#生きたくなる朝がくる。




自殺願望なんていったら大袈裟かもしれない。

でも、「この先の景色が見たい」とはどうしても思えなかった。



2015年末にこの世を去った高橋まつりさん、

2016年に亡くなった雨宮まみさん、

この2人の遺した文章を読んだときは、「共感」なんかじゃなかった。

あれは共鳴という感情だった。



まつりさんの生前のツイートを布団の中で全て読み上げた。

彼女の会社での出来事を綴るツイートを「ユーモア」とかなんとか言って評価する人がいたけど、なんか違うんじゃないかなと思った。

ことばにするのは何か違う、ことばも気持ちも追いついていかないような、ひとりぼっちのような感情がある。そういう感情をことばにするときのあの、柔らかな屈辱を知らないのだろうか。



雨宮さんの「死にたくなる夜のこと」はもう何度も何度も読み返した。

私は彼女と交わることのない日々を送っていたし、彼女が亡くなってから彼女の存在を知った。けれど、1人で息を潜めているとき、私は彼女と同じ場所にいたのかもしれないなと思った。

あの文章はそれからしばらくの間、私の救いだった。





ずっと、2016年、わたしの身に起こった小さな苦しさについて、

こういう場所でことばにしたいと思ってきた。

でもできなかった。

それは多分、泣いてしまう人がいると思ったから、

ことばにすることのエフェクトを私が知っていたからだと思う。


もちろん、楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。

だけど、2016年といって私が思い出すのは、

表参道で足が竦んで動けなくなったこと、

毎日1人になると電車で泣いていたこと、

布団から起き上がることのできない自分を責め続けたこと、

眠れない真夜中に家を抜け出してあてもなく自転車をこいで明け方に帰宅して眠りについたこと、

初めてリビングで精神安定剤をのんだこと、

そんなことばかりだった。




今まで見たことも体験したこともない絶望の中に落ちていった。

いつの間にかに絶望の中にいることが私の日常になって、だからそこから抜け出せるときがくるなんて思わなかった。

私の話を真剣に聞きながら<認知の歪みを直す方法>と書かれたプリントを渡した先生、「来週までに当てはまるものにマルをつけてきてね」「症状は螺旋階段に登るような感じに良くなっていくから、焦らないで」




感受性が豊かだね、とか、繊細だね、とか言われることが多々あって、

なんだか嬉しく思っていた。

私は人よりも多くのことを感じられるんじゃないかと思っていた。

だけど、もう、こんな気持ちになるのなら、そんなもの死んでしまえばいいと本気で思った。




こういう状態から自分がいつ抜け出せたかは、正直覚えていない。

ただ、絶望を抜けだしたあと、希望に近いものがやってきて、

そしてまた絶望して、希望が見えて、ということを繰り返すうちに、

絶望と希望は交互にやってくるものなのだと知った。

それに気づいたことは、私にとって財産で、絶望に少し安心感を抱くようになった。あの時は永遠と抜け出せないと思っていたから、出口があることを知っただけで随分と楽になった。



自分のことをこれっぽっちも自分で信じることが出来なかったときに、

友達がさも当たり前のようにわたしのことを、私のなかの強さを信じてくれたことはとても力になった。

心療内科の先生ではなくて、もっと身近に頼るべき人が大勢いることに気づいた。

苦しかった日々を話したら涙を流してくれた人がいた、何で気づけなかったんだろうと言われて胸がいたかった。

写真を撮る理由を、写真を撮る意味を知った。

「でも認知の歪みがなければ、この世には音楽も詩も芸術作品も生まれなかったんだよ」



私だけが苦しいわけじゃないなんてことはよくわかっているつもりです。

そのくらいの想像力は、自分がどんなにさみしくて苦しいときでも持っていたい。

人を救いたいとか、変えたいとか思うことは傲慢で、

美しい気持ちだったとしてもそれを肯定しきることは難しい。



そんなことを考えながら日々を過ごし、

明治学院大学国際学部国際学科を卒業しました。

決して高学歴とは言えないけど、

この大学、この学部に入って、尊敬する先生の元で本気で勉強して、

今後の人生でも問い続けるに値する問いを見つけることができた、

そんな自分の大学生活には悔いはありません。

嘘です、後悔はあります。

なぜもっと頑張れなかったのだろうと、そんな風に思うことはあって、

そういうのを卒業ということばで綺麗に美化しようなんて思わない。

うん、とても悔しい。

1年経って悔しさは薄れるけど消えることはないんだろうね。

でも「なぜもっと頑張れなかったのだろう」は自分を信じていれば、

永遠に持ち続ける想いでもあるのかもしれない。




卒業してうっすらと夢を叶え、制作会社で働きはじめた。

時々聞かれる「社会人になれた?」という質問は、


Did you become a member of society?

