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【PP】「MOMOIRO CLOVER Z」全曲レビュー(後編)

 さて、モノカキが執筆そっちのけで書くももクロちゃん5thアルバム全曲レビューでございますが(仕事もしてます!)(いやほんとに!)、今回は後編ということで、アルバムの後半7~13曲目、そしてボーナストラックのレビューをさせていただきたいなあと思っております。

 前回記事がですね、結構たくさんの人に読んでいただけたみたいで(普段より閲覧数がケタ一つ多かったです、、、)、ありがとうございます。前後編とかいうボリューミーなレビューになってすみません。後編もさらに盛り盛りでお送りしますが、少々お付き合いいただければ幸いでございます。

 以下、内容については完全なる私見でございまして、あくまで僕個人が抱いた感想と解釈をつらつら書いたものです。いやそれは違うぞ!みたいなことを言われるとあわあわしてしまうので、酒のつまみ感覚で、さらっと読んでいただければと思います。

■前半のおさらい

 前編では、今回のアルバムが二部構成であることと、アルバム前半の楽曲は「これまでのももクロ」の歴史をなぞったストーリーが表現されているのだ、というお話を軸に、各収録曲のレビューをさせていただきました。

 でも、レビューを書き上げて少し考えたのは、本当に正しく聴こうとするなら、「TDFという4人のエンターテイナーが演じるSHOW」という前提で聴くべきであるのかな、とも思いました。そのストーリーが、僕たちの知る、現実の「ももいろクローバーZ」という4人組の歴史に酷似していたとしても、ですね。

 エンターテインメントというのは”虚”の世界ですから、演者が"虚"として演ずる限りは、オーディエンスも”虚”として楽しむのが真の「SHOW」なわけです。だから、前編を読んでくださった皆さん、あれはあくまで「SHOW」なんだ、という前提を、今さらではございますけども頭の片隅に置いて頂ければと思います。

 そして、その「SHOWだからね」という前提に対する答えのようなものは、アルバム後半に用意されておりますので。

 ということで、前半を振り返ってみると、第一部のストーリーは以下のようなものでした。

【第一部ストーリー】
 ★プロローグ
  ・あるSHOWが公開開始(01 ロードショー)
  ・演じるは、”TDF”の4人(02 The Diamond Four)
 ★第一部
 夢を掴むこと、成功することを願って一緒に走り出した4人のTDF(03 GODSPEED)。夢に向かって頑張るあまり、少々飛ばしすぎてしまいます(04 あんた飛ばしすぎ)。結果、訪れた挫折と苦悩の日々(05 魂のたべもの)。4人は華やかなSHOWの世界に背中を向け、人生を振り返る旅に出、穏やかな時の中に埋もれてしまいます(06 Re:Story)。

 さあ、僕らのTDFは、このままエンタメの世界から身を引き、普通の女の子に戻ってしまうのでしょうか? というところからが第二部、07「リバイバル」のはじまりです。

■07「リバイバル」

 第二部の冒頭を飾るのは、「リバイバル」。復活、という意味の語ですが、演劇やミュージカルなどの世界では「再演」を指す言葉でもあります。
 第一部でエンタメの世界からいったん身を引いてしまったTDFの4人が、「私たちには、まだできることがある」という思いを胸に、再びステージに立つことを高らかに宣言する。それがこのリバイバルという曲というわけですね。

 冒頭の「ロードショー」は、彼女たちが誕生した頃に流行ったユーロビートをフィーチャーした曲でしたが、「リバイバル」は、現代ポップの主流ジャンルの一つであるEDMど真ん中の曲。これは、「4人の現在」「今という時代」を暗示しているのではないかなと思います。

 個人的な好みですけど、今回のアルバムの中で、僕はこの曲が一番の推し曲なんですよね。なんか、クラブとかパリピとか全然縁がないんですけども、部屋で一人、リバイバルかけながらめっちゃ踊ってたりします。「ノリノリでリバイバルを踊る男」です。香水はかけませんけども。

 まさかももクロがEDMなんか歌うと思ってなかったですし、思った以上にフィットしている気がしてアガります。2013年のOzzfestで、「私たちがアイドルだ!」というリーダーの一言でロックファンたちをごっそりモノノフに変えたときのように、Urtra Japanとかに出て見れば、根こそぎパリピたちを引っこ抜いてくるんじゃないかなと。今後、ライブ会場にパリピノフが増える日が来るかもしれません。

