ピーマン1つ産み出せない

夕食の支度をしようとピーマンを手に取ったとき

「一体このピーマンは、どれくらいの人の手を経てここにきたんだろう」

と思いました。
農家の方、輸送する方、販売する方、などなど
たくさんの人々に加え

そもそも、水や土や太陽があるから
ピーマンができるんだよなぁ。

などと考えているうちに

「そういえば、人はピーマンを種から育てることはできるけど、ピーマンそのものを産み出すことはできないよな…」

ということも思い至りました。

ピーマンに限らず

何かを育てることはできるし、
いまあるものから何かを作り出すことはできる。
小麦からパンをつくるとか
ブロッコリーとカリフラワーを掛け合わせて、新しい野菜をつくるとか。
木から家具を作るとか。

でも、何もないところから
いきなり存在そのものをつくることはできない。

品種改良などではなく、
新しい穀物をいきなりパッと存在させることはできない。

そう考えたら、
神や宇宙、創造主の存在を感じずにはいられないし
自分には作れない「命そのもの」「存在そのもの」の恵を
宇宙から、自然界から、頂いてるんだな…と

なんだか感動してしまいました。

取るに足らない私のようなものも
しっかり生かして頂いてるんだな、って。

感謝の気持ちが湧いてきました。

だからこそ、必要なもの以外は
奪わないようにしたい。
最小限で暮らしたい。
その分、足りてないところへ回したい。

そういう風に思いました。

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