Have you got used to working people?


のどちらのことを指しているのか分からなくて、

毎回しどろもどろになりました。

まあ、後者なのでしょうけれども。




エネルギッシュに働く一方で、愛だの恋だのに絶望して

「もう自分から人を好きになることなんてないのかもしれない」

とかなんとか本気で思っていました。

20歳かそこらの「もう人を好きになれないのかも」なんて発言は、人生の先輩方が聞いたら、なんつうか、すごく馬鹿にされるんじゃないかなって思います。

でもいつだってこんなこと言う若者の心は繊細なんだぞ!本気なんだぞ!笑うんじゃねえし!って思うし、実際私がそうだったので、これを読んでる皆さんは、こういう発言を聞いても馬鹿にはしないでください。。。



まあ、私はこの後まんまと、とある人にめろめろになってしまったので、

馬鹿にされても笑われても仕方ないのだけれど、

でも、うん、大目に見てほしい。

ひとをすきになることはとても甘美なようでありながら、ほろ苦い。

綺麗なようでグロテスクだ。


でもわたしはひとをすきになることがすきなんだと思う。

相手のことを知りたいと思う気持ちの理由、そんなことはとりあえず後付けで良くって、どうしても何か答えなきゃいけないのだとしたら、「すきだから」と答えるだろう。


自分の五感を駆使して、全身全霊で相手を見つめて、

そのひとの輪郭をなぞろうと必死になっていたのだけれど、

相手の輪郭をなぞることは自分の輪郭をなぞることでもあるんだなあとぼんやりと思う。

そしてそれは、わたしとそのひとの境界線を見つめることでもあるんだろう。


「傷つける」/「傷つけられる」

これは境界線上で起こる出来事なのかもしれない。


私は恋愛において、はたまた人間関係に置いて、

傷つける/られることをダメなことだとは全く思っておりません。


そのひとに好意を寄せている時点で、自分でそのひとに傷つけられることを選んでいるって思うし、もうとっくにその覚悟はできている。

そして傷つけられるというのは、自分の心に相手が深く刻まれるってことでしょう。そんな感性メンヘラだとか言われたら中々言い返しにくいですけれど。

でも相手の輪郭をなぞろうとしたら、境界線を見つめようとしたら、傷がついてしまうことは絶対ある。傷つかないで触れられるものだけを、愛と呼ぶのは悲しいです。綺麗なものは誰の目から見ても間違いなく愛なんだろうけど、そういう完璧なものばかりを愛と呼ぶのはやっぱりなんだかさみしい。

世界にちらばっている、よくわからないけど多分これも愛なんだろうなっていうものをちゃんと拾い集めていきたい。うむ。



ついつい恋愛の話にこぶしが入ってしまった。



まあ、そんな風に色々なことを考えながら久しぶりにこんなにひとに夢中になりました。久しぶりというか初めてなのかもしれないけど、もうよくわからない。




仕事とかすきな人とか、新しく始めたフットサルとか、

変わらず私と仲良くしてくれる友達とか、ラーメンとか、

ヘアサロンとかお気に入りの靴とか、

いろんなものにたくさん夢中でした。最近は少し疲れてうんざりしてしまったことやものもあるけれど、でもそれでも今も色んなところにすきが散りばめられている日々なのかなと思います。


そんな日々に気づいたときに、

あの時心底どうでも良いと思っていた「この先の景色」ってこれのことか!

って思いました。

うわ〜未来は明るかったなあと。(単純すぎる)



なんだけれども、最近また不安定な気持ちがわたしの中で偉そうに胡座をかいていて、

どうしようもない苛立ちと焦りに見舞われたりして、

前回のnote.を更新するに至りました。


本文に感情ベタ打ち、みたいなあの文章は絶妙に人に伝わらなくて、

その人への伝わらなさで各所へ心配をおかけしてしまったようです。


その反省と、2016年から2018年の本日に至るまでの日々が一応なんとか繋がったということで、今度は感情ベタ打ち、ではない形でことばにしてみました。夜中のこんな時間に。


きっと人を不安に、心配にさせてしまうことはこれからも多々あると思います。もちろん絶望に打ち拉がれて苛立つことも気力をなくすこともあると思う。でもそれでも私はずっと生きていたいと思うから、それを信じてもらえたらとても嬉しい、なんていうのはわがままなのは百も承知です。


ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

なんだかそれは、とても愛である気がします。

おやすみなさい。






































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