前にソフトクリームランプがあった。ちょうど551蓬莱のはす向かい。このソフトクリームランプは、年がら年中551の肉まんを眺めているというわけ。
ドトールのソフトクリームは食べず、551蓬莱の肉まんを買いました。せっかちな大阪人がこれだけはアホほど並んでるだけのことはあって、やっぱり美味しいんですよね、551の豚まん。
日曜の夕方に私の前に現れてくれたのに、いつも食べないでいてごめんよ、ソフトクリーム。
でもありがとう、おかげでこうして日記を書けました。

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