「見返してやる」は目的地までちょうどのガソリン

「見返してやる」は大きな原動力だと思う。

事実、私は「見返してやる」と思うことでたくさんのものを得てきた。小中高と学校の課す課題が苦手だった私はたくさんの教員らに将来何一つできない社会に通用しない人間として扱われてきたし、ブスだからという理由で理不尽な悪意ある言葉を同学年の男性から無数に投げかけられてきて育った。私の心のなかには絶対に許さないリストがあって、誰かが私に安い値札をつけて粗末にするたびにリストに名前を書き加えた。

私は無力な存在で今、言い返したとしてもそいつらの心には一筋の傷もつけることができないから、何年かかったとしても強く幸せになってそいつらが羨むものを全て手に入れて力の限り嘲って惨めで苦しい思いをさせてやることしか考えていなかった。できれば、私が幸せになった時、そいつらが偶然私の活躍する姿を見て、苦々しく思って欲しいと思った。新聞とか、テレビの特に、情熱大陸とかで。それこそ、女性の価値を容姿と決めつけてそれが全てかのように振る舞う男性には同じ価値観のもとでそいつらの価値であるべきはずの財力でマウントを取ってたこ殴りにして尊厳を奪ってやらねば気が晴れないと思っていた。

私は人並みはずれて苦手なことも多いし、勉強もできなければ、容姿も悪いから、とにかく時間をかけてコツコツと努力しなければ、間に合わなくなると思ったから、復讐こそ我が人生とばかりに薄暗い青春を過ごした。

どこの大学にも行けないし、受けるだけ無駄と言われていたこともあったけれど、学歴だけがご自慢の教員らに並ぶような大学に入った。パソコンの画面に合格と表示された時に最初にきたのは「許された」という安心感だった。

6歳で母校に入学して以降、私はずっと厄介者の劣等生で。一回も褒められたことはないし、うまいこと悪人にならずに追い出すことだけを考えられてきた。あの学校では私の存在価値なんて一つもなくて、でも、分別がついた頃にはすでに入学させられていた私にはその世界しかなかったから、生きることが辛くて怖くて苦しくて仕方なかった。期待していた台風が夜のうちに通り過ぎて普通に登校することになっただけで狂ったように泣いて手がつけられなかった。いっそ職員室で首を吊って騒ぎにしてやろうかとも思ったけれど、あの学校のことだからきっとうまいことごまかして、児童の死すらも偽善の道具にするんだろうなと思うとこれより憎たらしいことはないなと思って生きていた。今、死なないために私には大成功を収めて、私に安い値札をつけた人間が地団駄を踏む妄想が必要だった。

大学合格なんて本当に小さな出来事かもしれないけれど、私は初めて人に認められて違う場所にいって生きててもいいんだと思った。そして、許されたと思ったあとに漠然と私も許せるなあと思った。私にされたひとつひとつの行いが正しいとは思わないけれど、どうでもいいことだったなあと思った。

それでも、まだ、同じラインに立っただけだと思い、立身出世への執着はなくならなかった。私にできそうな羨ましがられそうな仕事は文筆業しかないと思った。嫌いなやつに一矢報いることができるくらいかは別として、才能に関係なく、1日2冊本を読んで、5000字以上書いて、得意分野を作れば誰でも生きていけるくらいの収入は得られると思ったから、とにかく続けて、19歳で出版のチャンスをつかんで、20歳で本を出した。それ以来毎年1冊の本を出し続けることができているし、ちょこちょこ執筆の仕事をもらえるようになった。私を馬鹿にしていた教員らが羨ましがるような仕事の数々だった。社会に通用しないと言われていた私にもできる仕事はあったと証明したけれど、だからといって、一矢報いた心地よさがあるわけではなかった。ただ、与えてもらった自分の仕事が幸せで、見えたのは思った以上にたくさんいた私を認めて優しくしてくれる人たちの姿だった。おかしな話だけれど、それまでの私の世界は私自身と私に悪意をもつ何人かの人でできたいたのだ。

