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値引き交渉について当番が思うこと

2021年6月25日のツイートまとめ。発端はハンドメイド品即売イベントで、陳列されている商品が想定より高価だと「手作りなんだから値引きして」「あまりお金ないから値引きして」と「交渉 」してくるお客と「値引きはしません」と断る販売側の攻防で当番TLが賑わっていたこと。「手芸品なんてお母さんの手料理みたいなものなんだから安くしてくれたって/安くしてあげたっていいじゃないか」という意識の人が買い手側にも売り手側にもいる、というツイートが出てくるに至って、当番の「お母さんじゃねえし!」魂に火がついた。

「ご家庭のお料理も実は無償ではありません」「よその人の作った料理を無償で食べさせてもらえるのは人間関係という見えない通貨の支払があるか、あなたの代わりに支払ってくれる人が存在するかのどちらかであり、それ以外の場合は当然有償です」だなあ……>RT

「家庭料理みたいな意識でいる」の、「自分は食べ専」という意識でいる人と「自分も作るし他人が作ってくれた物はありがたく買う」という意識でいる人の間の溝が激しそう(当番は後者)。

料理洗濯裁縫掃除が「母のやること」カテゴリに入っていて「自分の母はそれを自分に対して無償で与えてくれていたから」「自分は母として我が子や家族に無償でそれを与えてきたから」「だからお金を取るなんてひどい/お金を取れない」というのは「よその人はお前の母でも子でもない」なんすけどね……

当番はカジュアルに「お前はよその子じゃ砲」を撃つ。そうじゃないと当番を「お母さん」と呼んだり「当番さんちの『子』になりたい」とか言い出す人が出てくるから。本当に自他境界、及び自家族・他家族境界つけろよと思う。あなたと当番は他人だし、あなたの母と当番も他人です。無償にするほどの愛はない

百万歩ゆずって24歳あたりまでならまだ見えていないわからないことがあっても仕方がないと思うけれど。「世の中に、およそ人間がつくる物に『本当に無償のもの』は存在しない。無償で貰えるものがあったとしたら、支払うべき代償を肩代わりしてくれる人が他にいただけ」は25歳過ぎたら理解してほしい。※

※「25歳過ぎたら」はつまり、「太陽年齢域に入る頃には」ということ。年少者のつもりで厚意に甘えていていいのは金星年齢域までです。

「無償でもらえる/してもらえる」ことを「大した価値もないし、つくる労力も大したことはないから気軽に無償で出せるんだろう。それなら甘えて無限にお代わりしてもいいよね? 」と解釈してしまう人が一定数いる。やたらと無償で他人に物品や役務を提供するものじゃないよ。お金をしっかり取りましょう。

(「ママの手作りグッズや家庭料理だって無償じゃないんだぜ」に「貧しくてお金を払えないひとには無償にするべきでは?」と空リプがあったので)うーん、貧しくてごはんを食べられないこどもやおとなへの食事提供やホームレスへの住居提供と、「家庭料理だって本当は無償じゃないんだぜ、金払え」はまた別の軸では。

支払う能力がない人への食事や家賃は、本来福祉の役所が税金で支払を肩代わりするのがスジであり。民間が自腹を切って、たとえばこども食堂を運営するのにおんぶに抱っこしているのは「役所が民間にたかっている」状況でしょうし。

そして「手芸作品を『家事の範疇』と見て『だから成果物を無償で提供してほしい』と要求する」のは「生きるために食事や住居が必要だが、支払能力がないから助けてもらいたい」という人とは別の人が言うわけでしょう。手芸作品即売会イベントに「ごはんを食べられない住居がない」レベルの困窮者は来ない。

手芸好きとしては、ボランティアや寄付の名目でたとえば施設の求めに応じてこどもたちにレッスンバッグを縫ったり帽子を編んだりして(無償の元払いで)送る活動もしてはいるよ。ついでにいえば「手芸作品やお菓子を作って売る」は施設の人達(成人)自身がお金を稼ぐためにやっていたりもする。

