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そうです、私が

2022年12月7日のツイートまとめ。発端は「『誰かにとっての価値ある何者か』になれない」といういんたーねっつあるある話題。

「『誰かにとっての価値ある何者か』に手っ取り早くなれる、ような気がする」から伴侶を得ようとしたり子を得ようとしたりを希望する人というのが昭和の昔ッから居たんだよね。たとえ学業面や仕事面やその他の何かでショボくても、「家族」は自分をかけがえのない個として愛し認めてくれる的なやつ。

実際に「他のどんな面で自分がショボくても伴侶が、我が子が、自分をかけがえのない伴侶かけがえのない親かけがえのない家族として愛してくれる」が支えになっている人というのはいると思う。そういう人がいるから自分もそのようになりたい、とその「伴侶や子のいる生活」を求める人もいると思う。

でもその「伴侶やわが子が自分をかけがえのない存在として愛してくれる」というのは「伴侶やわが子が『いる』という状態」に自動的にくっついてくるものではないんだよね。働きかけて応えてもらって育んでいかないとそういう愛ある関係は発生しないし。

その関係を育む前段階の「伴侶になってください」でお断られてしまえば「伴侶のいる人生」には望んでいてもなれないし、「こどもを産み/産んでもらい育てていくこと」だって身体的な事情から経済的な事情、精神的な事情でできない場合がある。そうすると望んでも「こどものいる人生」ルートに入れない。

伴侶にしてもこどもにしても「相手のあること」だからさ、望んでも「それがある人生ルート」へ入ることが叶わない場合もある。それを言うならまあ仕事も学業もそれ以外でも「他人に認めてもらう」とか「他人からかけがえのない価値ある何者かであると思ってもらう」ものは全て「相手のあること」だけど。

自分が何者であるかなんて、しょうみな話自称しちゃったって全然いいようなものなんだけども(当番だって勝手に「アストロ小学校主催の星見当番」「アストロお嬢様部主催の星見当番」を自称している)、かと言ってそれが丸っきりの自称で誰も「そういう人」として扱ってくれないとこれは寂しいわけさ。

何者かになれる/なれない問題は自称/他称問題とも繋がっており。当番は自分から勝手に「我は星見当番であるぞ」と称してはいるけれど、その一方で当番は「当番のことを当番さんと呼んでくれる人達の存在」によって「星見当番」をこのインターネット空間にあらしめることを可能にしているわけさ。

「(ひとかどの)何者かになれる/なれない」だと4ハウス/10ハウスの縦軸っぽさがあるけれど、「誰かにとって価値ある何者かになれなかった」という嘆きには1ハウス/7ハウスの横軸っぽさもあるように当番からは見えるんだわ。

「名前はあるけれど、その名に親しみを込めて呼んでくれる他者が誰もいなかった/今もいない/これからもそんな他者と繋がれそうにないと感じるとき、その名に紐づいている自分をたったひとりで肯定できるか」みたいなことをね、当番さんは思ったりするよ。1ハウス7ハウス軸のお話。

当番も、卑屈になろう自虐しようとしいてつとめればいくらでも卑屈になれたりはする。

「『当番を当番さんと親しみを込めて呼んでくれる人達の存在によって星見当番という存在をいんたーねっつにあらしめることができる』と言っても、その人達は当番個人を好きなわけではない」とかさ。

まあ「『当番発のタグで遊んでくれる人』や『当番のアストロ薄い本を買ってくれる人』は『西洋占星術が好き』であっても『当番個人を友達として好き』ではない」と卑屈になろうと思えばできるんだけどさ。

「まあ友達じゃないけど、人が当番発のタグで遊んでくれると当番嬉しくなっちゃうしな」ってね。

当番のアストロ薄い本を買ってくれる人達、当番発のハッシュタグで遊んでくれる人達。そのひとりひとりと当番はそれ以外ほとんど接点がないし、その人達のうち9割くらいは当番と友達か友達ではないかと言われれば友達ではないんだよね。

でも楽しんでくれる様子がたまに見えると、当番嬉しいんだよ。

それは「承認欲求」の一種なのかもしれないけれど。「当番個人を認識してくれ」とか「当番個人と友達になってくれ」とかの欲求とは角度が15°くらい違ってるかもしれなくって(いや友達になってくれるのはそれはそれで嬉しいんだけども)。

よく知らん人でもタグ楽しんでくれてるのを見ると嬉しいのよ。

だってハッシュタグが伸びると本当に遠くまで行くんだもの。当番のことなんか知らない人にまで届く。それで当番のことなんか知らないままみんな遊んでくれている。広く薄くだけれど「自分は他人の楽しめるものを提供できる」という感覚と、実際他人が楽しんでいる様子が当番を喜ばせ、当番を支えている。

「私は『ささやかだけど他人を楽しませる何か』を発信することができるし、私自身はともかくとして『私の発信したもの』は他人から肯定的に受け入れられる」という感覚を当番は持っていて、それが当番を支えている……かもしれない。𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬______(←言うてみたかっただけ)

誰だチミは?ってのか。デュフフ……
そうです、わだすが「変なおばさん」です

「何者かになる/何者にもなれない」問題のことをグルグルぐつぐつ頭の中で煮ていると、途中から必ず志村けんの「変なおじさん」が脳内に出てきてすべてをだっふんだにしてしまう昭和生まれ当番である。

思えば「コント『変なおじさん』」のおじさんって強くって

若い女性から「このおじさん変なんです」と指さされ、居合わせた男性 (だいたい田代まさし)に「何だキミはァ?!」と誰何され、「そうです、わたしが変なおじさんです」と他称を自称にしちゃうんだよね。

誰だ君はッてか……デュフフ……そうです、私が星見当番です――だっふんだ!

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