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社会不適合者に学ぶ耐え難い一日をやり過ごす方法【前編】

前回、私の文章は実用性に乏しいと書きましたが、乏しい中で目指しているものがあります。

それは、人生を丸ごと救うことはできないけれど、耐え難い一日を救う文章を書区ことです。

あと何年あるかわからない人生を見通して光を見つけようともがいても、ただでさえ弱った心では困難です。ただ、一日耐えれば、変わることはたくさんあると思っています。私にもなんだかとても悲しくなって、とめどなく溢れる涙で枕を濡らしながら、ぐずる自分が寝付くのを待つ夜があります。一生こんなに悲しいなら死んでしまいたいと考えてはより眠れなくなるのです。そんな時、人生について考えても希望なんて持てるはずがありません。だから、死にたくなるようなどん底の時に結論付けないで欲しいのです。

溺れた時、人は生きようとして、助かろうともがくことで水を飲んで苦しくなってパニックに陥ってしまいます。だから、溺れたときは「浮いて待て」と言われます。体力を消耗せず、ゆっくり呼吸しながら水面に浮いて助けがくるのを待つのが正しい方法だそうです。

辛い時に関しても同じことが言えると思います。自分の力では太刀打ちできないような辛いことはたくさんおきます。劇的な不幸じゃなくても、自分にとって耐え難いと感じるような出来事は溢れています。どれだけ注意深くして、心を強く持っても避けようがないものです。

なので、私が耐え難い日に参考になると感じた3人+αの身近な人を順番に紹介していきたいと思います。真っ最中の耐え難さを救うものではないけれど、元気な時に読んで、耐え難い夜に思い出して欲しい人たちです。仲の良い後輩、130kgの年下、最愛のヒモ、メイド喫茶の女の子達を紹介する予定です。

私の著作に『サバイブ 強くなければ、生き残れない』という漫画のビジネス書があります。この本は古今東西の様々な生き物から「強さ」とは何かを考えた本です。力が強いことや諦めないことが強さではなく、狙われないことや求めないことも強さの形です。『サバイブ 強くなければ、生き残れない』の人間バージョン試し読みだと思ってください。

全員がいわゆる「社会不適合」と言われそうな変な人たちで出世レースなんかには強くないと思われる人間ばかりです。ただ、人間の強さも動物同様、多様であると考えています。

一人目は、私の仲の良い後輩です。苦手なものはジェットコースター、好きなものはファービーとプリキュアと喫煙、得意なことはアーク溶接です。

彼女の強さは恐れないことです。

攻撃的で強者にも立ち向かうという恐れ知らずさではありません。世の中に対する怯えがないのです。とにかく「胆力」に特化しています。

先日、彼女と二泊三日で韓国へ旅行に行ったのですが、空港で待ち合わせた時に、ハンドバック一つでニコニコしている彼女を見つけました。パスポートと財布、充電器、1日分の着替えといった最低限、日本を出国できる荷物だけを持って成田空港まできたのです。普段は平気で同じ服を二、三日連続で着てる癖に旅行の時だけ余分にまともな服を持っていくような自分の矮小さを恥じました。何も持っていなかったけれど、町田に行くのと変わらない荷物だけで異国に行く勇気で溢れていました。

韓国でも、とにかくその仕上がりの強さには驚かされました。ゲームセンターの両替機の上にあったご自由にお取りください的なキャラメルらしきものを見つけては、口に入れ「美味しい!」と騒ぎ、チムジルバンという岩盤浴のようなものの床に敷かれた白い石のようなものを見ては、舐め「塩だ!」と叫ぶ野生的な仕様です。これだけだと口唇期を脱していないという見方もありますが、他の行動においても恐れがありません。

私たちは韓国語はおろか、英語が殆ど話せないのですが、彼女のおかげで乗り切ることができました。「This one」「Please」「OK?」「カムサハムニダ」だけを手に果敢に会話を試み、何不自由なく過ごしました。

電車でも、現地のおばさんかおばあさんか迷う年齢の人に席を譲り、飴をもらっています。私は言葉の通じる日本でさえ、おばさんかおばあさんか迷う年齢の人に席を譲ることが困難です。

多くの人は、旅行に行く時、なんらかの知見を得たり、そこでしかできない有意義そうに見えることをして元を取らねばならないという気持ちになりますが、彼女は着いたその日にトイザらスに行きます。トイザらスが好きだからです。「私がどれだけかをりさんを好きか分かっていない!」と臆面もなく言うし、韓国だろうが、日本だろうが、夜道だろうが、人の家のお風呂だろうが、好きな歌を歌い、よく踊ります。誰が見てても見てなくても自分がやりたいことをやることに戸惑いや恐れがないのです。自分がやりたいことをやるのは、一見楽なように見えて実は本当に難しいことです。なんだかんだ同調圧力に溢れた世界で、自分が何を求めているのか、何が好きなのか自分だけの価値観で選び取ることさえ難しいのに、他人からの視線や知らず知らずに染み付いてしまう世の中一般の考え方を気にせず実行することにどれだけの勇気がいるでしょうか。

彼女は、ハンドバッグ一つで旅立つ勇気があるから、得体のしれないキャラメルを食べる勇気があるから、旅先でトイザらスに行く勇気があるから、荷物の重さにあえぐことなく、思いもよらない美味しいものを食べ、素敵なぬいぐるみを手に入れることができます。

当然、恐れないことにリスクはあります。恐れは生き物が危険から身を守るために身につけた武器の一つです。しかし、守りに入った選択をすると時として収穫物が少ないようにどちらの道を選んでも別のリスクを背負うだけにすぎず、人生は後悔の連続です。裏を返せば、どちらを選んでも後悔する材料はあるのだから、あえて後悔する必要はありません。正解不正解はないのに私たちはいつの間にか、念入りに荷造りをして、道端で心の赴くままに歌わない選択が正しいと思ってしまっただけにすぎないのです。

他人の目を意識した生き方は安定しているように見えて、ある意味、他人に対して期待をした不確定要素の大きな生き方です。他人の評価を得られることを見込んで勝手になんらかの制限を自分に課しているのです。その点、他人の価値観を恐れない生き方はもっと確実性が高いものです。外の気候に左右されることなく、幸せを自給自足できれば、こんなに心強いことはありません。自分の機嫌をとることさえ難しいのにそれより先に計り知れない他人の機嫌をとろうなんて、そもそも無理な話なのです。

私が自らを「180cmの大女」だと思い込んで日々戦っているように、彼女は自らを「幼気な子リス」だと思い込んで生きています。

何か行き詰まったら、こんな人間だから、こんな社会だから許されないと勝手に決めつける前に、本当に自分が求めていることを探しにいきましょう。

きっと、どんなことも「幼気な子リス」であれば、許されることばかりです。

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