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「夢を現実にすること」って

「いつか占いの雑誌に載る」だとか。「いつか自分の名前がついた占いの本を出す」だとか。「占いを学んだからと言って、その先が必ずしも『占い師になる』だけとは限らないでしょう?」と一本道思考に長年抵抗している当番でさえ「これまで長いこと『趣味』だった『占い』というものがお金になったらいいな」という「夢」はいつだって脳内にあった。今日はその「夢」を「現実にする」ってこういうこと、という話。

「夢」というものを当番は「『洛中洛外図屏風』のようなもの」だと思っている。美術の教科書や日本史の資料集でご覧になったこと、おありでしょう『洛中洛外図屏風』。華やかな京の都を斜め上から見下ろした極彩色の絵図に金彩の雲がモコモコと描き込まれていて、地上の極楽を思わせるようなきらびやかさの、あの屏風。

「夢」というものは、あの洛中洛外図屏風のように、「『手に入れたい未来像』のうち実態がよくわかっていない部分」をきらきら輝く金色の雲で埋めてあるようなものだと当番は思っている。夢の都を隠す金色の雲は「自分に都合のいい幻想」や「憧れ」。セクシュアルなファンタジービデオにかけられたモザイクのゆめかわキラキラバージョン。そのキラキラした目隠しの隙間からチラ見する未来は現物よりもいっそう美しく見える。

そして「夢を現実にする」ということは「脳内にある『洛中洛外図屏風』式のイメージから『金色の雲』を取り除き、ひとつずつ『実際の都の風景』へ入れ替えていくこと」だと当番は思う。比喩を実際の行動へと翻訳するなら、それは「『自分が知らない部分を自分に都合のいい幻想で埋める』のをやめて、ひとつひとつ『自分の実体験』へ入れ替えていくこと」。それが「『夢』を『現実にする(realize)』こと」。

当番は2021年の2月から5月にかけて、ツイートで『洛中洛外図屏風』の比喩を使っている。最初は2021年の2月18日、確定申告の作業真っ最中の時期(以下、ツイートの再録)。

「確定申告をしてみたい」に白目を剥いた当番である……「へー……じゃあ確定申告ができるくらいの利益(not売上)を出すところからですねえ……」と当番ならお返しするところ……

(2023年註。この「確定申告をしてみたい」は下記の記事に登場した、とある相談者の発言)

「確定申告ってやってみたいんです。だってなんかカッコ良さそうだから♪(意訳)」

ソロ活占い師の仕事術@ウラナイ8号室
「おいくら欲しいんですか?」より引用

天海玉紀先生も目がテン、表の稼業が流浪の経理事務員である当番も目がテンのすごい発言。確定申告が、カッコ良さそう……だと……?

あと、「確定申告をしてみたくて(←と言う時点で確定申告書を書いた経験がないと思われる)」と言うなら、「とりあえずどんなこと書くか試してみます? オンラインで! なぁに下書きのままにしとけばいいんですよ」って国税庁の確定申告書作成サイトをご案内しちゃおうかなあ。

「確定申告できるほどの利益を上げたい」という意気やよし! いちども書いたことがないなら予習しておきませんか!! 予習は大事ですよ、当番だってお仕事で他人様の申告書に触っていなかったら自分のをやるのめちゃ怖だなーって思うもの(星見当番、今回初の自前確定申告)!

(2023年註。2020年に出したアストロ同人誌がよく売れたのと、雑誌My Calendar の記事監修に携わった稿料のおかげで、明けて2021年2月18日当時の当番、確定申告の作業をしていたんですね。「自前確定申告」と書いているのは当番の職歴に経理代行会社や税理士事務所のスタッフが含まれるため、自分のは初めてでも「他人の確定申告書」を作成した経験はあるからです)

あ、「確定申告できるほどの利益」というのは当番のように「主たる収入が給与(雇用主が所得税を源泉徴収して代納してくれる、年末調整までしてくれる)であり、その他に何か経済活動をして(副業の類ですね)、それで確定申告が必要になるほど稼いだ場合」の話ですね。

はい、「確定申告をしてみたい人」は、まずここから見ましょう。「確定申告が必要な方」! いくら稼いだら確定申告が必要になるか書いてあるので、自分が該当するかどうか確認しましょう。

まあ、あの……当番も2010年代は「給与所得以外の副収入がある年もあったけれど、確定申告が必要なほどの年は1回もなかった」ので、「ああー、今年はとうとう確定申告かあ……2020年そこまでいったか……」という感慨がなくもない。が。「確定申告がかっこいい」という感覚は、うん、ないな、ない。

