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私といると苦しくなる人がいること

この世界には、自分が意図せずとも人を「苦しめてしまう」ことがあることを実体験から知っている。

配慮に配慮を重ねた幸せを願ってのささやかな行為さえも、幸せになってほしいと願っている人を「しんどくさせてしまう」ことがあることを、この瞬間にも実感している。

私の考え方や、容姿や、話し方や、あらゆる立場やその在り方、もはや存在そのものすべてが、私の知らないところで誰かを苦しめている現実をずっと生きてきた。

目の前の楽にしたいと願えば願うほど、理想から遠ざかっていく現実を目の当たりにしてきた。

意図せずとも、人を苦しめてしまいながら、人をしんどくさせてしまいながら、(すごく申し訳ない気持ちですごく申し訳ないけど)苦しめてしまっている側の私も、しんどくさせてしまっている主体の私も、苦しさとしんどさまみれだった。

そして、それは人と関われば関わるほど、私を生きれば生きるほどに、途絶えることのないもので、その自覚が芽生えたいつからから一度たりとも解放されることはなく、その絶望と対峙しながら生きてきた

その一方で、きっと私といることで、楽しいなとか、面白いな、なんてポジティブに感じてくれる人もいるのだという確信もある。(本当にありがとうございます。有難いなぁという気持ちでいっぱい。)

けれど、例えばここに羅列しているような文章、まさに私という人間の全部が無造作に、無制限に、放出され続ける時

その人たちは楽しいな、面白いな、なんて感じるだろうか。

たぶん、感じない、思わない、言わない

そんなある意味、自分勝手な思い込みや諦めや寂しさの中にずっと一人立ち尽くしていた感覚のイメージ。

そんなことまでを含む私という人間の全部を前にしても、「私が今よりも幸せになること、私が今よりも楽になること」が自分の夢だなんていう人が現れて、この世界は何がどうなってるんだと耳を疑った。

今まで、私自身もたくさんの人の幸せを願ってきたし、これからも願い続けて働きかけ続けて生きていく。

その私は、私の人生の主役ではあるけれど、みんなの人生の中ではひたすら黒子で、私にも感情の有無があることや、自分勝手でちっぽけながらもこのような悲しみを抱えていることなど気づかれることもなく、必要な時に現れて期待されているのであろう役割をその空気と行間から読み解き、役目を果たせば音もなく姿を消し、ある意味で非常に都合の良い消耗品だった。

もちろん、私がやりたくてやっているんだから、こうして見返りを求めてしまっている自分勝手さには、恥ずかしさすら感じられるのだけれど、だからこそ、だからこそ、だからこそ....!

私だって分からない、分かり得ない、手に負えない、私という人間の全部を、幸せにしたいとか、楽にしたい、とかいう言葉や言葉の送り主との巡り合わせには驚きを隠せない。当然、これは夢、私の聞き間違い、何かの勘違いだと思って、何度も繰り返し「正気か」と聞き返した。でもどうやら正気かつ本気かつ本心らしい。

こんな人、いるんだぁ。こんなこと、あるんだぁ。

その認知と実感と、現在におけるゆるぎない事実が、心のどこかでいつも苦しくてしんどくて寂しくて、その他大勢にとっていつも都合が良い便利な消耗品だった私を、どれだけ楽にしてくれただろう。

私が近くにいても、ずっと隣にいても、苦しくない、しんどくない人。私がさすがにここからは苦しいだろう、しんどくなるだろうと思うことを、むしろ喜びで歓迎する人。その全部を黙って聞いた後、嬉しいと喜んで、ふふっと小さく笑って電話越しにキスする人。

そんな、同じ時代に実在し、同じ時間を共有していける人物の存在の発見が、「人と関われば関わるほど、私を生きれば生きるほど、絶望と常に対峙しながら生きてきた」私の人生に、大きな揺さぶりをかけた。

もしかしたら、今まで私が絶望と認識してきたものは希望という言葉で上書きされていくのかもしれない。これからどんなことがあるか分からないけれど、きっとこの出会いは私と私の周りの世界を広く暖かく今よりももっと幸せで楽な世界へと加速させてくれるんじゃないかなと、不思議とどこか穏やかで安心に包まれたワクワクを実感している。

これから先も、私は、意図的に、そしていずれ意図せずとも、目の前の人を楽にできる人に近づいていきたい。

そして、「大切な人の大切な人との大切な子どもたちと笑いあっている未来」を生きていたい。





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K

10年後、大切な人の大切な人との大切な子どもたちと笑い合っていることが夢。20160116~
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