 BABYMETALがSkrillexとステージやってるわけですし、ももクロとZeddが組んでステージやる可能性もゼロじゃないんじゃないかなあ。"Z"つながりですし。スズキつながりですし。あながち夢物語でもないですよね。いつか実現したら面白いなあ。

 前回記事、「魂のたべもの」のくだりで、れにちゃんの歌唱力の成長がとんでもない、というお話をしたんですけど、「リバイバル」で光っていたのは玉井さんじゃないかなと思います。曲中、色気たっぷりのきれいなミックスボイスを披露していて、さすがクイーン・オブ・小器用(ほめてますよ!)だなあと。

 歌詞は、オケのパーティ感よりも少し重みがある内容。新たな目標にむかって真っすぐに、自分たちの成すべきものを目指すんだ、という決意がこめられた熱いものになっています。

 彼女たちが目指すべきもの。それは、ずっと変わらないもの。
 やっぱり、4人が向かう先にあるのは「あの空」なんですね。

■08「華麗なる復讐」

 第二部のメインストーリー、ここからの4曲は「復活したTDFの新たなるSHOW」という設定ですね。同時に、今後4人が作っていく楽曲だったり、提供するエンターテインメントの方向性を具体的に示す役割があるのではないかな、と思います。

 その”SHOW”のオープニングを飾るのが、「華麗なる復讐」。クラシック音楽と男女混合コーラスをフィーチャーしたデジタルロックで、構成はまるでぎゅっと凝縮したオペラのよう。曲中、目まぐるしく要素(楽章)が変わります。

 復讐劇はオペラやミュージカルでは定番の題材ですし、元ネタとなっていそうな作品をぱっと思い浮かべるだけでも、先日ドラマとなっていたデュマの「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」、「レ・ミゼラブル」「スウィーニー・トッド」、古くはシェイクスピアの「ハムレット」、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」などなど、いくらでも出てきますね。

 さて、「華麗なる復讐」の最大の謎は、曲中に歌われる「地獄から舞い戻りしベンジェンス(vengeance=復讐)」とは一体なんなのか? ということでしょう。

 サビの詞、「最大の敵は自分なんだ」というフレーズから、曲のテーマは「克己」であることがわかります。「サラバ愛しくみじめな自分よ」という一節は、当然モノノフなら思い浮かべる曲があると思いますし、その部分のバックグラウンドは、どことなく「鋼の意志」を思わせる感じになっていますね。そこから解釈して、「復讐者ベンジェンス」とは過去にリリースした既存曲であり、「ぶったおしてやる」と復讐すべき相手とは、「過去の自分たち」なのかな、と思いました。

 かつて、技術的、歌唱力的に未熟であったがゆえにめいっぱい歌いこなすことができず、ポテンシャルを十分引き出すことができなかった曲たち。そんな、地獄に一度落ちて舞い戻った曲たちを、エンターテイナーとして成長したTDFが再び歌いこなすこと。それこそが、「華麗なる復讐」なのではないか、というのが僕の仮説です。

 たぶん、過去いろいろな事情で、もっとクオリティを上げたいのにな、と思いつつも妥協せざるを得なかった楽曲がたくさんあったんじゃないのかなあと思うんですよね。もしくは、制作側が意図していたほど、ファンに受け入れてもらえなかった曲とか。成長した4人なら歌いこなしてくれる。あの時やれなかったことが、今ならできる。そういう”リベンジ(re-venge)”に向けた思いがあるのかもしれないですね。

 さらにものすごく深読みしてしまうと、既存曲の中からZZver.として"復活"する楽曲が今後出てくるよ、という予告かもしれない、なんていう、半ば願望に近い解釈の仕方も。

 そんなまさか、とも思うんですけど、曲の最後、インド映画、"ボリウッド"的イメージの部分で歌われる言葉、「フィルミレンゲ」というのは、ヒンズー語で「また会いましょう」という意味なんだそう。復讐者ベンジェンスは、再び地獄から舞い戻ってくる、ということでしょうか。もしかして、、、と思わせてくれるワンフレーズですね。

 この曲は正直解釈が難しいですし、いろんな解釈の仕方があるんじゃないかなと思います。ほかにこれぞ、という解釈があれば、ぜひぜひ教えてください。

■09「MORE WE DO!」

 他アーティストからの曲提供というのは、音楽シーンでは当然のように行われていることでありまして、ももクロも、布袋寅泰、中島みゆき、広瀬香美、THE ALFEE、さだまさし、やくしまるえつこ、KISSなどなど、そうそうたるアーティストから曲提供を受けているのはご存知の通り。

 MORE WE DO!も、そんな「他アーティストからの提供曲」ではありますが、なんというかその、過去イチ、クセが強い、、、! 

