見出し画像

MyFairLadyみた!!

MyFairLady見てきました!

曲も素敵だし、お衣装もがっつり踊るのも大好きな作品💕みんな大好きな古典よね!!

原作はバーナードショーの「ピグマリオン」1912年頃に描かれた作品で、イギリスが舞台のお話。

1912年って言ったら女性の参政権運動が活発になってきたころで、実際に参政権が女性に与えられたのが1918年だから、まだまだ古い時代なのよね。

そんな時代的な背景の中、バーナードショーさんが描いたのは、下町の花売り娘に、貴族が使うような訛りのない言葉を教えて貴族として振る舞えるように教育するっていうおはなし。

生まれに関わらず、教育によって社会的地位を獲得することができるっていうメッセージが、当時としてはすごく画期的だったんじゃないかな。女性に教育を受けさせて、女性が知識を獲得することに誰も疑問を持ってないのもすごく好き。

てなことを考えつつ、花売り娘のはすっぱなイライザのかわいさに完全にやられるじゃん。イライザは神田沙也加さんと朝夏まなとさんのダブルだったんだけどどっちも素敵、さあやはとにかく、あれはもうコベントガーデンのアイドルでしょ。かわいい。さあやの低い声好き!!!

まあ様は手足なっがいダンスうっまい!そりゃちょちょいってダンス教えたらすぐ国王陛下と踊れるようになるわっていう運動神経を感じさせるわけ。

そうそうたる歌って踊れる人たちがいっぱいいて、みんなで歌って踊るとこで毎回テンションあがる!!!町屋美咲さんって、もう、顔も可愛いんだけど仕草っていうか動きがなんかディズニーアニメーションの世界なの。重力がディズニー。かわいい!すき!わかって!!重力がディズニー!!!

えっらい早替え大変だろうなあって思いつついっぱい見られるの嬉しい。

茶谷さんナイツテイルにいない泣って思ってたらここに!わーい!!あと、鎌田さんを見ると安心しちゃうよね。

イライザのパパは、娘を使ってゆすりたかりをしたり、飲んだくれてばかりだけど、くるくる頭が回る愛嬌のある人物。この描き方にもバーナードショーさんの、当時にして驚きの階級差別のなさを感じる。低い階級でも、ちゃんと人間で、能力に差があるようには描かれないのね。パパの今井清隆さんが、ほんっっとすてきで魅力的。歌って踊ってええ声でペラッペラ喋って、ショースターなの。お歌はみんな大好きな深くていい声なんだけど、踊るのが、踊れる人がちょっと乗る感じほんっと好き!ハットの扱いもイケメンだし、最後ダブル回ってじゃんってなるの、いっけめん!何歳なんだろう。すごすぎる。余裕のある動きがイケおじだよねええ。

は!また荒ぶった


イライザが「レディとして扱われるからレディになれるんです」っていう趣旨のことを言ってて、これ、おんなじことをME AND MY GIRLのサリーも言ってたけど、ほんとだなって思うの。相手を大切に扱って初めて、相手にも大切に扱ってもらえるよねって。大事にしたい言葉です!!!

イライザにもいつだって丁寧に接して、イライザとの関係を「友達」って言い切るピッカリング大佐、ほんとにヒギンズはいい友達を持ったよ。ピッカリング大佐が登場人物で一番リベラルだと思う。

ヒギンズ教授の発言って、階級差別的だし、女性差別だし、人を人とも思わない感じでむかついちゃうんだけど、よく聞くと(時代に合う作品になるように丁寧に台詞を変えてるんだろうけど)、無邪気なのよね。女性だから能力が劣るとは思ってないし、階級の違いなんて教育でいくらでも巻き返せると思った上で、「僕以外みんなアホ」って思ってる節がある笑笑

女なんての曲もよく聞くと女性をあげつらってるわけじゃなくて、イライザに怒られて出ていかれてショックだし考えてることがわからん!イライザは何で僕みたいに考えられないんだっていうことなんだろうなって思うの。

