エッセイ・こころと身体。京都のできごと。

奈良と京都に出かけていた。奈良の橿原神宮への正式参拝と毎年恒例の京都はくるりの京都音博に行くためだ。最終日は予定を立てずに空けておいた。

橿原神宮の参拝は行くまでわからなかったのだが、とても正式なもので「身に余る」という言葉がぴったりなほどの貴重な体験をさせていただいた。昨年1年はわたしにとって「出雲イヤー」と呼べる年で、とにかく出雲民族に関する土地、神社ばかりをとくに計画せずに回ることとなった。そのなかで三輪でいただいたご縁が今回の橿原につづいたのだ。

たまには不思議なインスピレーションを受けることがあるのだが、橿原ではなにが起こるのだろうと期待していた。だが神々しいような正式参拝以外には特に変わったことはなく、神主さんにご案内いただいていたが、境内にひとりになったときにもなにも起こらなかった。「正式参拝」ということがすでに特別なことなのだと理解していたが、なんとなくなにかひっかかっていもいた。なんで橿原の神武天皇はわざわざわたしをこんな好待遇で呼んでくださったのか。なにをわたしに授けるつもりだったんだろうか。

二日目は朝から京都音博で、、というのはくるりが主催する音楽フェスのことだが、友人の先輩とすてきな音楽をゆったり聴きながら楽しい一日を過ごしていた。・・・わたしにとって京都と音博とは少々切ない思い出があるもので、5年と半年付き合っていたかつての恋人と毎年訪れていた。9月の京都の風を感じても、梅小路公園の空を見ても彼のことを思い出す。楽しいけれど、同時に胸が苦しくなるような場所なのだ。

夜、会場からの帰り道で先輩からあまりにもショックな、わたしにとってアンハッピーすぎるニュースを伝え聞いた。

食事をとりながら先輩とあれこれ話し、夜行バスの乗り場まで送った。わたしはひとりで宿に向かったが、ネットで予約した名前だけでは気付けなかったが、そこはどうやら何年か前の音博のときに彼と泊まった宿であるようだった。

つらい気持ち、かなしい気持ちで涙が止まらない。お風呂に入り、お酒を開けて、テレビをつけても動揺と苦しさがおさまらない。なかなか眠りにつけず、起きて一本メールをうつとやっと少し気持ちがおさまって疲れた体を横たえた。


目の前が真っ暗になるようなこの感じ。酸欠で頭が締め付けられるような。胃が心臓と同化して不安をあらわすように苦しく、痛く、のどのほうへせりだしてくるようなこの感じ。1年半くらい前にもこの感じがあった。前述の彼と暮らしていたとき、もうだめかもしれない、でももしかしたらと思っていた絶望と希望の日々。そうだ、毎日こんな感じだった。自分では身体の異常とは気付いていなかった。整体師をしていた友人には「ストレスで肝臓がやられているよ」と見抜かれていた。でも自分では心が苦しいことはわかっていたが、身体がおかしくなっているとは思っていなかった。ただ目の前がぐるぐるしていつも冷静になれない、明るい気持ちになれないと感じていた。都心での彼との生活を解消して実家に戻ってきたら2~3カ月疲れがどっと出てきて、ただただ自分を休ませることをしていた。

いま再び同じような症状が身体に現れて、あの時はずいぶん長い間、極度のストレス状態にあったのだとわかった。イベントで一日中外にいた疲れも出てきてその晩はなんとか眠れた。


朝、それでも少しはやく6時くらいに目が覚めた。意識が戻ってくるとすぐに昨日のショックなニュースを思い出す。目覚めたときが一番むごいかもしれない。本当は一番に考えてしまうつらいできごとが、なんのベールもかけずに意識上に現れる、鮮明に。日中しっかりと起きているときは、理性が思考でそのつらい出来事を考えないようにカバーしてくれるのだ。

でもよいことがあった。ベッドの中でトイレに行きたいと思った、おなかが動いていると。中医学では朝5時から7時までが排泄の時間にあたる。健康であればその時間に腸が排便をしようと動くのである。

