I get back myself in FANTASTIC BEASTS & WIZARDING WORLD

今年の頭に2回も観た映画がある。「ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生」、ハリーポッターシリーズの別シリーズ、ファンタビの2作目。

ハリーポッターは全然見たことなかったけど、たまたま金曜ロードショーで1作目を見て好きになった。映画を続けて見るのは実は初めて、それから今までずっとはまっている。英語の練習ということもあるけど、毎日のようにちょっとだけ見たりしている。

主人公の魔法動物学者ニュートというキャラクターが大好きだし、演じているエディ・レッドメインのファンにもなって過去作もチェックしたり、全部読んでないけど英語版の脚本もイギリスから取り寄せたり、新しいライトグレーの自転車にはヒロインの名前からティナと名前をつけている。今はファンタビの世界を知るのにハリーポッターを賢者の石から見ているところ。

こんなに何かを好きになるのが久しぶりで自分でも驚いている。

前にファンタビの記事を下書きした時は、ニュートやティナの不器用だけど自分のやるべき仕事を一生懸命にやっていたら仲間やパートナーに出会えるというミラクルだけど真実のことについて感想を書いていた。


さて、今日読んでいた別の本で「子ども時代の楽しかった思い出を思い出そう」というワークが紹介されていた。

しかし記憶を辿っても「どこかに出かけてみんなで楽しかったです」というような思い出が出てこない。「楽しかった」が引っかかってしまう。代わりに思い出すのはたくさんの本との思い出だった。

わたしは小さい頃から一人で本を読んでいるような子で(言葉を覚えるのが相当早かったらしい)、特に好きなのはグリム童話や各地の伝説、神話などの古典のファンタジー。もちろんそこから魔女や魔法使い、妖精、小人、エルフ、ドワーフとか・・・にも興味を持ち、街の図書館にある気になる本を片っ端から読み漁っていた。記憶ではヨーロッパの民話を読み終わってしまい、インドの民話を読んだらちょっと空気感が違って好きになれずやめてしまったこと。

だから中国の龍の種類とか実は結構知っている。ファンタビに出てくるケルピーなんて小学校の頃から知っていた。

好きだけど特に役に立たないことなので、大人になって追求することはなかった。昔はとにかくそういうファンタジーの舞台でもあったドイツやイギリスが好みだった。高校、大学くらいにはアメリカも好きになって、non-noとか一度も買ったことないけど、欧米のストリートスナップを集めた雑誌とか買って読んでいた(今も大事にとってある)。

大人になって最近は「日本」がテーマで、神社などにいくオンラインサロンにも入っていて、とかく髪は黒く、とかきれい目な格好とかまあ30代の女性だし、そんな格好をしていた(つもり)。

ファンタビを見て、何か自分の中で自分の好きなものを取り戻せたような感触があり、上記のサロンも気持ち的に卒業したこともあって、なんだか自由になった気がした。

大好きだった古着みたいな格好はもうしてないけど、髪色を変えたら気分が変わったし、手持ちの洋服をもう一度チェックしてみて、「本当に好きな」服を残すことにした。と言っても捨てた数は少ないけど、残った服を見るとちょっとブリティッシュ感があるもの。エマ・ワトソンのスナップショットをたくさん見ていたせいかもしれないけど、。

ちょっと話がずれたけど、ファンタビの映画としての楽しさってこと以外に、わたしは自分の眠らせていた方向性をまた取り戻せたような気がしている。魔法の世界に幻の世界の生き物たち。そういえば、小さいころからそういう魔法や伝説のような世界に心遊ばせることが大好きだったなーとじわじわ思い出してくる。

もともとわたしの資質っていうのは、闇もまざった光というか、天使みたいな明るい光だけでなく、混沌や暗さも称えた中の賢さにある。そこで教えたり、伝えたりする。森の中の暗さもあったり、湿度もあるその中を自分の光を持ってどう進んでいくかというような。だけど悪には絶対走らない、走れないという「己の正しさ」がある、、というようなまさに魔法使いたちのような資質だと感じている。そう、わたしはウィザーデイングワールドそのものにもかなりシンパシーを感じてる。動物がとても好きで、愛玩というよりは、並立の仲間という感覚もファンタビではシンパシーを感じてうれしい。

ファンタビのなかではオカミーという青い龍のような生き物が好き。フィギュア、ほしいなと思っているし、どんどん好きな世界を追求したい。

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