 曲のクセが強すぎて、提供を受けたアーティストの個性を自身の個性で塗りつぶしてしまうアーティストというと、椎名林檎とか中田ヤスタカあたりを連想するんですけど、MORE WE DO!もすごかった。言われなくても一発でCHAI提供だとわかりますね。”NEOかわいい”が溢れ出していて止まらない。

 ギターロック、オルタナ、ポップなど、あらゆる音楽的要素を詰め込んで独特の世界を作っているのがCHAIですけど、この曲でも、もはや4人から完全に「ももクロ感」が消し飛んでCHAIそのものになっており、「TRADかわいい」4人が、「NEOかわいい」楽曲を歌う、という、一種カオスな楽曲になっています。
 前回記事で、ももクロはユニゾンになるとイメージが変わらない、というようなことを申し上げたんですけど、それ故に、この曲ではCHAI色に染まった4人という新しい一面を知ることができます。非常に中毒性の強い曲なので、エンドレスリピートで20回くらい聴いてみると、頭から離れなくなりますので要注意ですね。きがつくと、もーいーよー、って呟いている自分がいます。ほんとにもういいのかよと。

 それにしても、あの個性派4人を完全に塗りつぶしてしまうとはおそるべし。さすがCHAI。「Milkyでクセもの」ですね。

 詞の内容は、謎の多い「華麗なる復讐」とは打って変わって、タイトルに集約されている通りのシンプルなものです。もっといろんなことをやるぞ、もっと私たちはできるぞ。既存曲の枠にとらわれず、貪欲に自由にいろんなことをやるぞ、という決意。今後はアイドル楽曲から脱皮をして、よりアーティスト路線を強めていくよ、という予告かもしれませんね。「MORE WE DO!」のような、個性(クセ?)の強い前衛的ポップスも増えて行くのでしょう。

■10「レディ・メイ」

 復活のTDFショーの3曲目は、ワウの効いた印象的なリフから入るブルージーなオールドロックナンバー、「レディ・メイ」。ロッキー・ホラー・ショーとか、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチのような、ロックミュージカルのテイストも元ネタとして入っているのかもしれません。

 レディ・メイ(LADY MAY)=5/17生まれのレディたち、というのは誰しも想像がつくと思いますけど、ポイントは「レディ」としたところだと思いますね。歌詞もそうなんですけど、全体的にセクシーな大人の女を思わせる曲になっていて、もう子供扱いしないでくれません? というはっきりとしたメッセージが強烈です。

 そう、彼女たちはもう、「怪盗少女」でも「全力少女」でもなく、「レディ・メイ」なわけです。

 アイドルファンというのは、どうしてもアイドルに対して処女性や無垢であることを求めがちな人が多いな、と思いますけど、それを生身の人間にいつまでも求め続けるのはやっぱり難しいことだと思うんですよね。子犬や子猫がかわいいのは誰だってわかることですけど、かといって、そのままが一番かわいいんだから成長するな、というのは無茶な言い分です。卒業していったメンバーの現在を考えれば、本来、女性として彼女たちがいるべき年齢的な立ち位置というのがわかると思います。

 30歳の大人が40歳になるまでの10年間と、15歳の少女が25歳の女性になるまでの10年間では、精神的・経験的成長度というのはとんでもなく違うものです。大人が大人のまま過ごす10年の間に、彼女たちは圧倒的スピードで少女からレディへと成長してきたのです。いつまでも子供だと思っていたのに、気がつけば精神年齢を娘に追い越されていた、という世のお父さんも多いのではないでしょうか。ましてや、あれほどの経験値を10年も積んだ”少女"なんてそうそういないでしょうから。

 「レディ」としたのは、これからは大人の女性としてのエンターテインメントを見せていくのだから、いつまでもわちゃわちゃとしたかしましい子供だと思わないでほしい、という彼女たちからのメッセージなのかもしれません。今でも年下メンバーに甘えがちな最年長がいるグループではありますがね。

