見出し画像

「Tango」が降りてくる瞬間

ブエノスアイレスは春。
アルゼンチンならではの広くて高い空が抜けるように青くて深い。
新緑の柔らかさはニホンとはちょっと違って、やっぱりあの優しさや湿度や情緒には欠けるけど、キラキラと可愛く輝いている。

どうしようもない哀しみが襲ってきたのは、お腹に宿った命の灯火が消えた傷がまだ癒えないからなのか、Tango という人生をかけた私の情熱が帰ってこないからなのか、終わりのないコンプレックスと戦い続けないといけない現実に、何かを口にする度に直面させられるからなのか(笑)。

あの「これぞブエノスアイレスの Tango!!」と思わせてくれたアングラなミロンガ(多分、私は踊りの Tango を追求してる訳じゃなくて、歴史や文化としての Tango を追求しているからそう思うのかな…)には、到底行く元気が湧かないし…
というより、ああいうミロンガには、あの独特な諦めや退廃的なエネルギーがないと混じり合えない気がする。

かといって、トラディショナルなミロンガは、踊りは美しいけれど、タンゴ・ナチ(笑)と言われる伝統に固執しすぎる頭の固いミロンゲーロス達も得意じゃない。
(とはいえ、私も長らくタンゴ・ナチだった時代もあるような…)

もうちょっと、踊りを追求すれば、また感覚も変わってくるのだろうけど、「現代のブエノスアイレスでのタンゴ音楽」というものを日本人女性歌手として追求した結果、心惹かれるのは「伝統を重んじつつクリエイティブで、自由な表現をする人達」。

そういう人達は概してタンゴ・ナチからは批判されたりするので悲しいけれど、それをものともせず、自分の信じる Tangoを表現してる強さに物凄く惹かれたりする。

多分、ダンサーとかミュージシャンとか歌手とかいう言葉で括るコトができなくて「わー、この人、アーティストだなぁ!」と思わされる人。

(その間をとって、商売上手に万人受けするトコロを狙ってやってる人達見ると、それまた凄いなぁ、上手いなぁ、とも思うのだけど。 )

多分、そういうエネルギーに触れてなくて枯渇してるんだろうな。
もっと前みたいに「わー、この人スゲーな!」と思わされるアーティストに出逢えるTango 処巡りしなきゃだな。

先日、とある世界チャンピオンのダンサーさんと話をしてとっても面白かったのが、「Tango が降りてくる瞬間」。

歌を練習してると、ふとその歌詞の世界が身体に入ってきて涙がこぼれるコトが結構あるのだけど、私は語学専攻していたコトもあって「言葉」というのに凄く拘りがあって、だからこそ現地で文化や歴史を知った上で歌いたい!と、この街に来た訳だけど。

(スペイン語が分からなければ、もっと楽に Tango と、この街と向き合えるんだろうな、と思うコトも言われるコトもあるけど)

彼女はアルゼンチン人ではないし、スペイン語が100%分かる訳じゃないけど、「Tango が入ってくる瞬間があるんだよねー」「スペイン語だろうと母語だろうと同じなんだよね」と。
それは、言語に拘る私としては物凄く嫌な言葉のハズなのに、素直に「この人ならそうなんだろうな」と信じるコトができた。

見えないトコロで私達は繋がっていて、多分、そこにコネクトして表現できる人には「言葉を母語に翻訳して理解する」必要はなくて「Tango が降りてくる」ってあるだろうな、って。

アルゼンチンの芸能界で、あらゆるジャンルの数え切れない歌手達と仕事をして、Tango がいかにこの国で下火なのかに向き合わされ、「なんでこんな古臭い哀しい歌をうたってるんだろう」と、色んなプレッシャーやストレスが相まって倒れて、すっかり歌わなくなって1年。

また歌わなきゃ!歌いたい!!と思って、歌詞が物凄く今の私にしっくりくる日本語の曲を準備し始めたのだけど、何しろ難しい(笑)。

言葉自体に抑揚がない日本語で歌うというのは、そもそも喋ってる時から歌うように話すスペイン語で、更に「語るように歌え!」と言われ続けて Tango の歌に取り組んできた私には難し過ぎて…

「困ったなぁ…」と、前から歌いたかった Tango を引っ張り出して歌ったトコロ、入る、入る(笑)
一言、一言、語る(歌う)度に「そうなんだよ!」「分かる?!」と心の相槌が歌詞に対して湧き上がってくる。
多分、文学的に評価された時代の Tango の歌詞というのも大きいと思うし、メロディーの構成がドラマティックなんだよな、私の好きな Tango 達…

レコーディング用にアレンジを頼んだミュージシャンに「嘘みたいに聴こえるかもだけど、本当に日本語で歌うの難しい!やっぱり、このTango もお願い!!」と連絡する始末。

なんで Tango やねん…
って、この国に暮らせば暮らす程、嫌になるコトも物凄くある。
でも、この国だからこそ、素晴らしいミュージシャン達の美しい Tango の音に包まれて歌うコトができる。

その贅沢さを忘れてたな。

ステージに上がるのは、まだまだ怖くて先のコトになりそう(もしくはバーチャル歌手に徹するか(笑))だけど、その美しさの恩恵に存分に埋もれていこう。

この国の Tango ミュージシャンの「Tango」に包まれて、「Tango」が自分の身体に降りてくる瞬間程、幸せで恵まれた時間はないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?