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コロナ禍で仕事が完全になくなったイベント裏方がもがいた、書き残し #3

前回、仕事探しを始めたが「テレビ」の仕事は、テレビ業界がコロナ禍に飲まれるという予想外の事態で失敗に終わった。

仕事探しの次の候補が「新聞社」であった。
コロナ禍でも新聞は毎日発行されていて、新聞社発のweb記事は毎日数えきれないほど発信されている。「ニュースがなくなる」ということもないだろう。

実は私は小さい頃から新聞コレクターだった。
小学生新聞を購読しオリコンランキングと視聴率ばかりみてしまうダメな小学生だったり、高校生の時は、朝日新聞の「声」欄に投書が掲載されたりと、新聞とは人生のあらゆる時に思い出があった。

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写真は私の新聞コレクションのごく一部。
箱根駅伝の時はもう10年以上全紙購入、野球、競馬、芸能のコレクションもあり「新聞」が好きだったことも後押しし、新聞社の仕事を探しを始めた。

なんとなくだが、派遣ではなく企業に直接雇用してもらえる形がいいのではと思い、新聞社のホームページの採用情報を片っ端から確認した。

スポーツ新聞社の2社ほど募集を発見でき、即応募。
両社共に書類選考は突破し、面接となった。
面接では自身の、芸能の知識の有無、スポーツはどの競技に興味や知識があるか、ライティング経験有無等を聞かれた。
お金をもらってのライティング経験なんぞあるわけがないので「ありません」と伝えたが、ミーハーですか?という質問には自信をもって「はい!」と答えた。自分が元々いた芸能の世界ではミーハーはことタブー視され忌み嫌われるが、おそらく新聞の世界ではミーハーさが必要なのだろうと踏んだ。スポーツ紙なので、興味があるスポーツについて聞かれたがここは2社で答えを使い分けた。勝手な自己分析に基づいた作戦として、A社は正統派っぽいので、A社では野球と陸上競技を挙げ、B社では競馬好きを全面に押し出す作戦で通した。余談だが、面接の際「新聞社にはなんとなく昭和臭がする」と感じた。

結果、B社から「採用」の連絡を即日受け、
翌週から新聞社での勤務が始まることとなった。

「もし、コロナがなかったら」
私の人生において、"新聞社で働く"ことはなかったかもしれない。
そう、一時的かもしれないけれど「コロナで人生が変わってしまった」瞬間でもあった。

次回からは「コロナがなければ出会うことすらなかった新聞社の人たちとその仕事」についてつづります。

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