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2022年12月24日(土) ヒグチアイ 独演会 [ 誕生 ] 品川クラブ eX

生まれてはじめて受け取るプレゼントとは「名前」

良いこと言うね、この娘さんは。

私の名前は「〇〇」

このプレゼントの価値は、その後の自分の生き方が決める。そんなことを彼女から言われた気がしたので、昨日までの自分を忘れて、今日からちゃんと生きることに決めた。

誕生日おめでとう。

もう50歳だけど。

 

状況の良化と共に、徐々に繁忙も戻ってきていて久しぶりに休暇なしの12月。クリスマスイブは誕生ツアー最終日。楽しみにしていたのは勿論なのだが、日々のたまった仕事と解決しない憂いのせいで、12月最大の行事がどこか頭の片隅にあるだけという不安定な状態で日々を過ごしていた。


まずいな、この疲労困憊を携えてライブ会場に行ったら「お客ちゃん」になってしまう…


当日。

この日は関わっているチームの監督代行。早朝から底冷えする体育館で子供の相手をする苦行を(これが終わればヒグチアイ…これが終われば品川…)と呪文のように心の中で呟きながら責務を全うする。負けて涙する小学六年生の背中に(今度、君にラジオ体操を聴かせてあげよう)と心の中に直接語り掛けてから体育館を後にする。

そして品川到着。少し一息つく時間があったのでガソリン補給。生ビール2杯。ハイボール3杯。日本国歌・風と影には自分の知っているヒグチアイの中で唯一ビールというワードが出てくる(後述:これは間違い。かぞえうたにも出てくる。痛恨)ライブ前にビールを飲むときはいつもそんなことを考える。今日聴けたら嬉しいなという願望と共に。

さて、いよいよ。


自分はあと5日で歴が3周年になる。はじめに感情が持っていかれたのは、わたしはわたしのためのわたしでありたい。ながら仕事とながらウォーキングをこよなく愛する人間なので、聴いた数だけではそこらの古参には負けないと思う。そのわりに歌詞はおぼえられない(加齢による)

はじめてのライブはコロナ真っ最中の渋谷。フェイスシールド着用。フィルムを剝がさなかったので、シールドが曇ってしまい何も見えない…意を決して「太っているせいか熱気でくもってしまい、これじゃ何も見えないのですけど、一体どうすればいいですか?」と係員に質問をした。かわいい。フィルムを剥がすと曇らない理由は今もわからないけど。この時に今の現ヒグチカイメンバーがいたのも感慨深い。神曲mmmとの遭遇。そしてYouTubeが擦り切れるほど見たココロジェリーフィッシュを生で聴けたときは感極まった。だいたい沼ってさ、もう少しゆっくり入浴するもんじゃない?などと考えながら帰宅したことを思い出す。蕎麦のように喉ごしでチュルっと吸い込まれた感があった。

梅雨時のライブは日本橋だから良かった。いつもの渋谷とかだったら絶対到着が間に合わなかった。風と影がガツンときた(語彙力)のはこのライブから。そういえばヒグチカイというワードを思いついたのもこのあたり。ヒグチカイ的バタフライエフェクトの始点日ではなかろうか。

石川県には最高の旅が出来た。石川県は仕事上で縁あって土地勘ある場所。でもあれだけ心躍らせて石川県向かったのははじめて。そして激烈に近距離でライブ参加。よくヒグチカイで言うけど自分の歴は「もっきりや以前もっきりや以後」それくらいのインパクトがあった。もう近距離席にこだわる必要はないとも思った。やや不安定な床に置かれた椅子。テーブルに置かれた瓶ビール。ヒグチアイの衣装。背面のレコード。スマホ内のアルバムとかじゃなく、死ぬ直前とかでも思い出せるように、必死に記憶したあの場所の風景。鮮明におぼえている。来年おぼえている保証無いけど。

鈴木実貴子ズとの名古屋は、初めての感情に支配されて会場へ。君たちが今もがいている場所を通過したヒグチが負けるわけねぇじゃん、なんて誰目線?で参加。対バンって言葉は自分の人生には縁がなかったけど、こりゃ、うまいこと言うなぁ、と思った。これは確かに対決だ。自分のジャッジではヒグチアイが2兆点獲得の圧勝。

行けなかったライブの中でも、三部作の頃の大手町はとにかく行きたかった。最初にMC無しで数曲歌ったという話を聞いたときに、羨ましさが極大になったことを思い出す。そして今でも謎なのは、三部作の中で群を抜いて好きなのが距離であること。遠距離恋愛したことないのに。