あと、施設で手芸をするための材料を寄付してくださいっていうお願いに応じることもある。寄付だから、もちろん自腹よ。手芸の民、そういうこともしている。でも、手芸の民が自作品を通販しているところや即売会にやってきて「まけてください」「無料にしてください」という人はたとえば施設のひとたちのためにそう言っているわけではないよね。

「家庭料理レベルでもお金を取っていいのか/お金払わなきゃならないのか問題」については、当番さん茨城県民だから「当たり前だろお金払わなかったら無銭飲食ぞ?」と思う。でっかい背負籠持って常磐線に乗り、上野公園へ自家製のおこわ弁当を売りに行く農家のおばあちゃんたちを見て育っているからな。

朝のラッシュアワーが終わった頃、90分とか120分とか常磐線に揺られて上野まで行くんだよ担ぎ売りのおばあちゃんたちは。自家製の野菜や山菜の水煮や漬物や、おこわ弁当や煮染めを持ってさ。そして上野で売るんだよ。もちろん利益は生活費になるのよ。食うために作って売るのよ

「何を値切るか」って、「何を見て(あるいは何を見ないで)育ってきた結果その価値観になったのか」が透けて見えて結構こわいなーと思うよ当番は。あーそこ値切る人なんですねーでシャッターガラガラする人間関係も結構あると思うよ。あと売る側は心を強く持って値付けしていこうな、当番も苦手だけど。

「何かを売って稼ぐと決めたならしっかりハッキリ『売り手目線』を確立する。『買い手目線』を引きずって遠慮したまま安売りをしない」が大事だと当番は思うな。いや本当に値付けが苦手で地サインつよつよの諸先輩に助けてもらって値付けしている当番が言うようなことじゃないんだけどさ。

「被雇用者なのに経営者目線に立とうとして経営者に気兼ねする」とか「経営者なのに被雇用者目線を引きずったままでいる」とか「売り手なのに消費者気分が抜けない」とか「こども目線が抜けないまま『おとな』をやろうとする」とか。自他境界ユルユルで立場や目線をごっちゃにするのはトラブルの元。

売る立場に立つなら、売ったお金でショバ代その他経費を払って税金納めて、それでも余ったお金で自分は何を買いたいのかをまず考えようよ。そのお金が生活費になり新しい機材や資材になりこどもの学資になると思ったらホイホイ値下げやら無償提供やらやってられるかい。当番は売上でパソコン買うんだよ。

既に薄い本の初動売上でスマホは新調したよ(※2020年に初めて販売した『アストロダイスワークブック』の売上の話。お買い上げ誠にありがたき幸せ)。

有料で物品や役務を売る人に「値引き/無料にしてください」とお願いするのは「『私に得をさせるためにあなたが損をかぶってください。本来有料であるものをあなたの負担で享受させてください』とお願いしているのだ」という自覚はお持ちいただきたいものです。お願いとしては「奢ってください」に近い。

お友達やご近所さんや、親戚家族等の人間関係があった上での「値引きして/無料でください」であったとしてもだ、毎回あるいは事あるごとに「あなたと私は友達/ご近所/家族/親戚なのでごはんを奢ってくれてもいいでしょう。全額が無理ならコーヒー代だけでも」と言う人とのお付き合いは考え直すじゃん?

「奢ってくださいよー❤」と言って「君にはかなわないなあ❤」と快く奢ってもらえるほどお世話している/お世話されるべき関係性があるのか? そこになければないですねーという話である。いや当番さんも講座に学割とか設けてるけどさ、それは「学生さんなら当番が奢ろうか」と思うからであってな。

あ、当番が単独で開催する講座には学割が本当に存在します。コラボ講座には学割ないですけども。何らかの学校に在籍してますよという証明があれば、成人済でも社会人学生でも学割します。申込時にお問い合わせください。薄い本は定価オンリーです。

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