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映画「リリーのすべて」

映画「リリーのすべて」を観ました。

もしかしたら今まで観た映画の中で一番、愛を感じた映画かもしれない。一番、と言い切れないのは、とても悲しい、切ない気持ちを残してしまうから。

画家の夫婦の夫が、妻の絵のモデルになったことをきっかけに女性になりたいという願望を思い出し、性転換手術を決意する・・・という、デンマークにいた世界初の性転換手術をした実在の人物、その夫婦の愛を描いた物語。

妻を愛していながらも、自分の「女性になりたい」という願望がどんどん強くなる夫。優しく自分を支えてくれたかつての夫が消えてしまう悲しさと、愛しているからこそ夫の願いを叶えたい、唯一の理解者でありたいという葛藤に悩みながら「リリー」である夫を最期まで支える妻。

その二人の葛藤と愛情が痛いほどに伝わってきて、一緒に切なくなり涙が溢れました。

1900年代初頭ではそれは精神病と言われる中で「本当の自分」の姿を気が狂いそうになりながら追い求める夫、女性になろうとする夫を必死で支える妻、そして親友と親友の元妻をそれぞれ友情とひそやかな愛で支える画家の幼馴染で初恋の相手。


わたしはLGBT当事者ではないけれど、そういえばよくLGBTにまつわる映画や記事などを観たり読んだりしていると気付きました。映画では「MILK」や最近では「人生はビギナーズ」を観たらそれもゲイの家族を描いた物語でした。近頃はLGBTについてのファクトがよく取り上げられているということもあると思うのだけど。

今日、「リリー」を観て感じたのは、わたし自身も「本当の自分になりたい」と求めている一人だから、だからLGBTの人に共感を覚えるんだということでした。

わたし自身は女性で恋愛対象は異性なのだけど、自分の感覚として「わたし女なんだっけ?」という気持ちがどこかにあって、それは「男であるかもしれない」ということではなく、今は20代の頃よりは自分が女性であるという感覚があるのですが、どうしても「半々」という気持ちがあるのです。未分化とも違うし、「もし性別のない雌雄同体の宇宙人がいたらそこからやってきた命で、まだ性別があることに慣れていない」というような感覚です。

体の構造も女性だし、世間に出たら女性なので、女性としてやっていますが、女性はこう考える、こういうおしゃれをする・・・みたいな社会的な「女性観」に違和感を覚えています。

ジェンダーの話をしたいわけではなく・・・。


「リリー」を観て、性別を超えた「わたしらしさ・自分らしさ」を今一度考えました。痛いほど、それを考えながら観ていました。「本当のわたしは何がしたいのか」、これはちょうど今の自分のテーマでもあったので、なんで今日これを観たのかな・・と衝撃が走るようでした。

本当の自分が望んでいる世界って?


それから、二人の愛情。お互いを強く強く想っていることが本当によく伝わりました。想っているからこそ、心配させないようにととった行動が相手の不安を誘ってしまったり。

最後までそばで寄り添っていた二人。女になることへの不安も、妻が(悲しさと葛藤を抑え)勇気と愛で強く支え、その真の愛情に夫は本当に安心感を覚えるのです。・・・こんな愛し方がしたいと思いました。

わたしが妻だったら、こんな風に愛する人を支えることができるだろうか?愛は、愛する人が本当に幸せになることを一生懸命応援すること。それをそばで(妻は苦しかったかもしれないけど)見届けること。

LGBTの最初の物語でありながら、美しい、そして切ない夫婦の愛情の物語です。


*実はエディ・レッドメインのファンで彼の演技が観たくて観たのですが、エディは心の優しい男性の役が本当に上手です。静かに、深く、優しい。そして情熱もある。ファンタビのニュート役でファンになりましたが、ファンタビの魔法動物を愛する眼差しも本当に愛情に溢れていて素敵な役でした。



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