 「お前、最近化粧が濃くないか?」「は?何言ってんの? 私、もう25歳なんですけど?」という親子の会話のような、4人のちょっとした反発の気持ち。モノノフの皆さん、いつまでも子供だと思わないでね? というメッセージ。だからこそ、「レディ・メイ」は、”反骨の歌”であるロックで表現されているのかもしれないですね。

 でも、全体的にどこか背伸びして歌っているように聞こえるのは、「レディ・メイ」となった今も変わらず、「全力少女」が彼女たちの中にちょっぴり残り続けているからでしょうね。

■11「Sweet Wanderer」

 第二部本編の最後は、Sweet Wanderer。SUZUKIハスラー・ワンダラーのタイアップがついたこともあって、「旅」がテーマになっていますね。Wandererは「放浪者」という意味。あてもなく、時間制約もない自由気ままなドライブを楽しもう、というハスラー・ワンダラーのコンセプトを反映して、曲調はのんびりゆったりとしたダウナーなR&Bテイスト。大人な4人の、力の抜けた女子旅のイメージが心穏やかにしてくれる一曲です。

 前回記事でも少し言及したのですが、先行シングルとして発表された「Re:Story」と「Sweet Wanderer」の2曲はいずれも「旅」をイメージさせるような、言ってしまえば「似ている曲」なんですよね。たまたま被ってしまったんでしょうか。でもそんなわけがないのです。2曲とも、invisible mannersのお二人が作ってますから。

 シングルの時点ではその意図がはっきりしなかったので、なぜ?と思っていたんですが、こうしてアルバムの中の一曲として加わると、二つの「旅」の目的が、明確に違うものであることがわかってきます。

 第一部、前半のエンディング曲となった「Re:Story」は、4人の「再生の旅」でした。いろいろな挫折と苦悩を味わって、くたくたになって、解散という言葉までよぎって、エンターテイナーとしての死の淵をさまよった”TDF"が再びステージに立つために必要だった再生、復活の旅。今までの人生を振り返り、いろいろあったけど悪くなかったね、これが私の人生なんだ、という再確認をする旅だったのです。

 そして、Sweet Wandererは逆に、未来を生きるための旅。これから、エンターテイナーとしての人生を送っていくにあたって、たまには全部捨ててお休みしちゃおう、ありのままの自分で生きて行こう、という、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を高めるための旅なんだと思います。

 これまで、プライベートを犠牲にして全力で駆け抜けてきた彼女たちが、今後息の長いグループとしてずっとやっていくために、「とにかくはのんびりと」「お仕事はおいといてさ」、と出かける休日旅。たまにはそんな時間も取りつつ、自然体でやっていきますよ、という宣言なのかもしれません。
 でも、大丈夫。「ひとやすみしたら戻るから」。旅に出たままどこかにいってしまうことは、きっとないでしょう。

■12「天国のでたらめ」

 第二部本編が終わって、12曲目「天国のでたらめ」は、第一部から二部までを含めた、全体のエンディングという位置づけじゃないかな、と僕は思っているのですけれども、その位置にこの曲があるということで、心底鳥肌が立ったわけなんですよね。みなさん気づきましたかね。

 というのも、「天国のでたらめ」自体は、ももクロ主演のミュージカル「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」の挿入歌であって、「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」の世界観、ストーリーを反映した曲だったわけです。もちろん、そのために書き下ろされたんでしょう。

 でも、アルバムのこの最後の位置に置くと、歌詞の世界ががらりと変わります。まるで、ももクロとファンの繋がり、そしてこれからもずっと応援してね、というメッセージであるかのように見えてくるのです。モノノフのみなさん、はじめてももクロと出会った時はいつでしたか? これからも、生まれ変わった私たちを、いやになるほど見つめてね、忘れないでね、という。

 小説の技法のひとつに「叙述トリック」というのがあります。ある事象を読者には「A」と思わせるよう、意図的に情報を伏せたりしておいて、小説終盤で実は「B」であった、という事実を明らかにして読者を驚かせる、というテクニックのことです。
 この「天国のでたらめ」の歌詞も、単にミュージカルのストーリーに沿ったものだと「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」公演中からずっと思わせておいて、アルバムのこの位置に置いてはじめて、歌詞をまったく変えずに、彼女たちからのメッセージでもあったことに気づかせてくれるわけです。

