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みんな違って全部幻覚

2023年4月23日のツイート補筆ありまとめ。「みんな違って全部幻覚」は当番の尊敬するフォロイーさん(文字書き系原稿戦士で当番に同人誌印刷の指南をしてくれたひと)の名言。

当番は「みんな違って全部幻覚」派であり「二次創作に貴賎正誤なし」「自他に存在する好みの基準を『貴賎正誤』と詐称おしでないよ」派である。

「原作にリスペクトを」は一見慎みがあって美しい、しかしその「原作にリスペクトがある」と判断しようとしている自分が原作者でないのは自覚してほしい。

つまるところ「二次創作者は原作者ではない」が、「読者だって原作者ではない」のだわ。「二次創作内で何をどう描いたら/書いたら『原作へのリスペクトがある/ない』と判断するのか」は、「原作者及び原制作陣が明言しているもの」以外は、突き詰めれば「個々の読者の『好み』」なんだわよ。

「原作へのリスペクト」と言ってしまえば、「『誰が』『原作のどこを』大切にしてほしいと願っているのか」という主語が消えてしまう。それを言う人が「原作者『ではない』」のであればその内訳は「『私は』原作のこういう部分を大事だと思っていて、二次創作でもその大事な部分を保ってほしい」では?

さて「『私(※原作者ではない)は』原作のこういう部分を大事だと思っていて、二次創作でもその『私の思う』大事な部分を保っていてほしい」となると、これは「読者の数だけ『読者の思う原作の大事な部分』が存在する」ことになる。

――二次創作をする側として、個別対応はムリなのよね。

「『原作者』あるいは『原制作陣』が出した『二次創作のガイドライン』を守る」は二次創作をする側も可能なんだよね。原作者や原制作陣が出すガイドラインは「作ったものを売るなよ」とか「えっちなのはいけません」とか「ロゴをそのまま使うのはやめてね」とかであって、明確かつシンプルであるから

これが「『原作者でも原制作陣でもない』個々の読者」あるいは「読者ですらない人(アッこれムリだな!と察知して読まずに回避した人は『読者ですらない』わけよ)」である場合、個々の読者または読者ですらない人が各自持ち出す「原作へのリスペクトポイント」は曖昧すぎて対応しきれませんのよ

「『自分はこういうのは好みではない』と言う自由、『自分好みではないものを読まない自由』は既にある。でも、読者あるいは読者ですらない人にある自由はそれだけ」と当番は思うですね。

「俺の思う原作へのリスペクト」の内訳もよう明示せんで、明示したらそれは要するに好みの問題であるような要求を、自分が言う資格のある原作者であるかのように言ってくる人には二次創作者として「おとといおいで」と言う以外ない。

でもね、そういう門前払いされた人がいわゆる「公式凸」をするのよね。

「『オレアタシが思う原作の大事なところ』を同じように大事にしてくれる二次創作作品や二次創作者を探す自由」は全ての読者にあるよ。あるいは「『オレアタシが思う原作の大事なところ』をいちばん大事にしてくれるのは原作だけだから原作以外は読まない自由」も全ての読者にあるよ。

そういう「自由」はある。「何を好み、何を好まないかの自由」「何を読み、何を読まないかの自由」は全ての読者にある。「『自分が大事に思う部分を大事にしてくれる作品』や『自分好みの作品』だけが存在してほしい」と内心で願う自由もまあ、あるかもしれない。でも、それだけだし、そこまでなんだよ。

「『好みでない作風の作品』『自分が思う大事な部分を大事にしてくれない作品』をそうと正直に言わず『原作へのリスペクトがない』という曖昧な言いかたでジャッジする」のもまあ、自由ではあるけれどね。だけど、それに従う義理って、描く/書く側にはないのね。一読者の私見であって原作者の指針ではないので。

一次創作にせよ二次創作にせよ、他人が作るものの内容に注文つけていいのは「自分のためだけに書いて/描いてもらって対価もしっかり払う場合」だけだぜ……? 同人作品(一次創作も二次創作も含めて)は第一に作者自身、第二に同好の士のために作るもので読まない払わない人は同好の士ですらないんだわ。

「私はこういうのは好まないので読まない買わない」と言われたら「お好きじゃないんですね、お好きなものを作る人のところへ行ってください」一択であって「アッすみませんお嫌いなんですね店閉めます/アッすみませんお嫌いなんですねあなたのお好みに合わせて作り直しますね」とは言わん、言わんのよ。

当番は原作で「兄弟」という設定があるキャラクターの二次創作をしているが、「兄弟の関係性」の内訳についてはだいぶ当番好みにアレンジさせてもらっている。同じ兄弟を取り扱った二次創作でも、当番が読める傾向と無理な傾向というものは歴然とある。当番の兄弟物を読めん人も勿論いるだろう。

当番の場合だと兄弟愛の物語は「いちめんのムリゾーンの中にとても狭い安全圏がある」ようなもので、まず「兄弟間に『愛憎』がある」「兄弟間に『嫉妬』がある」がダメ。いわゆる「殺し愛」「憎み愛」「束縛・執着・虐待」がダメ。つらくて書けない読めない。「憎が混じらない愛」のみピンポイントでセーフ。

当番の「兄弟愛セーフゾーン」がピンポイントすぎて、とても他人様にその通りに書け/描けと要求はできない。そして当番の「兄弟愛セーフゾーン」のとおりに書いたらだいぶ原作から乖離する自覚も持っている(原作だと弟から兄への敬愛は描写されても兄から弟への慈愛の描写に乏しい)。

