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なんで今トルコ アイハン氏のこと

なぜ急にトルコに行ったのか。

トルコに到着したところまで、お話しました。
われらの友、アイハン氏が空港で待っていてくれたのです。

それが、今回の一番の理由でした。
この2年日本から、いや群馬から出ることもせず(教員なのでルールを守っている)マンボウも解除になり、隔離7日になってすぐに出かけた理由です。誰にも言わずに出かけたことは申し訳なく思っています。

なお彼は妻がいます。

このアイハン氏、2019年のパパティアフェスティバルではアドナンメンデレス空港で日本人のお客さんを待っていてくれてベルガマまで連れてきてくれて、帰りは空港まで送ってくれていた接待班のキーマンでした。

当時、このアイハンの孫 ゼイネップちゃん 2歳が、白血病に罹患してちょうどこの頃に治療のためにベルガマからイズミルに通わないとならなくなったのです。
白血病治療に週に数回の120キロの通院。免疫力が落ちているので、公共交通機関が使えません。
なので自家用車を用意しろと医者に言われたけれど、まだ若い娘夫婦にはそれを買える余裕もなく、彼らのコザック高原の土地を私が買うことで援助することになりました。トルコの車は異常なほど高いのです。当時中古車で130万円しました。

そのお返しで、アイハンと婿がパパティアフェスティバルを手伝ってくれることになりました。婿さんのオヌルは編集能力が高かったのでパンフレットやポスターなどの制作をしてくれました。

アイハンさん

パパティアフェスティバルの閉会式で、みなでゼイネップちゃんが良くなることと2020年もパパティアフェスをやれるように皆で祈ったのです。
嬉しいことに、一つは叶いました。

ゼイネップちゃんは妹が生まれ、臍帯血移植が効果があった様子で、ほぼ完治し、今年の春から抗がん剤の影響もあって小柄ながら小学校一年生になりました。
私は、とても嬉しいんです。

開催できなくなったパパティアフェスの代わりの毎週日曜のパパティアミーティングには、アイハン、イルファン、サルペルをはじめとしてトルコ人の友人と日本人が集まります。
本当に参加してくださって感謝しています。

ここの参加者がイズミルやベルガマを訪れる時には、いつもアイハンたちが率先してもてなして案内をしてくれています。空港へのお迎えもしてくれます。
アイハンもイルファンも社交的で、日本人の友人が来るのを心から喜んでくれているのです。

助け合う関係


第一回パパティアフェスティバルが終わったすぐあと2019年の5月。短い期間でしたが私は再びベルガマに行き、2020年のパパティアフェスを何とかするために企業回りを始めました。
イズミルで美味しいものをたらふく食べたあと、胆石発作に襲われて、動けなくなった私を助けてくれたのがアイハン氏とお母さんでした。

そんなことから、お互い助け合う関係が彼ら家族とは出来上がっていました。
2020年に急遽ベルガマを離れた後、孫のためにベルガマに引っ越して来ていたアイハン氏はコロナによる仕事激減のため仕事場と家族とすむ家を、私のガレノス博物館予定地に移して、ここに住む代わりに管理をするという管理人をしてくれています。(ガレノス博物館予定地は現在家が5軒あるのです)

2020年3月になんだか体調が悪いというアイハンをソマ(ベルガマの隣町 大きな落盤事故があった町)の私立病院に連れて行ったのです。
ですが、この時になぜわからなかったのだろうと、今になって後悔しています。

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