 この「AとBとがイコールに」なっていることに気づいた時は、正直、ほんとにびっくりしました。なんだおい、この構成を考えたのは、"キング”でも”悪魔(evil)”でもなくて、神様かよ、と。「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」の公演とか、2018年9月ですよ? 楽曲制作は夏前くらいから始まっていたはずで、下手したらその頃から今回のアルバムの全体像を構想していた、ってことじゃないでしょうか。後付けでこんなに上手くアルバムのストーリーと歌詞がシンクロするだろうか、と思うと、唸るほかないですね。

 後半第二部では、華麗なる復讐~Sweet Wandererまで、これからの4人の未来、そしてスタンスを暗示してきました。今までの「ももクロ」とは違うかもしれない。全力少女たちは大人になって、レディ・メイに成長しました。でも、新しいTDFとして生まれ変わっても、ずっと応援してほしい。ついてきてほしい。そんなメッセージが、この「天国のでたらめ」には込められているんだと思います。

■13「The Show」

 さて、TDFの4人による、12曲に渡るSHOWも終わり、最後の曲「The Show」に辿り着きます。僕はあんまり洋楽ポップスは詳しくないので人に教えてもらったんですが、原曲はLenkaの「The Show」だそう。ふんわりとした空気感の、ガーリーでかわいらしいポップナンバーです。

 エンターテイナーとしての衣装を脱ぎ捨てた彼女たちの”実”の人生もまた、SHOWのようなもの。迷路やなぞなぞのようにいろいろなことがあるけど、それもSHOWだと思って楽しんじゃおうよ、という前向きな曲ですね。

 記事の序盤で、このアルバム、つまり「TDFによるSHOW」は”虚”として楽しむべきだ、という文章を書いたのですが、同時に、このアルバム自体が彼女たちの「人生」をSHOWとして表現したものなのだな、ということが、この「The Show」を通してわかります。我々は、12曲の楽曲を通して、彼女たちの人生を見てきました。アルバムの中には、大好きになった曲もあるだろうし、あまり好きになれない曲もあったかもしれません。でも、それも全部人生。「Just enjoy the show」、SHOWとして楽しんじゃおうよ、というポジティブなメッセージが、この13曲目に込められているんじゃないかなと思います。

 そして、5thアルバム「MOMOIRO CLOVER Z」が、なぜこのタイトルでなければいけなかったのか、という理由も、ここまでくるとはっきりわかることでしょう。

 エンターテインメントというのはどうしても消費されるものであって、エンターテイナーも消耗品です。人気の浮き沈みは大きくて、常に世間から評価を受けなければいけません。後世まで残る作品や人は、ほんの一握りだけ。消費の仕方というのは受け手側が決めることで、長く愛する楽しみ方もあれば、一回きりで次々消費していく楽しみ方もあります。それは、受け手、オーディエンスの意志に委ねられます。
 
 僕も、モノカキのはしくれでありますから、自分の作品をどう楽しんでもらうか、というところまで読者に注文をつけるつもりは毛の先ほどもありません。蔵書として長く愛してもらえたら嬉しいな、とは思いますけど、図書館で借りてきて読んでもらってもいいですし、クソつまらなかったとネットに書かれても、それは致し方ないことです。

 ただ、自分自身は人間なわけですから、作品を生み出す苦しみとか、それが世に出る喜び、そしてそれが読者の心に届かなかったときのくやしさというのは日々感じることではあります。いろいろな思い、感情もあります。でも、受け手側には、その部分は見えませんし、こちらもあまり見せようとはしません。エンターテイナーだって人間である、というのは、作品だけを見ていると忘れがちになることだと思います。

 でも、エンターテインメントを作っているのは人間なのは間違いないのです。オーディエンスと同じ、喜怒哀楽のある人間です。メンバー4人も、運営も、スタッフも、それは同じこと。彼女たちはきっと、これから真のエンターテイナーとなるべく、より自分たちを磨き上げて行くことだろうと思います。でも、人間であることには変わりません。僕は、前々回の記事で、エンタメというのは”虚”の世界、エンターテイナーは”虚”の世界の住人と言いましたが、その1枚裏側には必ず、”実”の世界と、”実"の世界の住人である、人間としてのエンターテイナーがいるのです。