それからおなかが空いていた。普段あまりお肉ばかりを食べないわたしだけど前夜は牛タン定食を食べていたから、多少胃もたれしていてもいいのだけど、「ごはんが食べたいな」と思った。ホテルでとる朝食はコーヒーとパンとスクランブルドエッグとかべたなホテルズモーニングが好きなのだが、ごはんとお味噌汁が食べたかった。食事に気をつけるようになってからふだんの朝食ではだいたいはおかゆを食べているから、朝でも和食を食べられるようになっていた。

なんだかこのふたつはそのとき悲しみに打ちひしがれていたわたしを救った。「こころがこんなにつらくてもわたしの身体はわりといい調子なんだ」と思ったのだ。そうするとまだまだ涙は出てくるのだが、案外わたし大丈夫かも、と思えたのだ。

「そうか、身体が丈夫でしっかりしていると、こころもそんなに崩れないんだ」とこのときわかった。


まだ寝ていてもいいのだけど、早起きしてラウンジに朝食を食べに行くことにした。ごはんとお味噌汁とすこしのおかずを食べて、ふだんは食べないシリアルをちょっとだけ食べてみて、コーヒーを飲んで日記を書いた。そして東寺の近くの宿だったので、そのまま散歩に出かけた。やっぱり昔、彼と泊まったことがあるホテルだった証拠に「次にここに泊まったらモーニングをこの店でとろう」とふたりで言っていた、ちょっとさびれたかわいい地元の喫茶店があった。ホテルに戻ってきて荷物をまとめ、地図を広げてこの日の散策コースを考えた。気持ち的にはすぐに家に戻って休みたかったのだけど、なかなか来られない大好きな京都、頭を空かせていると苦しさのなかでぐるぐるして死にそうだったので、楽しいことをしたいと思った。

地下鉄烏丸線の中で予定変更、上賀茂神社に行き、出町柳のあたりから京大周辺を歩き、岡崎へ出る。岡崎では図書館と美術館がお気に入りだが、ちょうど近代美術館でバウハウスの展示をやっているから京都に来る前から観に行こうと決めていた。・・・何年か前にこの近代美術館でやっぱりバウハウスと民藝の展覧会を観たことがあるが、この展覧会は素晴らしかった。京都には河合寛次郎記念館もあるし民藝の展示をやるにはぴったりだった。

この時点で1万8千歩くらい歩いていた。さすがにつかれて地下鉄東西線に乗り寺町通りに向かうが、スマートコーヒーは改装中で閉まっていた。イノダの本店まで歩き、旧館のサンルームで玉子サンドを食べた。


疲れのなかでときどきじわーんと襲ってくる悲しみを感じながら、もしかしたらこれは、と考えた。もしかしたらこれは、最大のピンチのように見えて橿原神宮の神様がくれた大きな激励なのかもしれない。ショックなニュースは大変つらいものであるけれども、1年半前に一応は終わることとなった恋を捨てきれず、小さくなってもこころのなかで温め続けてしまっていたわたしを無理矢理先に向かわせようとしている。変化が苦手なわたしがスローペースで進めていた次へのステップを、お尻を「ぶったたく」ようにして加速させた。京都に来る前に何を考えてどう行動していたかを思い出せないくらいにわたしを変えてしまった。


悲しい思いとつよい痛みはすぐには消せず、帰ってきても身体と頭が重い日があるのだが、夜中目が覚めて不安が襲ってくると「大丈夫、大丈夫」と自分をなだめて何度かゆっくり深呼吸をさせる。そうすると本当に身体がすうっと安心してまた眠りにつける。なんとか眠れているし、食欲もある。身体がある程度元気だと、なんだか自分を信頼できると気付いた。1年前の自分だったらどうだっただろうか。もっとへなへなになっていたのではないだろうか。京都に行く前に、血流をよくしたいと絶食をして胃腸の働きをあげたり、睡眠にも気を使うようになっていた。身体に目を向け、整えようとしていた賜物かもしれない。

こころがとてもつらいときにそれを心の力だけで治そうとするのは不可能ではないけれど、ものすごく骨の折れることだ。こころと身体はつながっている、わたしたちの気付くにしろ、気付かないにしろ。身体の状態を見て、自分のこころの状態を知ることだって、自分の気持ちに気付けない鈍感なわたしたちにはできることなのだ。



*こころと身体の関係をエッセイ風にまとめてみたものです

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Nova

心とからだ、たましいの学びノート

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