スピと現実のバランス②


スピリチュアルと物質世界のバランスを取るということの難しさ、大事さを前回のブログに書きました。

なんていうかこの世界に生きているということを基本として考えたいです。時間、お金、物、土地などの制限・・・体と感情。それが地球に生きる人間なのかなと思っています。

そうした制限からは逃れられないです。郷に入っては郷に従え、でそれらと付き合っていくしかない。現代日本に生きて、死ぬまで一体自分が何をしに来たのかってわからないと思うんですけど、なんかそれでいいと思うようになりました。

これを書きながら思いましたが、今、見えない世界のことって小学校とかの授業にないので、もちろん大人の教科書もないですが、一つ通ったガイドラインてないですよね。わたしは今薬膳を勉強していて、「これ小学校でみんな習うべき!」と本気で思っているのですが、命や気のこと、それにつながる見えない世界のことは今までほぼゼロだったので、少しずつ「正しい」リテラシーがあってもいいのかなって思います。正しいって難しいですね。


どこから何を書くべきか・・・まだ何かを語るには未熟なのだと思います。ただ、本屋さんなどで出回っている「運を良くする」とか「ソウルメイト」がとか本当に今必要な事はそこじゃないんじゃないかなあと思います。

自分の人生にどれだけ意識的になり、向き合い(やりすぎてもいけないのですが)、大きな自然や宇宙などの中に自分も生きている、流れに乗って、仕方ない時は仕方ないとか、それでも一心不乱に祈るのだとか、そういう風に生きることなのかな。

わたしはヴァーチャルなものがかなり嫌いで、ゲームも嫌いなのですが、VRとかしようと思わないです。「仮想○○」ってものが嫌いで、何が楽しいのだろう??技術の進歩は凄いのでしょうけど、体や五感を伴わない「楽しさ」「体験」ってなんだか怖いのです。頭の中だけで世界が広がっていくっていつか自分が本当か作られたもののかわからなくなるような気がして・・・。人の感覚が衰退したり麻痺したりしていくんじゃないかって危ない感じがしています。

「スピリチュアル」も実体がないってところでは同じような要素があるような気がします。生きている、人間として生きている今を泣いたり笑ったり楽しむことが人生の醍醐味なのでは・・・と考えています。


世間一般の常識とどれくらいかけ離れているかとか、やはりいつでも気にしています。どんなにスピリチュアル的な理解度(上下のレベルではないです)が違っていたとしても、その感覚は「これ、通じるかな?」と確認しながら話すので外国の人と話すようだったりしますが、そういう色々な人が混ざった中に今もこれからも生き続けるだろうからです。

ぱっきり「わかる人」「わからない人」と分けられず、ものすごい細かく理解度が分かれていると思う。もしかしたらスピのことだけでなくて、生き方そのものが多種多様になって来ているから、自分はどこか、相手はどこかが一昔前よりだいぶ違って来ているのかも。こういう時代で何か基準となることを語ろうとするのは難しい。けれど、難しいけれど、自分の立ち位置から綴っていこうと思います。


まとまらない感じで終わり!

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

6

Nova

心とからだ、たましいの学びノート

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。