まあ当番の二次創作を読む人は片手の指で足りるくらいの人数なのでね(フォロワーのフォロワーまで広げてもたぶん両手の指で足りるくらいの人数)。第一に当番自身のために重めの兄弟愛を書いていて、第二にそういう重め兄弟愛を面白がってくれる人のために書いてる。面白くない人はよそへ行ってもらう。

当番も自分以外が書いた/描いた同じ兄弟の二次創作を探してあちこち巡っているけれど、まあ自分で探しに出ている以上、だいじょばない傾向の作品に当たって痛い思いをしたってそれは探すことを選んだ自分の責任だと思っているので。そして「やっぱり自分好みの味は自炊一択だなあ」と自分の原稿に戻る。

自炊、自炊なんですよ基本的に。当番は自分がおいしく食べるために原作という食パンに自分好みのバターと自分で炊いた小倉あんをのせて食べているのであって、当番の小倉トーストの塩梅が好きだという人には気まぐれでお分けせぬでもないけれど「私はこしあん派です!」という人に凸されても困る

「原作はトーストしない食パンです!」「原作は6枚切り食パンです!」と言われても「うん、原作はね」と思いながら当番は8枚切り食パンをカリカリに焼いてカルピスバターを塗って、そこに自分で炊いた甘さ控えめの小倉あんをのせて食べます、自分のために。

当番個人の感覚だけど「同じ原作に基づいて二次創作をしている」は「同メーカー同ブランドの食パンを使ってメニューを作っている」あるいは「同じ袋ラーメンにそれぞれ違う具をのせている」くらいに捉えていて、とてもゆるい括りでは「同ジャンル」ではあるんだけど、でもそれだけだよねと思っている。

「同じ原作から派生した二次創作でも食えるものと食えないものがどうしてもある」は当番にとって「自分の二次創作は小倉トーストで、右隣のサークルはピザトースト、左隣はフレンチトーストを作っているが、斜向かいの納豆トーストだけは当番どうしても食えん」みたいな感覚。

あるいは「サッポロ一番塩ラーメンにコーンバタートッピングは食べられるが、エビとホタテとバターとなると無理だ、いや好きな人にはおいしいんだろうけれどエビホタテ」みたいな感覚。

いっそ別ジャンル(たとえばトーストではなくクレープだとかパンケーキだとか)で味付けが同じ(小倉バターのクレープ、小倉バターパンケーキ)である方がまだおいしく食べられる、みたいなところまである。

でもまあ、納豆トーストがどうしても食えぬ当番は納豆トースト屋さんの客にはなれないので、納豆トースト屋さんに注文つける資格も何もないんだわ。だってどう当番の嗜好に寄せる努力をしたって納豆は納豆である時点で当番は納豆トースト屋さんにお金で報いることもできないしおいしいとも言えないから。

納豆トースト屋さんなんか潰れてしまえ、だとか店を畳んでしまえ、だとかを言う資格も当番にはないしね。それは小倉トースト屋である当番の言っていいことではないし、ただのトースト屋食べ歩き客としても言っていいことではない。当番ができるのは納豆トーストを食べないことだけ。

かと言って、「お前は小倉トースト屋、あいつは納豆トースト屋、同じトースト屋同士仲良くしろ」と言われても「それは違う」って思うしね。「同じトースト屋だから互いの出店を妨害はしない」けれど「同じトースト屋だから仲良くする」というわけではないのよ。

あと「あいつは納豆トースト屋、お前は小倉トースト屋、どちらもトースト屋なのだからお前の屋台でも納豆トーストを売れ、お前の作った納豆トーストを食べたい、同じ豆製品だし同じトーストだし簡単だろう?」と言われたら「ヤダって言ってんだろお前をこんがりトーストしてやるぞ」と思うわけでね?。

二次創作界隈の大抵のイヤイヤ話は「自他境界」と「他他境界」がはっきりしていれば済む話だと思っている。「自分はどういう立場であり、自分の立場で他人に求めていいのはどこまでか」ってのと「自分から見て一様に『二次創作界隈』に見える人達も全員個別の人間であって別に仲良くないから」ってのと。

「自分は一読者であって原作者ではない」とかね、「一読者の自分と自分が読んだ二次創作の作者は何の人間関係も成立していない他人である」とかね、「二次創作者Aと二次創作者Bは界隈外の一読者である自分から見たら『同じ界隈の仲間』に見えるかもしれないが、別に界隈は一枚岩ではないからね」とかね。

あと「『自分ひとりの好みのため』にいい感じに作品を作ってくれる他人はいない」とか「同人作品を作る人は『作者自身と作者の作品を愛好してくれる人のため』に作っているのであって、『それが嫌い、苦手』と言う人に対しては『あなたが愛好できる作品がよそで見つかるといいね』としか言わん」とか。

あるいはあまりに好みがうるさいと「だったら自分好みのトーストを自分で作りな、ここは自炊トーストランドだぜ。まあ俺らもトースト用の食パンは買うけどな」になる(二次創作の場合)。一次創作の場合は「ここは食パンから自分で焼く自炊トーストランドだぜ」になる。

あと「自分がその食パンを焼いた製パン業ではなく一パン愛好家であるだけなのに製パン業の代弁を勝手にするのはお控えくださる?」とかな。

「自分好みのトーストを他人がいい感じに焼いてくれるわけがない、他人は自分ではないのだから」で自分のトーストを焼きつつ、それが欲しい同好の士にトーストを振舞っている人と「ここってトーストフェス会場なんですよね?」だけ聞いてきた食い専(読み専買い専)の間には深くて昏い河がある……

「私いちごトーストがいいです!」を小倉トースト屋で言ったって「うちは小倉トースト屋です」としか返さんよ小倉トースト屋は。いちごトーストが食べたければいちごトースト屋に行ってください。

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