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年齢の魔物に食い殺されないために

猪年生まれなので2回目の年女になります。
まだまだ若いですが、24歳。手放しで若いかと言えなくなる年に入ってきました。
24歳ごとき若造が「もうババアですよ」と痛々しく自称している訳ではなく、漫画や小説などの創作をみると若いと言えば若いが、めちゃくちゃに若いゾーンから外れた微妙な年として扱われているのでそうなんだろうなと思っています。
私はといえば、作家とタレントとして働いてはいるものの、同僚もいなければ、上司もいない生活です。大学の先輩といえば、博士課程の二人だけ。52歳の教授は何故かたまに金髪になります。後輩の就労ツイートでのみ時の流れを実感する生活です。
若い女の黄金期と言われる18〜22歳でも特にちやほやされた経験がある訳ではないので知らないうちにキャンペーンが始まって、終わっていたという感じです。
かつてクリスマスケーキ理論というものがありました。
女性の結婚市場における需要はクリスマスケーキと同じ24が最高で25になると半減というものです。
今は年越しそば理論と言われているみたいです。
これらの言葉に対する批判は出尽くしている上に今回話したい内容ではないので触れません。

本当に同級生が結婚し始めたんですよ。
そして、子供も生まれ始めたんですよ。

一番衝撃だったのは、女子校時代の王子様ポジションの子の結婚でした。いかにも結婚しそう!という訳じゃない子も結婚しはじめたというのは、本当のブームの始まりだからです。
今年はキラキラした属性とは対極のオタクの後輩がUSAを踊れるのをみて、本当に日本中で流行っていることを実感しました。

就職した同級生は今年で就職2年目です。普通に考えれば結婚を考え出しておかしくない年です。
私だけ、前回の猪年から何も変わっていないのです。
球技大会で女子校の王子様ポジションの子に黄色い声援を送ったあの日のまま生きているのです。
社会に出なかった弊害か、時間が経っていることに気付かず、心だけ逆・精神と時の部屋に閉じ込められた悲しきモンスターです。

何度か書いているように私はかなり年下の女に恋愛の可能性を見出す中年を毛嫌いしています。自分のことを棚に上げて女にだけ若さを要求し、若い女と付き合えることだけにプライドを持った愚かな人間だと思っていたのです。そういう人もいるのは事実です。
「男はそんなことないけど、女の人は30超えると結構崩れるじゃん」と40歳の中年男性に言われたことがあります。ぜひ、同じ考えの中年男性と交際していただきたいところです。
しかし、中にはガワは完全にただの中年なのに自分のことを若者だと思い込んでいるモンスターがいることに気付きました。そうなのです。自分がもはや若者でないことに気付けなかった人間の末路がそこにあるのです。

私は気付かぬうちに自らが憎んだモンスターと同じ道を歩いていたのです。

先をゆき、年齢の魔物に成り果てた先輩もいます。私が高校生だった時に大学生のお姉さんだった女性は魅力的な人だったのに、加齢に怯えた結果、年齢偽装して生きています。本人は童顔で女子高生に見えていると信じていますが、普通に29歳です。実年齢で生きていれば、十分綺麗な女性なのに、幼い可愛さから離れる勇気を持たず年齢を偽装しているがため、年々エスター化が進み、自分より年下の男性をお兄ちゃんと呼んで生きています。血縁関係のない男性を兄や弟呼ぶ女性は大抵手に負えないので2019年もできるだけ触れずに生きていきましょう。

他人からの批判を避けるためにおばさんを自称し自嘲的に生きて行くのも違うし、だからと言って自分を若者だと思い込んで生きて行くのも恐ろしい。
真っ当な会社に就職し、適齢期に結婚し、子供を持てば、自分や伴侶の役職や子供の成長を通して客観的な自分の年齢観を更新して行く以外に、ちゃんと歳を取る方法はないのでしょうか。あるはず。あってほしい。就職して結婚して子供を持つのは社会の想定解ではあるけれど、人の数だけ別解もあるはず。 

まだこれから若い女の子から次のステージに足を踏み出す私が考えたところで机上の空論にすぎないけれど、時の流れを自覚しにくいフリーランスの独身で幼稚でもなく、自虐的になることもなく、生きた年月分の輝きを放つ人もいるから必ずその方法はあるはずなのです。

彼らに共通していたのは「過大評価も過小評価もしない」ことです。自分の中の物差しでものの価値を冷静に見極められるのです。
若さを過大評価していると、数字だけを見てその大きな価値を失うことを恐れます。若さの素晴らしさをようやく客観的に理解し始めたところで若さと離れなければいけない時がくるのでその恐ろしさは強烈です。でも、若さは人生のチュートリアルに与えられた、ただのスタートダッシュキャンペーンの過ぎないのです。ここからゲームが始まるだけなのに、スタートダッシュキャンペーンが終わったことを絶望して人生を投げる人がどこにいるでしょうか。
それに若さに執着するという構図がまず若くないので、時間が勝手に進んでしまう以上、潔く執着を捨てることが一番若くある方法です。

反対に過小評価もよくありません。かつては処女の生き血から現在はドモホルンリンクルまで若返りの妙薬を求める人が古今東西溢れかえっているのはやはり若さに価値があるからです。
クリスマスケーキ理論と年越しそば理論はできるだけ遠くに殴り飛ばしてください。
若さを評価する人間に優遇してもらうためだけの若さなんて不良債権にすぎません。もし失ってしまってもやっと手放すことができてラッキーというもの。
若さの一番の価値は結局、分化多能性です。何にでもなれるという可能性です。ただ、可能性というだけなのでまだ引かれる前のくじだから当たりも残っているというだけの話ですが。不可逆な時間の波を泳いで戻ることはできないので方法は二つです。
現状の自分を愛するか、これからの自分の中で一番若い自分が未来の自分のために一肌脱ぐかです。

とはいえ、結婚や立身出世の適齢期に焦る必要はありません。過ぎ行く時を大切に、一つ一つ自分の中に取り込んで、積み上げた日々によって作られたそのままの自分を愛することが大人になることなのだと思います。ひとりひとり違う毎日を送って積み上げる煉瓦が違うなら当然違うものができるのだから、作り上げるものの形は自由です。

来年もそれぞれ一つ残らず良い時を積み上げていきましょう。
それでは、皆様。良いお年を!

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