 この、”虚実”の存在こそが、エンターテインメントの本質であって、これは演者側だけが持っていても、なかなかSHOWは成立しません。我々受け手側、オーディエンスも、この”虚実”を上手く楽しもうとすることで、エンターテイナーと一体化し、より素晴らしいSHOWを作り上げることができるのです。

 歌舞伎では、役者に向かって「成田屋!」などと声をかけることがありますけど、この掛け声をかけるタイミングは、舞台上の役者が一番気持ちよく受け取れるタイミングでなければいけません。舞台上で誰かが音を出しているときに声をかけてはいけませんし、声の調子や、掛ける言葉にも暗黙の了解があります。ただし、声を掛けてはいけない、という禁止ルールはありません。
 でも、観客がこの暗黙の了解を守ることで、役者や裏方も含めた、その場にいる全員が歌舞伎を最高に楽しむことができるのです。

 ももクロもずっと、この演者とファンの一体感を大切にしてきたグループだと思います。今までのライブでは、ファンの掛け声、ペンライトの光が彼女たちを後押しし、導いてきたのは間違いないのですが、これから4人がエンターテイナーとして成熟していく過程では、時に黙って聞く、いたずらに騒がない、といった、オーディエンスの成熟もSHOWの成立に必要になってきます。どんな曲でもウリャオイすればいいわけではないですし、彼女たちがSHOWを見せているときに、名前を叫ぶことが応援になるわけではありません。
 じゃあ、どういうときにどういうことをすれば、彼女たちの背中を後押しできるのか?ということを理解するためには、まずはエンターテイナーが人間なのだ、ということを意識する必要があります。感情を持った人間が、「今は声を掛けて盛り上げてほしい」「今は黙って聞いていてほしい」と、どういうタイミングで考えているかを想像する。そこが、演者と観客の間でしっかりと噛みあった時、SHOWは最高に素晴らしいものになるはずです。

 このアルバムは、ももいろクローバーZというグループが歌う、13曲+1の楽曲が録音された音楽アルバムです。何も考えなければ、それ以上でもそれ以下でもないかもしれない。でも同時に、彼女たちの人生そのものを表現した物語でもあり、最高のエンターテインメントショーはどうやって作っていくものなのか、オーディエンスである我々に教えてくれる教科書でもあると思うのです。

 余談ですけれど、この「The Show」、ライブ終わりのエンディングムービーで流れる、あつのりんこと佐々木敦教氏選曲の洋楽BGMとイメージが近いなあ、なんて思いました。ライブ終わりの、あの何とも言えない満足感と寂しさ。それを感じさせてくれるあつのりんチョイスの楽曲。いつも選曲センスいいよなあ、と思いながら聴いてるんですよね。

■ボーナストラックについて

 さて、ここまで本編13曲と完全に切り離してきましたが、本アルバムには、既存曲である「ももクロのニッポン万歳!」のセルフリメイクである、「ももクロの令和ニッポン万歳!」が14曲目、ボーナストラックとして収録されております。

 なんですけど、ね。
 僕は、聞くたび泣けてきちゃってですね。

 今回のアルバム、初回盤(B)には、既存曲を4人バージョンにリアレンジした「ZZ Ver.」が収録された特典ディスクがついております。だったら、ニッポン万歳も、リメイクではあるけれどZZ Ver.としてもよかったのでは? もしくは、ボーナストラックに収録されるのは、他の曲でもよかったのでは? とも思ったのです。でも、結果的に、本編のボーナストラックにこの曲が選ばれていました。きっと意味があるはずだ、と考えたんですけども。

 まあ、「ニッポン万歳」自体はライブでも人気の曲ですし、作り直しが必要な曲ではありました。元々、2011年の東日本大震災の被災者を応援するために生まれた曲ですが、いつまでも東北だけを応援するわけにもいかないですし、曲中一番メッセージ性の高いパートを担当していた有安さんもグループを卒業し、手を加えずにライブでやり続けるのは難しい曲になっていたのは確かだったわけです。

 曲についてはいったん置いておきまして、今回、5thアルバムの収録曲が判明して、テーマが「SHOW」であることがわかった時、僕はこのアルバムが「2度目の大方針転換」になるのでは?と考えて、友人にもそう話していたんですよね。

