塔頂のキセキ
◆◇◇◇◇
「おじちゃんは、ここでなにをしているの?」
少女は問う。
「雲を目指しているんだよ」
カナヅチを叩きながら彼は応える。
「クモってなんなの?」
彼はヘルメットを取り、ただ上を指差した。
「わたあめみたいだね」
少女は笑った。
ひとつの塔があった。そこには唯一となった〝都市〟があった。
彼はその塔の頂上で数十年間、〝上〟を目指してカナヅチを叩き続けている。
「今日ね、街にお母さんと買い物行くんだー!」
「何を買ってもらうんだい?」
「お父さんの誕生日プレゼント! だから、お父さんには絶対に言っちゃダメなの。おじちゃんも言っちゃダメだよ!」
「オレは街には行かないから心配ないよ」
「そっか、でも街は楽しいよ! おじちゃんも今度行こうよ!」
「そうだね。また今後」
少女はたびたび彼のもとへ行くようになった。そんな少女を彼は邪険に扱えなどしなかった。
むしろ、彼にとっては救いだったのかもしれない。終わりの見えない日々の繰り返しに疲れていたのは明白だった。
彼は〝空〟を知っていた。
少女にさまざまな〝空〟を教えた。
「へー。じゃあ、星は夜にしか見えないの?」
「そうだよ。夜は太陽が見えなくなって、代わりに星が見えるようになるんだ」
「そうなんだー」
「夜の空が黒色なのは知ってるかい?」
「うん、それは知ってるよ!」
「じゃあ、夜の星がキラキラ光っているのはどうかな?」
「えっ!? そうなの?」
「うん、とっても綺麗なんだ」
「ほんとかなぁ」
「ほんとだよ。また今後、見にくるといいよ」
「分かった! 絶対行く!」
そんな約束を交わしたりもした。次第に彼は少女が来るのを心待ちにしていた。
◆◆◇◇◇
「ねぇ、おじちゃん。……あたし、おじちゃんのお手伝いしたい」
ある日、少女は彼に言った。いつもの笑顔はなかった。
「家族か友達と喧嘩でもしたのかい?」
「ううん、違うよ。手伝いたいの」
悩んだ挙句、彼は了承した。
ーーそれから数日がたった。少女は一度も塔の下には戻らず、彼のもとにいた。
ある日、雨が降った。暴風雨だった。
「雨すごいね……」
「これじゃあ作業できないなぁ。そうだ。街に行かないかい?」
「……ううん、街はイヤ」
「約束していたじゃないか」
「……イヤ。できるもん」
彼女は強引に作業を始めた。
「おい、危険だからやめないか」
「大丈夫。できるもん」
「ダメ。風邪引いたらどうするんだ」
「できるったらできるもん……。街はイヤ」
「いや、行こう。お願いだ」
強引に彼は少女を引き連れて街へ向かった。
行く途中、少女はずっと平気だと言い張っていた。そして、最後は必ず「戻ろう?」と彼の服を掴み、必死に訴えていた。すがっていた。
数時間の後、彼と少女は街へと到着した。彼は理解した。
ーー街が滅んでいた。
◆◆◆◇◇
彼の父は、彼と同じ職人だった。
彼が子供の頃、どうして作り続けるのかと問いかけた。
父は太陽を目指してると答えた。同時に父はこの塔を希望の塔だと言った。
当時は職人もまだ沢山いて活気にあふれていた。
父は彼に言う。
「いずれお前もこうやって上を目指していく。いつか完成するまで、お前の子供、またその子供へと、引き継いでいくんだ」
父は間違いなく笑顔だった。
ーー彼は絶望していた。
街が滅んでいる。誰もいない。
あるのは死臭と生の余蘊だけ。
少女は泣きながらずっと彼の手をきつく握っていた。
彼は握り返せなかった。
二人は街を徘徊した。何もなかった。
それからしばらく、彼は何もできなくなった。
「ねえ、おじちゃん」
「……ああ」
「あたしのお母さんが作るミートパイ、ほんっとうに美味しいんだよ」
「……」
「それでね、あたしはたくさん食べるんだけど、食べきれなくって、でももったいなくて、一生懸命食べるんだけど、どうしても無理で、どうしてか泣いちゃって」
「お母さんがそのときね、また作るからって言ってくれたの。それが本当に嬉しくって」
「……うん」
「お父さんはね、いつも難しい顔をしてるから、たまにくすぐったりしてたんだ。笑顔のお父さんが好きだから」
「……そうか」
「でも怒られることもあってね、そのときはごめんなさいって正直に謝ったら笑ってくれるから、またくすぐっちゃうの」
それでね、それでね、と少女は家族のこと、友達のことを話す。
彼は少女に励まされていた。その暖かさに身を寄せるしかなかった。不甲斐なさは心にずっと残っていった。
それから彼らは街を彷徨った。
生きているものはいないか、街を歩いた。
◆◆◆◆◇
「おじちゃん、てっぺんに戻って」
数日後、少女は彼に言った。少女は壁に寄りかかっていた。
「どうしてだい? 生きている人がいるなら助けないと」
「ううん、おじちゃんは戻って作業しないと。それがおじちゃんの役目でしょう?」
「……君はどうするんだい?」
「あたしはもうちょっと街を探すね」
「そんなのはダメだ。戻るなら一緒に戻ろう」
「ううん、それはダメなの。お願い。おじちゃんだけ戻って」
少女は力強く言った。小さな体に残っている力を振り絞って。
彼は少女のぎこちない笑顔を始めた見た。彼は頷くしかなかった。
「任せろ。すぐに雲どころか太陽にまで辿りついてみせる」
せめてもの恩返しと、彼は満面の笑みを作り少女を見送った。
「太陽よりも星がいいかな」
最期まで彼女は笑顔を保った。
◆◆◆◆◆
ーー彼はひとりで塔を築き続けた。高みを目指して。
そうすることしかできなかった。
やらないと。あの子と約束したから。
数年経った。まだ星は遠い。
たびたび少女のことを思い出す。やらなきゃ。
また数年経った。
彼は塔のてっぺんに寝そべり夜空を見ていた。
どこまで来たのだろうか。
終わりがないことは十二分に分かっている。
瞬間、大量の流れ星が目の前に現れた。
こちらに落ちてきそうなくらいだった。とても綺麗だった。
「完成した」
そう彼は呟くと、
夜空を仰ぎ、塔から身を投げた。
完
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