もうひとつ私に安い値札をつけたのは、年の近い男性の何人かだった。容姿によって受けた傷はまだ全て書くことができないけれど、いつか全部書けるくらいに消化できる日がくればいいと思う。やられたことも言われたことも思ったことも全部全部書いて、でも大丈夫だったよ!って同じ思いをする女の子を抱きしめたい。

今でもブスと言われることもあるし、綺麗だとか可愛いに入ることは少ないけれど、昔よりは断然よくなった。まだ、ブスでないと言い切る自信はないんだけど、以前より自分の容姿を憎まなくなった。

痩せて、向き合いたくもない安い値札の自分の顔と向き合って化粧の腕をどんどん上達させた。遺伝子検査にパーソナルカラー診断に骨格診断にスポーツジムに補正下着に頼れるものにはなんでも頼った。その結果、去年、面食いだからと振られた彼氏も、高校生の時から私の容姿を蔑んで価値がないといじめた同期も私のことを好きになった。

文字に起こしてみると厨二病の妄想をそのまま実現したような漫画みたいな出来すぎた展開だし、ずっとその光景を妄想し続けてきたはずなのに目の前で起きてみると全然嬉しくないし、達成感もないことに驚いた。私が毎晩うなされるほど苦しむ言葉を投げられたと思っていた人たちは案外なんとも思っていなくて、「ごめんね、でも昔のことは昔のことだよ」みたいな態度で拍子抜けするほどのあっさりしていて、思っていた復讐の果たされた後とは全く違って。これは母校の教員にも言えることなんだけれど、私が敵だと思っているほど相手は敵じゃなくて、私の独り相撲に過ぎなかったのだ。そもそも、一度私に安い値札をつけた人に買ってもらいたいなんて思わないし、心底どうでもいい人たちの評価のために無駄な労力を使ってしまったなあと思った。これまた、どうでもいいことだったなあと。望んでいたようなスカッとする幕引きではなかったけれど、末代まで祟ってやるぞと思っていた憎しみは綺麗に消え失せた。そして、霧が晴れるように最初から私の容姿を蔑んだり、見下したりしないで私のことを一人の人間として扱ってくれる大多数の人の姿が見えるようになった。努力してできた今の容姿を無駄と切り捨てるわけではないし、今後もどんどん自分の好きな容姿にしていきたいとは思うのだけれど、そうでなくても私には最初から価値があったのだ。

人前で笑うことも写真に撮られるのも怖くなくなった。笑った顔が特にブスと言われたり、とりわけひどく映った写真を他に映った女の子と比較されてネタにされたりと、何の気なしにかけられた小さな呪いをひとつひとつ解いた。頼んでもいないのに可愛い順に並べられてそれぞれ値札を貼られることは割とありがちなことでこれから先も何度もあると思う。その上、値札通りに並ばないと勘違いブスだと言われる理不尽はよくあるし、女の子もみんなそれが怖くてなんだかんだ従ってしまって、いつの間にか値札通りの行動をできない女の子に眉をひそめるようになって、それが正しいと勘違いしてしまうことがある。私はどうあがいても前の方の順位に食い込むことはできないし、もうのびしろも少ないと思うんだけど、それでも、自分だけの価値観で自分の容姿を綺麗だと言えるようになった時、全ての呪いが解けるのかもしれない。

私は、復讐心という濁った重い燃料でここまできた。綺麗に舗装された道を順調に歩いてきましたみたいな顔して、その時、死んでしまいそうなくらい苦しかった自分をいなかったことにはしたくないし、確かに私は、人に自慢できないような、その力で目的地についた。長い人生、また復讐心で重たい体を押し上げなければ進めないような坂道に出くわすこともあると思う。でも、復讐心だけで一生やっていけるほど心身は強くできていないし、目的地を見失いやすいから、どこかで迷ってガス欠になると思う。だから、ここから先の道は空っぽになったタンクに違う燃料に入れ替える必要があるのだ。たとえば、応援してくれる人たちの言葉だとか自分で掴んだ価値観だとか楽しさだとか。

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