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外国人に投票権を認める武蔵野市住民投票条例は憲法上問題ないー長島昭久氏の悪質なツイートを許すな

さて、長島昭久議員の極悪デマ・ミスリードシリーズは終わらない。今回はまた特に悪質である。判例を、確信犯的にいわば「書き換えている」のであるから。

●今回は前稿『憲法上問題ない東京・武蔵野市住民投票条例案-外国人に日本人と同条件で投票権-への長島昭久の攻撃』の続きですが、これだけでも十分理解できます。

長島昭久議員の「一見正しい」ツイート

以下、長島議員のツイートを引用する。(重要な点は後にかくので、読み飛ばしても問題ありません。)

住民投票条例で外国籍住民が投票資格から排除されるのは法の下の平等に反するとして在日韓国人が提起した国賠訴訟の名古屋高裁判決(最高裁で上告は棄却され確定)は、地方参政権が日本国民に保障されたものであることを確認した上で、「(地方自治の重要性に鑑み)我が国に在留する外国人であっても、特別永住者等その居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者に(限って)住民投票等の意思決定手続き過程に参加する措置を講ずることまで憲法上禁止されているものとまでは解せない」とかなり慎重な判断を行なっています。
(長島昭久Twitter @nagashima21 2021/11/15-23:15)

この引用している裁判例は、名古屋高裁(平成14年2月19日)の、住民投票についてのものである。一見、判例を丁寧に引いており、間違っていなさそうにみえる。

が、この長島議員が付記した括弧がかなり肝である。この括弧書きで、文脈が全く変わってしまうのである。

名古屋高裁の「本物」の判決文

名古屋高裁(平成14年2月19日)の判決の当該部分を見る。(重要な点は後にかくので、読み飛ばしても問題ありません。)

「憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づいてその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようという趣旨に出たものと解されるから我が国に在留する外国人であって、特別永住者等その居住する区域の地方自治体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者について、その意思を日常生活に密接な関連を有する公共的事務の処理に反映させるべく、条例をもって、地方公共団体の区域における住民投票等の意思決定手続き過程に参加する措置を講ずることまで憲法上禁止されているものとまでは解せない(最高裁平成7年2月28日第3小法廷判決)。しかしながら、このような措置を講ずるかどうかは地方公共団体の立法政策にかかわる事柄であって、憲法上このような措置を構ずべきことを命じているものと解することはできない。

長島氏は、

「我が国に在留する外国人であっても、特別永住者等その居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者に(限って)…禁止されているものとまでは解せない」

としているが、高裁判例(引用元の最高裁判例も)は、

「我が国に在留する外国人であって、特別永住者等その居住する区域の地方自治体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者について…禁止されているものとまでは解せない」

である。わざわざ、はずす必要のない「について」を、「に限って」に置き換えているのは、文脈を変えるために他ならない。

判決文の文脈を変える悪質なカッコ書き

「○○について…禁止されない」というのは、「○○は当然に…禁止されない」という一種の例示的な表現であり、必ずしも「○○」以外を排除するものではない。
それに対し、「○○に限って…禁止されない」とすると、「○○」以外は排除する、すなわち原則禁止、ごく例外として○○は禁止されないということになる。
(例えば、何かの会場で「自動車での来場について禁止しない」とあれば、自動車はもちろんだが、自転車や電車での来場を禁止するとはいえない。しかし、「自動車での来場に限って禁止しない」とあれば、自動車以外は禁止される。)

長島議員は、あえて「について」を、「に限って」にすることにより、原則として外国人の地方参政権は禁止されているとミスリードしようとしたというほかない。

そして、ここを「について」から「限って」にし、さらに一つ目の長島付記の括弧書き「地方自治の重要性に鑑み」を、本来あるはずの後の文をあえて省略している。そのことによって、(長島氏が極めて限定的とする)外国人の前に持ってくることにより、"地方自治の重要性に鑑み、外国人は極めて限定的なものを除き、住民投票権を禁止される"というような文脈を作り上げている。

しかし、「地方自治の重要性に鑑み」に続けて、住民自治の趣旨を述べており、むしろ"地方自治の重要性に鑑みれば、住民自治の趣旨・原則に照らし、住民として認められる一定の外国人の住民投票権は禁止されない"と読むのが自然である。

このように、恣意的に付記した(あるいは省略した)括弧書きによって、あたかも裁判所が「慎重な判断」をしたかのように見せているのである

外国人参政権について地方許容説が判例の立場

しかし、この引用元である最高裁判決の判例解説(もっとも著名な判例集である『判例百選』)などは、外国人の参政権について「国政禁止・地方許容という組合せ」になっているとしている。すなわち、外国人の地方参政権について(禁止に近いという意味での)「慎重な判断」はしていないのである。((日本人同様、)居住要件を満たさない外国人の選挙権がないのは当然である。)
なお、名古屋高裁判例は、外国人の狭義の地方参政権(首長選挙や地方議会議員選挙の選挙権)だけでなく、住民投票にも最高裁の判断の射程が含まれることを意味する。

よく、メディアが切り抜きするというが、長島議員はまさにそれを判例において悪用するかたちで実践している。さらに悪いことに、悪質な括弧書き付記までして、完全に文脈を変えてしまっている。

確信犯的な極悪なミスリードであり、許されまい。

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【追記】武蔵野市の市民アンケートは意味がない?

武蔵野市が本件条例案上程に先立ち、市民アンケートを行っている。以下は、そのことについての長島氏のツイートである。

14万8000市民のうち2000人にアンケートを取り、有効回答はたった500人(約0.3%)。その70%をどう見るか。これで、武蔵野市民の7割が賛成したと胸を張られても、説得力を感じない。それよりも、今急いで住民投票権を外国籍の住民に付与せねばならない「立法事実」は何なのか、市長に説明を求めたい。(長島昭久Twitter @nagashima21 2021/11/15-23:18)

このツイート、端的にいえば長島氏の統計調査に対する無知を晒しているだけである。

世論調査をはじめとする、無作為抽出のアンケート調査には、その信頼性についての基準がある。総務省などは、その基準を『信頼水準95%、許容誤差5%』としている。用語の解説は他に譲るが、各種世論調査などはこれを軸に行われている。

そして、この『信頼水準95%,許容誤差5%』を維持するには、人口14.8万人の武蔵野市ならば384の標本(=無作為の384人に対する調査)が必要となる。
今回行われた住民アンケートの回答数は約500。国の示す信頼水準と許容誤差を受け入れるのであれば、これは、十分に信頼できるということがわかる。65~75%の市民が賛成しているといえるのである。

これを、人口比率で考えると滅茶苦茶なことになる。例えば、NHKの内閣支持率等の世論調査の回答数はおおよそ1,200~1,300人である。人口1億2600万人にてらせば、その調査対象者はわずか0.001%である。しかし、1,200~1,300人でも十分であるとある種国は認めている。

したがって、人口を元に安直に発言する長島氏は、統計学的にもめちゃくちゃなことをいっている、と考えた方がいい。

立法事実云々についても、松下玲子市長の「意見交換会など市民参加を進めてきた中で、外国籍住民を除くことはしていない。住民投票制度についても、国籍でわける理由はない」(朝日新聞デジタル 2021/11/12-22:22)で十分説明になっている。

執拗な攻撃は、市民をおかしな方向へ扇動するだけで、害悪である。

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