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人が怖いのに人が好き 〜心の傷と向かい合う〜

私はいわゆる『コミュ障』。
気がついた時にはすでに人との深い関わりを避け続けていたため、いい年をしているのに未だに人との『丁度いい距離感』がわからない。

自意識過剰。
自分のことしか見えていない。
自分の箱から出られない。
自分は本当に面倒くさい人間だと思う。

そんな中noteを始め、心の整理をしていこうと、自分の心情を書き始めた。
そうすると、私の拙い記事にスキをつけてくれる人が現れて。有り難いことに最近になって、時々コメントもいただくようになった。

コミュ障のため、未だにコメントを書く時はめちゃくちゃ緊張する。いただいたコメントに対するお返しのコメントは大丈夫。お礼を書けばいい。
でも自分発信のコメントは、私の中で本当にハードルが高い。

それは多分「私が話に入ると微妙な空気になる」という傷があるから。さらに「私は空気が読めない」と「私の話はつまらない」もある。

それは、単に自分に対する偏った思い込みなんだろうとは思う。でもそれは、心のあちこちに、ガッチリ鍋底についた汚れのように簡単には剥がれない。
一旦「自分が人からどう見られているのか」という妄想に囚われるとなかなか抜け出すことが出来ず、最後は必ず地の底まで落ち込んでいく。

私は人生のどこで、こんな風に考えてしまう「傷」を負ったのだろうか。どうしてこんなにも必死に自分を守ろうとしているのだろう。

負の感情は、とても疲れる。
『考えすぎ』は、大抵ろくなことにならない。
だから普段はコメントを書かずにいる。

でも時々どうしても書きたくなることがある。よせばいいのに、先日うっかりいくつかコメントを書いてしまった。
『うっかり』といっても、書くまでかなり悩みに悩んで、書いてからもまだ送信ボタンを押すかどうかもかなり迷う。でも押してしまった。

相手の方は、きちんと読んで返事を書いてくれた。
それで終わり、で良かったのに。

『気を使わせてしまった』
コメントを送ったことを、激しく後悔した。
どうしてわざわざいらないコメントを送ってしまったんだろう。

相手の方は、明らかに『好きで才能も溢れる物』を持っていた。でも、それを今すぐ積極的に使おうとしていないように、私には感じられたのだ。

『どうして明らかにそんなに好きな事なのに、今すぐやらないんだろう。人間なんて、いつ寿命を終えるのか分からないのに。』

『私が持っていないものを、あなたはちゃんと持っているのに。』

今ならなぜコメントしたのかわかる。
私はただ、羨ましくて仕方なかったのだ。才能があるのに、「今は使わない」と言える人が。
だから、心底『もったいない』と思ったのだ。
私の『傷』に触れたから、心が反応してしまった。
ただの八つ当たりだった。
相手からすれば、大きなお世話。
大変失礼な事をしたと思う。
…止めておけば良かった。


…ダメだ。
いつものメンタルダウンが始まった。
0か100。極端な私。
「やる」か「やめる」かしかない。

noteなんて、始めなければ良かった。
全部消してしまいたい。
やっぱり私はダメなやつなんだ。
負の感情が騒ぎ出す。
毎回些細な事で、傷から血がダラダラ吹き出す。

もう逃げてしまおう。
傷口に包帯をぐるぐる巻きにして、これ以上傷つくくらいなら見ないでおこう。
私は平気。大丈夫。
そうやって、ずっと新しい環境に入ってはまた逃げ出してを繰り返してきた。

でも、今回はなんだか平気じゃなかった。

子供が不登校になって3年。
子供の事は大好きだけど、常に家には誰かいる状態で、泣ける場所がない。
涙が出るのは大抵お風呂。

お風呂に入っていると、急にぼたぼた涙が溢れ出てくる。あー、思ったよりダメージ受けてる…。

怖い。人が。
何考えているのか分からない。
学生時代の友人のいじめを思い出す。
人は平気で嘘をつく。
怖い。
怖い。
怖い…。

私はいつから、心にこんなに傷を負ってしまったのか。血がどんどん吹き出してくる。傷口がどこにあるのか分からない。涙が止まらない。

私はこんなにも、人を怖がっているのか。
ふと、おかっぱ頭の女の子を思い出す。

あの子は私だ。
怖い、怖いとずっと泣いている。
どうしたらいいんだろう。

心の中で、その子を抱きしめてみた。
もう、一緒に泣いてしまおう。
そうだよね。怖いね。怖いよね。

しばらく『怖い』でいっぱいだった。

涙がひっこんできたので、
「どうしたい?」と聞いてみた。

「怖い」
「でも、諦めたくない」
「自分を諦めたくない」


人が怖い。
でも同時に、人が人に励まされたり、癒やされたりすることも私は知っている。
心の奥底では、きっと私は人が好きなのだ。
人が好きだから、嫌われたくないし嫌いたくない。だからいつも人間関係を築く前に逃げてしまう。

noteを始めてから、好きだなぁ、会いたいなぁと思う人はたくさんいる。でも、心の傷を放置しているから、実際に会う勇気がない。
心の傷を癒やすためには多分第三者の助けが必要だなと思っているのに、いわゆる「セッション」を受ける勇気もまだない。セッションをしてくれるのも、また『人』だから。

リハビリが、必要だな。
まだちゃんと傷口も縫えてない。
ちゃんと傷を治して勇気を出して人と交流しないと、成功体験で記憶を上書きすることが出来ない。

私があの人と会いたい、と思うように、私に会いたいと思う人がいるのかな。
また、『いないかもな』と思ってしまう。
もう重症だな。
『1人になりたい』と『かまって欲しい』が行ったり来たり。1人やじろべえが忙しい。

でも、おかっぱ頭の女の子を二度と1人にしてはいけない。それだけはわかってる。

痛いやつだと思われても仕方ない。
私は『私』を諦めたくない。
結局どんなに頑張っても、私は『私』。
『私』をやめられない。


あぁ、本当に。
自分はなんて面倒くさい人間なんだろう。

でも、私はもうこの箱から出ると決めたのだ。

noteを消すのは一旦止めよう。
消そうと思えばいつでも消せる。


箱の中の空気は淀む。
外の世界は果てしなく広い。
さあ、きれいな空気を吸いに行こう。

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