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長男2回目 5

中1、2の恩師U先生

長男の2回目不登校を語るにあたり、中1、2の担任だったU先生を忘れてはいけない。U先生はお若い小柄な体に、どこからその熱意が出てくるのだろう?と思えるほど、愛にあふれた先生だった。
実は長男の学校にはコースがあって、どういうわけか?長男は特進コースに入っていた。しかも中1の最初の頃は、ある程度の上位層に食い込んでいた。しかし2学期以降、だんだんと体調を崩し始めてから、成績も下降気味になっていた。

U先生には、小学校の頃の不登校について、起立性調節障害のことも含めもお伝えしていた。先生は長男によく声掛けをしてくださっていたが、中1の3学期にいよいよ行けなくなった際も何度もお電話をいただき、私の家に会いに行くとまで言ってくださった。さすがにそれは申し訳なさすぎるので、できれば私が車に乗せて連れて行ってみますと話をした。

長男の学校には保健室の横に「学習室」というものがある。そこは、諸事情により教室には入られないような子が集まり、自習をしたり本を読んだり、好きなことをしていられる、いわば「安全地帯」だった。U先生の方から、登校してきても体調が悪ければ保健室、少し動けるようだったら学習室に行ってみましょうと提案してくださった。

中2でもU先生が担任と聞いた時は、嬉しさと安心で涙が出た。教室にはいよいよ入れなくなったが、2週間に1回でも学習室に行けそうな日は連れて行った。先生は授業の合間を縫って長男に会いにきてくださり、登校してきたことをほめてくださっていた。

そんな先生の気持ちに報いるべく、せめて親は懇談会に参加しなくては!と思って、私はなんとか参加していたのだが、やはりそのうち辛くなってしまった。学級写真を見て、とっさにボロボロ教室で涙が出た時には、ああもう来るのは止めようと思い、U先生に事情を話して次回以降は不参加にした。
踏ん張るだけの余力が私にもなくなっていたのかもしれない。

中3T先生と、別室受験の定期考査

なぜか長男は、定期考査だけは受験したいと言った。しかし全教科を受けるだけの体力はないので、受験できる教科だけ参加した。
学習室での別室受験。
最初のうちはまだストックがあったのだろう、ある程度点は取れていた。しかしそれも徐々に底を尽き、中3に入る頃には20点台や下手すれば1桁のものも出てきた。しかし、理科や数学だけはどうやって勉強していたのか、今となっては不思議だが、平均点あたりをキープしていた。

長男の意地だったのかもしれない。
信頼しているU先生が理科の先生だったから、そこだけは点を取りたいと真剣に取り組んだのではないかと、私は思っている。

中3に上がるとき、コースの再編成があった。
学校になかなか行けない長男を、これ以上特進コースに在籍させていても本人が苦しむだけだと考え、普通コースへの切り替えをお願いした。もちろん学校側からもその打診があり、長男は普通コースに変わった。

特進コースに合格した時のあの長男の笑顔を思い出すと、親としては胸が痛まなかったかといえば嘘になる。
しかし、学力がおぼつかない状態で在籍し続けていても、彼のプライドが傷つくだけだと判断した。
(結果的にこの時の選択は間違っていなかったと、今は思っている)

U先生は特進コースの先生なので、当然お別れ。
でも長男が普通コースにいっても、長男を見かけるとすぐに声を掛けてくださっていたそう。U先生と話せた日は、長男が決まって嬉しそうに報告してくれた。
中3の担任のT先生は男性、物理の先生。しっかりU先生から引き継いでいただいていたようで、長男の状況をご理解いただいていた。
U先生も中3担任のT先生も、教室には入れないけれどできるだけ定期テストは受けようとする長男の根性を認めてくださり、ご自身も時間があるときは、学習室まで立ち寄って少し補習をしてくださったり、寄り添っていただいた。

長男の学校は、宿題が多く、入る前は厳しいイメージが強かった。実際、課題の未提出やさぼりに対しては厳しかったが、長男のように諸事情がある生徒に対しては、安全地帯を作り、学年全体で連携して対応していただいた。
これには感謝しかない。

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