や、本当に2020年中に薄い本をお買い上げくださったりお仕事くださったりした皆様、ありがとうございます!確定申告がんばります……

(2023年註。その後毎年確定申告をやっています、ハイ。2024年になったら2023年分の確定申告をやります)

夢を実現する(realize 現実にする)ということは、脳内に広がっているキラキラの洛中洛外図屏風をキラキラのまま再現することではなく、その図にかかっている金箔の雲デコをどけて、ひとつひとつを現実の洛中洛外の景色へ置き換えて行くことなので。

(2021年2月18日の連投ここまで)

『尻込みちゃんと3人の尻叩き』シリーズでも繰り返し説いた「実際にやる前から『実際やることを想定して』何であれ試しに触ってみましょう」を確定申告についても言っている2021年2月の当番(尻叩き妖精シリーズは下記のリンクから始まる4話物の記事。受付用フォームの話は3話目に登場)

「各社が出している無料受付用フォームに実際触ってみましょう、試作してみましょう。試作だけなら無料ですよ? なぁに公開しなきゃ誰の目に触れるわけでもありません」って当番書きましたよね? 確定申告書作成フォームだって同じです、国税庁のサイトに作成フォームが置いてあるんですから。実際に触って「どんなことを入力するのか」「売上がいくらで経費がいくらだったら税額はいくらになるのか」算出の練習をしてみればいいんですよ。間違えてもいいし、仮の数字でもいいから入れてみる。送信しなきゃいいだけなんですから。

『尻込みちゃんと3人の尻叩き妖精』シリーズの「尻込みちゃん」は「自分の知らないわからない部分を『怖い』『自分にはとてもできない』という黒い雲で埋めて敬遠している」というタイプだったけれど「わからないものは『怖い』『自分にはとてもできない』と後ずさる尻込みちゃん」も「わからない部分に『カッコ良さそう』『やってみたいかも』とキラキラフィルターをかける人」も、「実際何をどうするのか」を確かめもせずに「自分に都合のいい幻想」を貼り付けて現実を見ようとしないという意味では同類。目隠しの雲が黒いか金色かくらいしか違わない。

2021年3月6日の連投でも洛中洛外図の比喩を使っている。以下の連投は「モテ/非モテ」に関する内容。

「『普通に』生きていれば『自然に』友達/恋人/配偶者を得られるだろう」というのは、「互いの想定する『普通に』が全く違うかもしれない」や「自分は実は『友達/恋人/配偶者を作る行動』をしている/いないのだが、それが『普通』だと思いすぎて気付いていないかもしれない」等の想定が抜けると発生する。

たぶん無意識のルーティンに任せていれば友達や恋人や配偶者が発生してしまう側と、無意識のままでは発生しない側、どちら側にも発生する。互いにそこまで自他の行動の違いを見比べていないし、自他どころか普段自分が「普通に」どういう行動をしているのかも、改めて検討でもしなきゃ思い出さないから。

宿題やらないけれど本は自主的に読んでいるとか、自発的な家庭学習はしないけれど塾で宿題いっぱい出されてるとか、そういうのが「普通」な生活をしている同級生の「全然(定期試験向きの自主的な)勉強していない」を文字通り「全然勉強していない」と捉えて勉強せずに定期試験爆死するようなもんだ。

「普通に」とか「自然に」は洛中洛外図屏風に描かれている金色の雲とか、アハンでうふんな動画にかけられているモザイクみたいなもの。ボヤかされているところをテキトーに自分の知っている「普通の行動」「自然の状態」を代入したり、そうでなければ空想を代入してしまうかもしれない。で、バグる。

『洛中洛外図屏風』と金色の雲の比喩、みっつめ。2021年5月30日の連投

えっ、「合」ってそんなに使わないかな? ツイッターだと「コンジャンクション」と書くより「合」と書く方が短いから結構見かける気がしていたけど。当番さんは「合」使う(が、当番さんは「最近の人」とは呼べないかもしれない。すみません最近の人ではないですすみません)。

