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ある馬の物語 生きてるものを「所有」するということ

馬が出てくるからって軽率にみにきたら、ちょっとこれは馬乗りにはきつすぎた。終演後トイレで過呼吸っぽくなって劇場閉まりかけて焦りました。

ここから先、馬の関係者読まないで!!
しんどすぎるわ

あとネタバレもあるでよ



成河さん演じるぶち馬の一生のお話し。
俺の不幸は、俺のことを、神様のものでもなく、自分自身のものでもなく、誰かのものだと人間がみなしてきたことだ。

ってそのぶち馬はいうの。

馬を「所有」することって人間独特のエゴだよねって。

ぶち馬の所有権は、人から人に移転していく。最初、ぶち馬は、まだらだぶちだって蔑まれてるなか、素晴らしい馬だって請け負ったセルプホプスコイ公爵に買われて、信頼関係を築いていくの。

ぶち馬は「所有」っていうけど、馬と人間の信頼関係って人間が一方的にすきに扱える「所有」じゃないと思うの。
愛玩動物への、一方的な与え与えられる関係ともちょっと違って、経済動物として馬に求めることもあって、その分人間は馬の幸福を保証して、お互いにお互いを助けてる感じを持ってると思うの。

わたしは、ザレーノとも、その前の馬のボタンブライトとも、パートナーだっていう信頼関係があったって信じてるし、所有かっていうと所有はしっくりこないな。責任って感じ。とはいえ、わたしがその馬の生殺与奪を握ってる。

公爵とぶち馬の間にもわたしとザレーノたちとの間にあるみたいな信頼関係があったように思う。

ただある時、公爵は、ぶち馬を競馬で走らせた後、浮気をした愛人を追うためにさらに馬に鞭打って走らせて馬を怪我させちゃう。

何度も何度も手術して治療して、だけどよくならずに結局ぶち馬を売っちゃう。

いろんなところを転々としておいぼれたぶち馬は、やっぱり歳をとっておいぼれてお金も無くなった公爵に会うんだけど、公爵はなかなかあの馬だって気づかない。
や、気づいてるんだよね公爵。でも言い出せないよね。抱きしめて首を叩いて、酔っ払って夢うつつで去っていく。

厩舎を離れてった馬に、手放した人間ができることなんてそれだけだよね。気安くさわって俺の馬だったんだって言えないことこそが罰だと思う。

最後ぶち馬は「処分」されるんだけど、枠場につながれてクレーンで釣られるまえに「治療だな!よし!頑張るぞ」っていうの。それだけ信頼してるってことはやっぱり公爵に本当に大事にされてたんだって思うし、それでも手放して結局こういう最後を迎えさせた公爵は本当に罪深いと思う。

この、ぶち馬の最後って、馬乗りにとってはいつも身近に持ってる罪の意識だと思う。生きられるのに殺すってことは経験してない人も多いけど、助けようと思ったけど、ああいう枠場で、クレーンで、ああいう場所で、自分を信頼してくれてる馬を死なせる経験はきっとみんなあって、それは身近な人間をなくすよりあるいみしんどい。

生き物への「所有」って、本来はただの責任で、相手が口が聞けないならそれだけ所有者がやらなきゃいけないことはいっぱいあるしやっちゃけないこともいっぱいある。パートナーが幸福であるようにいつでも考えなきゃだと思う。それでもそもそもそんな生き物を「所有」すること自体への罪深さはあるな

生き物と一緒に生きていくことじたいが罪なんじゃないかとも思う。

それでも、あのぶち馬が公爵に寄せていた信頼をわたしも馬たちから勝ち得てるなら、その信頼に応えたいし、ぶち馬が何度も「俺たち」って言ったような、チームを組んでる高揚感は馬も人間も共有できてる気がする。

天国に行った時にボタンブライトがわたしを探してまた三白眼でベロを畳んで見せてくれるって信じてるし、ザレーノはどこであったって大好きを全身で教えてくれる。せめてわたしの身近な馬達が、最後の最後まで幸せで、わたしも彼らの信頼に応えられたらと思います。

ところで成河さんの馬があまりにも馬でびっくりです。今顔周りに蝿がいるな、とか、今速歩だなとか、物見したなとかぜんぶわかる。

そして、過呼吸になりながらも思い出す、小西遼生さんの美しさよ。。。。とんでもねえ!!ほんっっととんでもねえ。

馬役みんなに、「この馬に似てない?」って思えるほどリアルでバラエティ豊かな馬たちもすごかったです。

はああああ、胃が痛いよう。。。


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