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自信を持てない私たちは

『アイ・フィール・プリティ』という映画をみた
美人になりたいと願う太めの冴えない女性が頭を強打したことをきっかけに自分を美人だと思い込んで憧れの化粧品会社の受付職に応募し、人生が変わってゆく話だ
ネタバレを避けて書けるのはおおよそこの程度であるので是非見て欲しい

自信を持って生きている人は少ない
私にはたまにヘアモデルやショーモデルを頼まれる美しい友達がいる
小さな顔にスッと通った鼻、青やピンクやベリーショート、個性的な髪型がバッチリ似合う彼女が自分をブスと称した時には面食らった
しかし、どう見てもブスとは言いようがない彼女が自らを否定した言葉は悲しいくらい真剣で謙遜や冗談なんかの軽い言葉ではなかった

知り合いの小動物のように愛くるしい女の子がロクでもないうんと年上の男と付き合っていた。彼女の周りにはいくらでも彼女に好意を持つような真っ当な男の子がいたから勿体無いと言ったら、「釣り合わないですよ」と返された。私は短絡的に「そんなに可愛いのに釣り合わないなんてことないでしょ」と言ったら、「可愛いだけじゃないですか」と返された

私は今まで私をブスだと揶揄する男に何人も出会った。私は彼らの心ない言葉に自信をなくしたり憤ったりした。そういう自分はどれだけ自信があるんだと怒ったこともあるけれど、今は違うとわかる。彼らもやはり自信がなかったのだ。自信がないから私を容姿で蔑んでいられる立場に立たなければいけなかったのだ。

自信は容姿に関するものだけではない。
私は小中高とずっと劣等生で何もできない社会に通用しない人間として扱われてきた。
遅刻はするし、宿題も出さない。授業中は窓の外を見ているし、勿論成績も悪い。不登校だったこともある。その学校の物差しで見たとき、私は自信を持ってはいけない子だった。
今思い返せば、理科の授業でこれはと思うような発言をしたり、中々見どころのある絵を描いていたり、テストで定規を忘れた子に持っていた二つ折りの定規を躊躇なく半分に割って貸してあげる優しさを持っていたのに、私は何もないと思っていた。
悔しくてずっと見返してやると思っていたけれど、見返せる自信があるわけじゃなかった。自信がなかったから見返してやると信じるしかなかった。

自信
自分を信じると書いて自信

本来、ただ今日から自分を信じます!と決めればいいだけのことを実行することが何故こんなにも難しいのだろうか

大きくなるにつれて私たちは人と比べられる機会が増える。可愛いとか勉強ができるとか仕事ができるとか絵がうまいとか運動ができるとか話がうまいとか努力ができるとか。
人と比べられるうちに自ら人と比べてしまうようになる。

私は他の子より容姿が整っていない。私は他の人に比べてできないことがたくさんある。
そうしているうちに自信を持ってはいけないと思ってしまう。

自信を他者からの許可制だと思い込んでしまうのだ。一旦、そう思い込んでしまうと他者から許可されていない自信を持つ人を間違っていると思って否定してしまう。
私もそうやって否定されたことがあるし、否定したことがある。
自信を持てない悪循環の歯車に組み込まれてしまっていた。

高校を出て大学に入り、私にはできることがたくさん増えた。あれほどできなかった勉強もできる分野が出てきたし、社会の中で自分に任せてもらえる仕事を見つけた。
私はアイデアマンで努力家で文章が書けて小粋な話ができる。
それには自信を持てるようになった。

相変わらず容姿はパッとしないから自分のことを可愛いとか綺麗とか思うことはないけれど、そんな弱点を突かれても世界の物差しはそれだけじゃないと戦えるようになった。

最近、もう一歩進んでもいいのではないかと思うようになった。生まれ持った自分の長所に対する自信は勿論かけがえのないものである。しかし、社会の評価に値する基準を満たさなかったものも愛してもいいのではないかと思うのだ。

私の顔を見て可愛いとか綺麗だと思う人は多くない。私は可愛さや美しさを持たずとも立派に生きていける。それも間違いなく一つの自信である。

でもこれから私にとって私は美しいと思いたい。私のまぶたはこの先もずっと重い一重で目つきは悪い。鼻も大きいし、バランスに欠けてる。去年から頰にシミが浮き出し始めた。命を終えて火葬されたその先まで私の骨格はきっといかつい。
全部私だけのものだ。少女漫画のようにぱっちりした目じゃないけれど、好きなものを見つめる時私の目は輝いている。盛り上がった僧帽筋は今日も私を強く見せる。
誰かが憧れるものではないかもしれないけれど、私はそれを愛おしいと思う。
私の人生の邪魔をしている邪悪な付属品として憎んだ日もあるけれど、誰がなんと言おうと私固有の美しさだ。

人や社会が日々変わっていく以上、他者からの許可制の自信は更新期限が短い。
だから、自信を持てない悪循環の歯車をやめて最後まで私だけは私を信じて生きていきたいと思う。

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