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誰かの好きなものが世界に溢れますように

私が書くことを好きになったきっかけと世界に誰かの好きなものが増えていきますようにという話

私は書くことが大好きだ
更に言えば、書いたものを人に見てもらえることが大好きだ
人に見せると書いた物がお金になったり、感想を貰えたりすることももちろん大きなメリットなのだけど、承認欲求だとか自己顕示欲だとかとは離れて、私なりの人間と関わりたいという気持ちが一番大きなモチベーションなのだと思う
書くことが好きだという気持ちを明確に自覚したのは小学校2、3年生のことだったと思う
作文ははっきり言って結構苦手でなかなか原稿用紙が埋まらなかったことを覚えている
ある日の作文の課題はクラスの子が一人選ばれて先生の役をする様子について書くというものだった
そのとき書いた作文のタイトルをいまでも覚えている
「荻野先生がやってきた」というものだ
荻野先生こと彼女は昨年めでたく結婚し、今は違う苗字になっている
それだけの時が流れたけれど、私はまだそのときのことを鮮明に覚えている
私はとても人と話すのが苦手な子供だった
今はタレントとしてテレビや講演会に出たりして、すっかり話すのがうまくなった…と言えればいいのだけれど、相変わらず話すのがとても苦手なままテレビや講演会に出ている
不思議なもので社会には色々な形の椅子があった。全くありがたいことである。珍妙な形の椅子に座りながら、中々フィットしたいい椅子があるものだと社会の優しさを噛み締めて生きている
人と話すのが苦手な私は小学校低学年をほとんど人と話さずに過ごし、友達の絵を描くという課題に絶望しながら、ビオトープに住んでいたザリガニの絵を描いて提出した
しかし、この日作文を読んだことで私の人生は途端に輝きだした

私が書いた作文を読み上げると一斉に笑いが起きたのだ

私はこの日初めて人とコミュニケーションが取れたと感じた。みんなが私の書く文章を読んで私を受け入れてくれた感覚があった。友達と毎日笑いあって楽しく過ごせている人から見れば朝には忘れてしまうような出来事だ
でも、私にとっては初めて世界に触れた日だった。今まで話したことがなかった子が面白かったと声をかけてくれた
世界には私を包み込む変な形の椅子があるとわかったのだ

それから私は度々文章を書いた。人に見せるための日記も書いた、将来の自分への手紙も書いた、二次創作の夢小説も書いた、読書感想文も書いた、文芸部の部誌も書いた、webメディアの記事も書いた、書評も書いた

そして今はこうしてエッセイを書いたり、本を執筆したりしている

noteを始めてまた一つ書くことが好きになった
今まで自分の中で悶々と考え続けてきたこと、衝動的に感じたことを文章に起こすことができるようになった
会ったことのない人が感想を伝えてくれることもあった
長いこと連絡を取っていなかった同級生がメッセージをくれることもあった

私は書くことで孤独じゃなくなった。他の人のみならず自分自身と上手く話せるようになった。実は他人と話すこと以上に自分と話すことの方が苦手だったのかもしれない

私は口から出る言葉でうまく伝えることが苦手だったけれど、文字の形でなら何かを伝えられるようになった
書くことでやっと自分の人生が自分の手元に戻ってきたと思う

私は文章を書くことが好きで、その好きなことに救われた
人それぞれ好きなことは様々だと思う
それは音楽かもしれないし、話すことかもしれないし、絵を描くことかもしれないし、踊ることかもしれないし、作品を鑑賞することかもしれないし、仕事をすることかもしれないし、恋をすることかもしれないし、動物と遊ぶことかもしれない
自分の好きなことを大切にしてほしい
好きになることのバリエーションはあらゆる生き物の中で人間がずば抜けていると思う
誰かが好きになるような素晴らしいものは数限りなく地に満ちている
だから、たくさん好きなものと出会っていけばいいと思う
私は今書くことが人生のパートナーだけど、この先もっと増えていくかもしれない
誰かが一つ好きなものを見つけることは夜空に星が一つ増えるように少しずつ世界に光を灯していく
今、私には理解のできないものもたくさんある。でも、誰かが好きなものを大切にすることそのものを愛していこうと思う
君と君の好きなものを大切にね

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