そういえば「オポジション」は「オポ」と略すけれど「コンジャンクション」を「コン」とは略さないね確かに。「インコンジャンクト」は「インコ」って呼んでる

なお、当番さんは昭和末期に足を滑らせて西洋占星術沼に落ちた古い人間なので「合」も使うし、なんなら「衝」も「矩」も使いたい派です。

「合(ごう)」→コンジャンクションのこと

「衝(しょう)」→オポジションのこと

「矩(く)」→スクエアのこと(「矩」は直角。「矩形」は長方形/正方形のこと、「規矩」と言ったら作図用の「規 コンパス」と「矩 直角定規」のこと)

「三角(さんかく)」→トラインのこと

「合」とか「衝」とかは、別に西洋占星術だけの用語というわけでもないんだぜ。天文学でも使うやつ。小学生向けの星の図鑑とか、中学高校の地学の教科書にも載ってるんだぜ「合」と「衝」。「金星の内合と外合」とかさ。天文サイト「アストロアーツ」でも「何月何日に火星が衝」とか出てるんだぜ。

ジオマンシーのシンボル名「コンジャンクショ」はラテン語(そういえば、ジオマンシーのシンボルはなんでラテン語なんだろうね?元はアラビア語か何かのシンボル名があったのかしら)、西洋占星術用語/天文学用語の「コンジャンクション」は英語。

そういえば昭和時代の西洋占星術本には trine を「トリン」とカタカナ表記している本があったわ。いま流通している本に「トライン(英語読みだと trine の i は「イ」にはならない、「アイ」になる)」を「トリン」と表記しているのはもうないと思う。

むかしねぇ、中学生で英語もまだロクに読み書きできなかった時分の当番さんはねえ、「トリン」表記の本と「トライン」表記の本の両方を見て「トリンの方がかわいいのに」とか思ってたのよねえ。今はもう「まあ英語読みだとすれば『トライン』だよねえ」と思っているけれど。

英語もロクに読み書きできない14歳で西洋占星術沼に落ちた頃、お小遣いで買った西洋占星術本のカタカナ語にはきらきら輝く美しい雲がかかって見えていたなあ。それが英語かラテン語か他の言葉かも中学生の頃はわからなかったからさ。洛中洛外図屏風に描かれた金彩の雲みたいなのが本全体にかかってた。

勉強していくとその金色のきらきらした雲がひとつひとつ剥がれて、雲の下にある西洋占星術の街並が見えてくるようになるのだ。時々、あのきらきらした雲だらけのワンダーランドが見えていた頃が懐かしいけれど。

(以上、再掲おわり)

自分が知らない部分を自分に都合のいい幻想でキラキラに彩った洛中洛外図屏風な「夢」は美しいものです、魅惑のワンダーランドです。そうやって幻想で彩ったままにしている限り「夢の都」は「自分が住める現実の街」になってくれることはないのだけれど。

実際のところどうなのか。占いの仕事をするって、売上を立てるって、利益を確定するって、税金の計算って、「現実の、自分がやる作業」としてどんなことなのか。「夢を現実にする」って「実務をやる、実際の経験を積む」ということだし、「夢を実現するための準備をする」って「実際に経験する」をやる前に「どんな実務があるのかを調べて、前もって練習が可能なものであれば練習をしてみる」ということ。

「まさか経理事務員の経験が星見当番としての確定申告に役立つとは思わなかったなあ」と笑いながら、今年も薄い本の売上と印刷費を集計している当番です。どんな経験もソロ活の肥やし。

【追記】
当番がこういうことを書く理由を当番のホロスコープに求めるならば、1ハウス乙女座数え2度の月と11ハウス蟹座18度の土星だと思う。当番ネイタルの実務班。金色の雲を散りばめた夢の洛中洛外を幻視するのはチーム人馬こと射手座の4天体と魚座の木星。

金色の雲で彩られた夢の世界地図は美しい、でもそれが茶色の現実的な地図に置き変わったとしても、世界はやっぱり美しいよ。金色の雲がなくなった区画は自分の手足で実績解除をした証なのだから。たとえそれが「確定申告書を作成する」という至って地味な区画であったとしても。こういうロマンティック(ここで言う「ロマンティック」とは「おとぎ話めいた」程度の意味)な比喩を使いたがるのはチーム人馬と魚座木星の趣味。

「『占いを勉強した』の先にあるものが『占い師になる』だとは限らない。その一本道思考には占い好きとして当番は断固抵抗する」という意志の産物が「ホロスコープでお仕事探しま表」

そして当番は「占いを勉強して講座をやったり同人誌を売ったりnoteを書いたりする人」になった。現実的な宣伝として、当番のアストロ同人誌はここで販売しています。


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