たかが3年されど3年。

そして2年目最後のライブが終わった。


個々の曲の感想は本一冊くらいになりそうだから割愛。


誕生ツアーでは初めての背面からのヒグチアイ。相撲で言う向正面席といったところか。背中で語るという言葉があるとおり、背中だから見えることもある。そんなことを考えながら彼女の背中をずっと見ていた。曲に合わせて動く身体は、顔の表情とはまた違った喜怒哀楽であり心技体を魅せてくれる。総じて感じたのはこのステージに賭けた思い。気迫と言っていいだろう。見ているのは自分なのに、見られているのは自分なのかと錯覚するほど気圧された。悪魔の子歴もうすぐ1年になるけど、ここでベストが来た感あり。歌、明らかにうまくなっていますよね。そして歌に乗せられた情念が凄い。


思い浮かんだワードは「燃える闘魂」

そう言えば猪木さんも「元気」ってキーワード使っていたね。一緒だね。


MCではプレゼントの話など誕生とクリスマスに絡めたトークを繰り出し、次の曲につながる絶妙な内容。個人的には次の曲を想像させる時間を与えるような、一言一言のテンポが遅くなり、鍵盤からポロンポロンと聞こえてくる短い間が好き。お悩み相談ではお約束の「それ私に聞く?」をはじめに、ちょっと求められてない方向に話がいこうとしたらばっさり止めてみたり、場慣れしてきた熟練を感じた。


人が着ていない服を着たい、というヒグチアイを愛する人間達からすると全員知っている事実を象徴するかのようなこの日の衣装。丸いステージをくるくると回る。自身もくるくると回る。そのたびにフワッと舞う衣装が目に心地よい。上には丸い熊月。天井から下りてくるライト。ステージから会場全体までいくつもある円形と、彼女の衣装と動きの融和が本当に美しかった。信号とワイパーとウインカーの話をしていたけど、丁度あの話のよう。全部がシンクロしている空間だった。


目で見て、耳で聞いて、思いを巡らせて。


ヒグチアイのライブは完成の域に達した、ということでいいのでは?素直にそう思った。それを仲間に伝えようとしたとき、口にする直前に違和感があったので言うのを止めた。その理由は二点。一点目は、そもそも他人が完成を決めるものではないこと。二点目。こちらの方が比重大きい。それはコロナ禍。サウジアラビアの方々があんなにヒグチを喜ばせたのに、同じ日本人の我々が…悔しい。そう。演者のパフォーマンスが超絶上がっているのに、我々のできることが限られていることだ。私は恥ずかしながらコロナ禍前のヒグチアイを知らない。一生の後悔と言っても過言ではない。だからこの状況が終わって、声を出せるようになったその時には、客席からも声を送りたい(送りすぎていたら誰か注意してね)


そう思う。

そして胸を張ってヒグチアイのライブの完成を高らかに宣言したい。


かつて五感を入れ替えるライブをした彼女が、誕生というテーマで行ったツアー。もう次のツアー名は新陳代謝でいいのでは?というくらい新しい何かになっていきたい欲を感じる。しかしなりたいのは新登場のニューヒーローではなく、遡って潜っての思考作業の上で生まれるもの。生まれ変わる必要は無い。言うなれば…脱皮?いや、脱皮は表現ひどいな、普遍の名ドラマの主人公ではどうだろう。脇役や時代背景が変われども、ずっとそこにいる主役。そんな存在ではなかろうか。我々はもちろん曲がたくさん売れたり、メディアで姿を見たり、広がることは期待していているが、真新しさを求めているわけではない。ヒグチアイであればそれでいい。あとは愛するだけの簡単なお仕事。


簡単なお仕事を毎日欠かさない。そんな火々。


退場時に集合写真を待つ際に遅れたヒグチカイのあの人。コロナになって復帰直後でもあり、参加迷ったらしいが来られてよかった。年賀状は自分がヒグチアイからもらうのに、完全に自分が送る側になってすげー色々書いていて、会長全員が随分と待たされたこと、らしさ全開で最高に面白かった。ヒグチアイは「聴く人が一人も…」ということ言っていたけど、あの人にはヒグチアイが絶対必要なので引退はできないなぁ。ね、ゆきちゃん。

元気がなくてもまた会おう

元気があったらたくさん会おう

香るエース

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