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大切にしてくれない人と離別する勇気

私が卑怯だと思っている行為に「◯◯さんを紹介して」とか「◯◯さんに頼んでみて」というものがある。見どころのある青年を力を持った老人が見初めて仕事を与えるなんてのは希望のある話だから、どんどんやって欲しい。だが、これらのケースは、往往にして、大したことのない年上の人が逆らえない立場の年少者にその知人の有名人なりコネなりを自分の利益のためだけに売れと頼む夢も希望もない事案がほとんどだ。

私は仕事柄、様々な人に会うので、出版社を紹介してくれだとか、あの有名人を紹介してくれだとか頼まれることが多い。

こういった人たちにろくな奴らはいない。

出版社を紹介してくれと頼んできた人々は、誰一人として文章を書いていないのである。彼らは出版社と巡り会えさえすれば、自分も本が出せると思い込んでいる。そんな奴らを紹介したら最後、築き上げてきた私の信頼は崩れ去るだろう。それでも、彼らは私に紹介しろと食い下がる。

なぜなら、私のことなんかどうでもいいからだ。

自分を一方的に利用しようとしてくる奴が自分を大切にしてくれるわけがないのだ。逆らいがたい年下の子に全てのリスクを背負わせ、自分の利益のためだけにたかる卑劣な行為だ。

「紹介」という言葉の響きは軽い。卑劣な響きを含む訳でもないし言うだけなら簡単に言うことができる。言う側のリスクは限りなく少ない。

ただ、この行為の実態は「人脈カツアゲ」である。私以外にも多くの若者が断りづらい状況下で判断能力を奪われ、この人脈カツアゲの被害者となっている。断る心理的負荷も無視できないものだけれど、断りきれなかった若者の傷もまた大きい。年少者の断り難さに付け入るこの人脈カツアゲを許してはいけない。

一見年上ですごい人に見えたとしても、そんなことをして年下にたかるような奴がこれから大した人物になる見込みもなければ、失いがたい知人であるはずもないので頼まれただけで縁を切ってもいいくらいだ。

本来、人同士を引き合わせるのは面白いことである。特別大事な友達と特別大事な友達を引き合わせて未知の化学反応を起こす楽しさは人間関係を発展させる上での一つの醍醐味だ。

しかし、双方に利益がある場合でないと好ましくない。人脈カツアゲの亜種で「飲みたいって言ってる子がいるから飲んであげて!」というお節介もある。一見、親切なようだが、実際お前の時間で私の顔を立てさせろということなので無益だ。私のファンだから飲み会してあげてと頼まれて親切心で行ったら、実際は私の知人のファンだった上に年上だからという理由でその場の飲み代を私と紹介者である知人で割ることを勝手に決められた時には、またつまらぬものを切ってしまったと思った。せめて一杯飲むごとに200円のバックが欲しい。場末のメイド喫茶でさえ、そういうルールでまわっている。

私は、他人の金で格好つけることが世界一ダサいと思っている。他人を利用して格好つけようとするのはその次にダサい。

作家になりたいから出版社を紹介してくれと頼んできた人たちは、本を出すことが作家だと思っている。生涯一冊も本を出せなくても、門前払いにされても泥臭くても文章を書き続けて果敢に挑む人の方がよほど立派に作家だと思う。

どうしても、他人から得られる利益を享受したいのであれば、日頃から不断の努力で他人に恩を売り続けることだ。

離別するのは明確に面倒だなあと感じる人たちばかりではない。

一度尊敬した人だって離れなければいけないことがくる。

私は、昨年、高校生の時からずっと尊敬していた大好きだった女性に80万円を横領された。横領とは別の私への借金の返済もまだなのに、目の前でサングラスを買われ、部屋はブランドの服で溢れていた。次々と約束を破られ、欺かれ、時には逆ギレされても、それでも、嫌いになれなかった。半年ほど経ってからようやく関わらないという選択をした。気付くと尊敬していたはずの人はすごく小さくなっていて、いつの間にか私の方がずっと大人になっていた。私はたくさん愛していたけれど、彼女は私を利用することしかできない人間になっていたから。愛してくれない人間を愛することはできないし、愛す必要もない。すごく楽しい時間を長く過ごしたから、その全てを否定することはしないけれど、少しずつ少しずつ彼女という人間を忘れて行こうと思う。

恋愛においても、同じことが言えると思う。自分を大切にしてくれない人間との間に人間関係は築けない。対等な人間の関係は常にギブアンドテイクであるべきだから。人間の愛は相思相愛であって初めて意味を持つから、ポジティブに捉えるならば、自分を好きになってくれなかった人に執着する意味はない。愛してくれない人を手に入れられないことは別に人生において損ではないからだ。尽くしてばかりいた人だと今までかけた労力を惜しみ、愛しているか否かを問わず執着してしまう気持ちもわかるが、ギャンブルと一緒である。どれだけ注ぎ込んでいたとしても今が一番傷の浅い時なのだ。

人は良くも悪くも変わっていく。少しずつ変わっていく誰かを毎日改めて好きになって好きを更新していかなければならない。五年前に好きだったといま好きなのは全く別物である。だから、誰かを好きでなくなったと認めることを恐れなくていい。でも、好きじゃなかった誰かを好きになったと認めることも恐れなくていい。移り変わる日々の中で、家族でも友達でも恋人でもお互いを尊重できる人間関係を自由に選び取って行けばいい。一番かけがえのない人間は自分だということだけは忘れないで。

どんなに好きでも大切にしてくれない人からは絶対に離れるべきなのだ。


#エッセイ #コラム #恋愛 #人間関係 #友達 #仕事 #cakesコンテスト

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篠原かをり

ミステリーハンター。慶應義塾大学政策・メディア研究科在籍。著者『恋する昆虫図鑑 ムシとヒトの恋愛戦略』文藝春秋、『LIFE 人間が知らない生き方』文響社など。

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コメント1件

わかる〜 「離れて好きでいる」って、可能だと思う。嫌おうとするから、好きだと思う自分を否定してエネルギーがいるんですよね。自分が喜びを覚える距離があって、なんだろ、レンズの距離がぴったり合った感じの位置。自分の気持ちに合わせて、ただ離れる。それで向こうも離れればそれまでだし、同じ距離でお互いピントが合うなら、それはそれで素晴らしいこと。好きでいていいんですよ、ただ、それと自分を傷つけるのは違う。
求める気持ちが強いと、難しいかもしれないけど、、、私も傷ついてる人いると、あなたが幸せでいてくれないと困るって、思います。
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