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トルーマン・カポーティ「ここから世界が始まる トルーマン・カポーティ初期短編集」

著者の十代後半から二十代前半にかけての掌編集。
習作のアーカイブから良いものを選び出し、2019年にアメリカで出版されている。

巻末の「編集後記」「作品解題」「訳者あとがき」などにも記されているけど、アンファン・テリブル(恐るべき子ども)の誉れの通り、この若さで設定、プロット、テーマのどれをとってもアマチュアとは思えないレベルにある(プロさえ凌ぐほどの出来映えである)。

僕にはバラエティ豊かな設定に驚かされてしまう。
女子学生、黒人メイド、困窮した白人老婆、有閑マダム、脱獄囚、実業家、年老いた政治家……十代後半で、自分とは異なる性、世代、役割を書き分けられることが信じられない。
せいぜい同世代の同性を描くことで精一杯のはずである(今の日本の純文学はかなりこんな感じでつまらない。ただの私小説、あるいは「思い出小説」でしかない)。

多様なキャラクターや設定を書くということは自分自身を写し取るのではなく、他者を写し取っているわけである。
それを可能にするのは卓越した観察眼であり、審査眼であるのだけど、十代後半でどうやってそれを身につけたのか不思議でしかない。
もちろん、自分自身の心の底は映し取っていることは間違いない(当たり前だけど)。

ストーリーも素晴らしい。十分な深さ、凄みがある。

わずか数ページの掌編であるが、読者にさっと設定を理解させ、登場人物の思いを散りばめ、次なる展開を強く期待させる。
そして、最後には唸らせる締めくくり(「水車場の店」「ミス・ベル・ランキン」「ルーシー」「似た者同士」)、ハッと驚かせる意外な結末(「西行車線」章番号の使い方がにくいほど。「ここから世界が始まる」)、しっかり考えないと読み違える余韻(僕は「もし忘れたら」を読み違えていたし、「知っていて知らない人」は別な読み方をした)で終わる。
まさにテリブルである。

エンタテインメントとしての楽しみもあれば文芸作品としての豊かな香りも感じさせる。
どれもこれも掌編で終わらせず、このまま長く描いてもらいたかったと思う。

20231014

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