何度もいうようにそう聞こえるように作り直してるんだろうけど。

国王陛下の舞踏会で、お姫様だとみんなに思われる振る舞いをして、レディになることに成功したイライザ、彼女のその後についてはいろんなパターンがあるの。

原作、ピグマリオンではイライザがヒギンズ教授のところを出て行ったところで終了。教育を受けて自立しましたってことなんだろうけど、すごいなってもう。女性に参政権が無い時代なのに、お嫁に行くことをゴールにしないって言う。

マイフェアレディの結末は、ヒギンズ教授とイライザが結ばれて終わるの。建前的にはイライザが自立して終わるのがかっこいいのよ。バーナードショーあえてヒギンズと結ばれさせなかったのもわかる。わかるんだけど、夢見るオタクとしては、これだけ同じ志を持って頑張った二人、しかもヒロインとヒーロー?には結ばれてほしいのよ。オタクだもん!!!

だから、ヒギンズ教授のところに戻るのもありだわあ。でも面白いの。カップルによって気持ちが違ったの。さあやと寺脇さんのカップルの時は、「さあやに何してくれてるのよ!寺脇さんのところに戻らずに自立してやろう!!!なんなら私が養う!!」ってなるし、まあさまと別所さんのカップルは、小学生カップルみたいで「恋人っぽくはならないだろうけど、楽しく一緒に暮らしたらいいんじゃない?」っておもったの。

ヒギンズ教授と結婚する唯一のメリットはお姑さん。

花売り娘なのに対等に扱ってくれて、「私の大切なお客様よ」って言ってくれて、自分を守ってくれて息子のことを叱ってくれて、さばさばしてていいよねえ。お姑さんはぜったいこの人いいはず。

私のお姑さんに結構似てるのよね。あと、顔と声も私のお姑さんと前田美波里さんは似ています。イライザさん、こういうお姑さん、けっこういいよ!

ヒギンズ教授の恋のライバルはフレディっていう、あたまがふわふわした感じの貴族で、イライザが大好きすぎて、毎日お手紙を2通も3通も送って、あほっぽく「いつまででも待ってまぁす!!」っていってほんとにイライザのおうちの前でイライザ出てくるまで待ってるんだけど(顔はいい。)、

さっき、一緒に宝塚ファンやってた友達と「フレディいつまで待ってるつもりなの?手紙1日2通とか、かく??キモーい!!」って言った瞬間何かに気づいてしまいました。

「あれ?ねえ、これ、こころあたりない?」

「ある・・・」

「私たち、毎日入り待ち出待ちしてたね。寒くても暑くても外で」

「してたね」

「手紙は1日に2通かいてたね」

「入りのときと出のときにね」

キモいのは私たちでした。しかもフレディはイケメンでお金持ちだって言うのにわたしたちときたら。。。


そんなわけで、とっても楽しい観劇でしたん。

こういう、古典的な作品は、現在の社会的な状況のなかでは不適切な表現や、今では受け入れられないような言葉遣いがチラチラ見えることがあって、そういう作品の見方ってすごく悩むよね。

私は、不適切だからって全部かえるのが良いとも思えないの。シェイクスピアさんのFrailty thy name is a woman(弱きもの汝の名は女なり)なんてすてきな台詞だって、今の価値観とは全然違うわけだけど、だからといってハムレットにその台詞がなかったら残念無念ってなっちゃう。

歴史的背景をふまえて、これは今の世の中的にはアウトだけど、あの時代にはすごく先進的な言葉だったんだなあって「分かって」見たいなっておもう。でもその言葉で傷つく人がいるならば、やっぱり大勢の人が見る劇場でかけるべきじゃ無いだろうし、むずかしい。

このあたりのエクスキューズを事前に作り手と観客がすりあわせておくことができたらいいなって思うの。

とくにMy Fair Ladyなんて、差別と戦ったり、女性の自立をテーマにしたり、先進的な作品だったことを考えると、「女性差別的」「階級差別的」といっちゃうのもなんだかでしょ?

むずかしいことを考えたりもするけど、でも、曲もお衣装もダンスも何もかも素敵で、幸せな観劇でしたん!そして毎度毎度感想がとんでもなくながい・・・




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?