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今回のトルコは40回目でした

この8月の休みに、ベルガマに行きました。
2011年にトルコに行ってから40回目です。

最初に行った時から、ここは特別な地になるとは思っていました。

ハマムの家から庭の家への通路 ここは5軒の家で構成されています

特別な地になったと思います。
ここに住んでいれば恐らく5年でプロジェクトは終了できたかもしれません。少しづつしか進んでいきませんが、仕方がありません。自分には日本に仕事があり、自分の知識を学生を教えたいのです。

色々な物事が、不思議なタイミングで現れるので、これでいいのだと思います。

昔ここに住んでいたルム(ビザンツの生き残り)の共同ハマム

コロナもあり、2020年から2年は行き来が出来ませんでしたが、その間にオンラインで沢山の友人と交流会をして(毎週日曜に開催して123回になりました)、語学学校のトメルではトルコ語C1を得ることが出来ました。
トルコの学者のガレノス著作も読めるようになり、アメリカ、イギリス、トルコと異なる文化の学者の視点が違うこともよくわかりました。

ハマムの屋根が落ちているので仮設屋根をかけています。タープの上で猫が何匹も寝ています。遺跡の細かな保全は手間がかかります。

Bu hafta 3. sınıfın konusu: Gençken yapmak istediğiniz meslek neydi? Şimdi hayalinizdeki mesleği yapıyor musunuz?

これが先週のトルコ語会話教室のテーマでした。
(小さい頃にやりたかった仕事は何ですか? あなたは今、夢の仕事をしていますか?)サルペル先生が、毎週出すテーマですが、特に前もって作文はしません。ざっくり日本語で考えて、トルコ語の単語だけ調べておきます。

私の生まれた茨城県の実家の周りは畑が多く、沢山の土器のかけらが出てきました。小学生の頃、私はそれを拾い、クッキーの缶にそれを沢山しまって宝物にしていました。私はこれは凄く古いもの:弥生時代のものだとあれこれ調べて知っていました。そして当時は考古学者になりたかったのです。シャンポリオンやシュリーマンに憧れました。
ある時母が近所の農家の方から「少し前にここいらには食器工場があったからだから欠片が出てくるんだ」と聞いてきて、その宝物は重要ではないと言ったのです。そしていつのまにか宝箱から捨てられていました。私の夢も変りました。大学では化学を専攻して人工臓器を研究していました。
その頃、近所でテニスコートを作る工事が始まり、地中から食器工場が出てきたというニュースを聞きました。本当に食器工場はあったのですが、ですがそれは弥生時代のものでした。1000年から2000年も「近所に食器工場があった」と言われ続けてきたのでしょう。100年で4世代交替するとして500人が伝承してきたことになります。宝物は失いましたが、それが凄く面白かったのです。今、大昔から伝えられて何気なく残っている物、伝承、食べ物や料理の方法や薬草や健康法、衣服や繊維製品、家の建て方、そんなものが面白くて仕方がありません。
私は今考古学のプロではないのですが、ベルガマの家は遺跡で出来ていて、その地下には墓があります。墓を発掘することはないと思うのですが、その上で眠っていることは、とても幸せです。

とまあ、こんな話をしました。

そう、私は、ベルガマに騙されているのかもしれません。
ガレノスが書いた「我が故郷ベルガマには、〇〇がある」それを読み
それを今も存在することを見つけた時の興奮は何物にも変えられないことなのです。


ペルガモンのアクロポリス

少数の人たちが何かに憑りつかれたように仕事をすることがあります。
一部の天才だけかもしれません。父も姉もそうしていたのを見たことがあります。人間が天才的な発明をしたり、芸術家が仕事を成し遂げる時にしばしばそういうことがあります。

だから、いいのです。騙されているように見えても。

いつか、面白いことがわかるかもしれません。

私は、毎日、新しい発見でワクワクすることができるんです。
トルコ語でもギリシャ語でも、一つの単語でもワクワクできる、そんな自分は生涯しあわせだろうなと思うのです。

2020年からここを管理してくれている管理人の家族が用意してくれる朝ごはん 幸せです

私がコロナでトルコに行けない間に、ここが壊れないように管理してくれている管理人親子には感謝しています。
ありがとう。
すべての物事にありがとうと思います。

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