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#平野 啓一郎「マチネの終わりに」

何度も思い出した、大学のゼミの先生の言葉。


「勉強をするにあたって、3というのはとても良い数字です。1つの考えしか知らないとそれが全てに感じますが、2つ知ることで比較できます。そして3つ知ることで相対化できるようになるのです。」



その後先生は、
「これは恋愛や他のことにも言えることですね」
と楽しそうに付け加えた。



私はそれに心底納得して、ことあるごとにこの言葉を思い出すようになった。そしてこの言葉を理解することは、自分が今見えている世界以外の景色があることを知る、謙虚さでもあると思った。



しかしながら、20代の私の人生の選択では「1」しか知りえぬ中で決断を迫られることが圧倒的に多い。
初めての留学。初めての就職、結婚、出産、転職……。この場合、「2」や「3」は未来になるわけで、今現在ココの自分では背伸びしても覗き込む事が出来ないのだ。

(こういう時、もし自分が「2」を選んだら?「3」を選んだら?と一生懸命想像力を働かせるが、それが大事な決断であればあるほど、自分の想像力に不安を感じる。)


でもどうにか「2」や「3」を覗くことが出来れば、後悔や失敗なんてないんじゃないか?「1」しか知らない状態で二度とやり直せない選択をしなければならないなんて、後悔しないはずがない。




だけど「過去に後悔してる自分」なんて格好悪いから、


「今でも後悔してることってある?」


と聞かれた時、


「後悔はその後の自分の行動によって、後悔以上のものになる(変えられる)」


なんて答えたことがあるけれど、
口を突いてでたこの言葉は、自分が未来に託したギリギリの希望だった。




だから、物語「マチネの終わりに」の登場人物の蒔野のこの言葉が心に残った。美しいと感じた。



「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細で感じやすいものじゃないんですか?」


天才ギタリストと称される、薪野聡史と
国際ジャーナリストの平野洋子。


薪野のコンサートを終えた後、深夜のスペイン料理屋で薪野が言った言葉。
この言葉に洋子が共鳴するのも、この後2人が何度となくこの特別な夜を思い出すのもよく分かる。


パリと日本、はたまたイラクと日本、
距離を隔てた2人を繋ぐのは、
音楽であり想いであり、過去だった。


ある時は過去が2人を繋ぎ、
またある時は過去が2人を傷つけ、遠ざけた。



過去はいつのまにか美化されるとか、
自分の都合の良いように解釈してしまうとか、
薪野はそんなことを言ってるんじゃない。


現在から未来が続いていくように、
過去も決して現在・未来と断絶しているわけではなく、その連続線上にある。


昨日も今日も来年もまっすぐと、時にはうねうねと続いていく。同じところに留まることは決してない。


だからこそ、
未来が決して恥じることのない今を作りたい、


この本を閉じたとき、そう思った。




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