 ももクロは、かつて、一度大きな方針転換をしています。それが、「接触系イベントの廃止」。握手会とかチェキ会なんかは、アイドルグループにとっては生命線というべき収益の要となるイベントですが、ももクロはある時期から接触イベントを一切行わなくなりました。
 スターダスト自体は役者系の事務所であって、アイドル運営のノウハウなんかありませんでしたから、当初は他のアイドルを参考にして結構過激な接触イベントを連発していたのですが、イベントがメンバーの負担になっていることを勘案して、接触廃止の大方針転換を行いました。結成当初から接触を通してメンバーと交流を深め、ずっと応援してきた古参ファンは切り捨てられる形になってしまい、多くが離れて行くことになりました。

 でも、その痛みを伴う方針転換の結果、老若男女が楽しめるアイドルという唯一無二の価値が生まれ、今のももクロに至っているわけです。

 そして今回、このアルバムで、4人の方向性は大きく変わることになりました。ここまでのレビュー、特に後半部分を見ていただければわかる通り。従来のライブアイドルというポジションからの脱却、より純粋なエンターテイナーとしての進化と純化です。

 今、”モノノフ”として彼女たちを応援する人の中には、従来のライブアイドルとしての彼女たちを応援している人も少なくないと思います。レビューの中でも少し触れましたけど、ライブでウリャオイして一体感を味わうのが好き、だからそういう従来型の楽曲がいい、という声も多くあると思うんですよね。でも、オトナたちがメンバーの成長度合いや未来の可能性を考えたとき、今までの形態を踏襲するよりも、新たな可能性に向かったほうがいいだろう、という結論に至った結果が、今回のアルバムコンセプトだと思うのです。

 それはつまり、接触イベントを廃止したのと同じ、2度目の「切り捨て」になってしまうのではないか? という気がしたのですよね。

 その懸念を払しょくしてくれたのが、このボーナストラックでした。リメイクされた箇所もありましたけど、変わっていないパートもたくさん。変わったところも、これまで辿ってきた「ももクロとモノノフの歴史」を感じさせるものでした。
 アルバム全体でみると、大きく様変わりした音楽性やスタンス。でも、最後のボーナストラックで伝わってくるメッセージは、このアルバムが今までの歴史を切り捨てての方針転換ではなく、変えるべきところを変え、変わらないところはずっと大事にして行こうという気持ちじゃないかな、と思いました。そして世界へ。まだまだ「あの空」へ向かう夢は終わらないのです。

 「令和」になっても相変わらず、わちゃわちゃして楽しい曲でしたよね、ニッポン万歳。これからも、日々成長していく、でも根っこの部分は変わらない4人を応援していきたいと思わせてくれる、ボーナストラックとして最高の選曲だったと思います。ああ、また泣けてきてしまう。


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 というわけで、長々と語ってまいりました、「MOMOIRO CLOVER Z」全曲レビューでございますけども、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。なんかもう、まだまだ書きたいことがたくさんあって、実はもう4記事くらいいけるんじゃないか?とも思うんですけど、さすがに仕事しないといけないので、今回のアルバムについては以上ということで。

 いろいろ一生懸命書いてますけど、ここまで語ってきたのはあくまでも私見であり、もしかしたら、制作側はさっぱり意図していなかったことを、さもわかっているかのように書いているところもあるかもしれません。壮絶な勘違いもあるかもしれませんし、深読みしすぎな部分もあるでしょう。でもまあ、こうして書いてきた内容を一つのきっかけにして、多くのモノノフさんが5thアルバムをより深く考察して楽しんでいただけたら、モノカキノフ冥利に尽きるというものです。仕事そっちのけで書いた甲斐があった!みたいなね。いや、仕事してますけどね。今日もこれからやりますけどね。

 
 まだ”The Diamond Four”ことももクロちゃんたちに一切触れたことがないにも関わらず、ここまで読んでしまったという奇特な方がもしおられましたら、ぜひアルバムを手に取って頂きたいなあと思います。ただのアイドルグループと侮ることなかれ。彼女たちの音楽、そして今回のアルバムは本当に面白いです。きっと、3回ループする頃には、腰まで沼にハマっていることでしょう。ライブ会場でお待ち申し上げております。


 あんまりこう、こういう記事を自著宣伝とかには使いたくないんですけども、さすがにお前の本業はなんだ、と各所から言われかねないので、こんなもん書いてます、という自己紹介程度に自著情報を載せていただきます。何卒ご了承をば。ご興味ありましたら、ぜひこちらもご一読くださいませ。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp