窃盗性

窃盗症(クレプトマニア)とは?


  群馬県太田市のスーパーで今年2月に菓子を万引きしたとして窃盗の罪に問われた陸上の世界選手権女子マラソン元日本代表、原裕美子被告(36)=栃木県足利市=の判決公判が3日、前橋地裁太田支部であり、奥山雅哉裁判官は懲役1年、執行猶予4年(求刑・懲役1年)の有罪判決を言い渡した。
 判決理由で奥山裁判官は「前回の判決から3カ月で及んだ犯行で常習性がある」と指摘した一方、摂食障害に伴う窃盗症の治療を継続すれば再犯防止に一定の効果があるとして「もう一度社会の中で更生する余地を与えることが相当」と述べた。

◆毎日新聞2018年12月3日より引用

 ここのところ、「窃盗症(クレプトマニア)」という言葉を頻繁に見た聞いた、という方も多いのではないでしょうか。マラソン元女子日本代表というトップアスリートが、菓子などの小さなものを万引きして逮捕されたという事件のあらまし。「なんでそんなことを?」という問いに対する一つの回答として挙げられているのが、この「窃盗症」という言葉です。

 僕は、別に精神科や心理の専門ではありませんし、実際身近にこういった人がいて話を聞いた、というわけではないのですが、新刊「怪盗インビジブル」の中で、この「窃盗症」について取り上げたこともあって、少し、思うところを書いてみようと思います。



 本ノートはあくまで筆者のヒトリゴトですので、学術的なお話や詳しい体験談などは、他サイトをご参照くださいませ。

■なぜ盗んでしまうのか?

 あんまりこう、僕は「窃盗症」の解説をする立場にはないので、さらりと言ってしまいますが、「窃盗症」は通常の窃盗とは違う、精神障害の一種であります。いろいろな「〇〇症」というものがありますけれども、自力では制御しきれない、止めたいと思っても繰り返してしまう、という点について、薬物やアルコール依存症にも近いものなのかなと思います。

 窃盗症を発症するのは、女性が多いそうです。これは、窃盗症と密接に結びついているものの一つに摂食障害があり、そもそも摂食障害を起こす率が高いのが女性である、というところに起因しているのでしょう。

 窃盗症の事例やインタビュー動画などを見ますと、「盗まなくてはならない理由」が、大まかに分けて二つあるように思えました。一つは、金銭的不安によるもの。

 摂食症を併発している場合、精神的に普通の状態ではありませんから、社会生活に何らかの問題があるケースが多いようです。収入が安定せず、金銭的な不安が常につきまとい、「吐くための食べ物」につぎ込むお金が「もったいない」と感じてしまう。近年、年金暮らしの老人が常習的に万引きすることも問題になっていますが、こういった金銭的不安からくる「窃盗しなければ」という精神的プレッシャーが引き金になることもあるようです。

 もう一つは、緊張状態からの解放です。

 前例は「お金を使いたくない」という実利的欲求でしたが、窃盗症の場合、それよりも「精神的な解放」が重要なのだと思います。というか、それこそが「窃盗症かどうか」の判断基準のようで。
 僕が見た事例では、「盗むという行為の前に、とんでもない緊張がある」という話がありました。その緊張感の中で物を盗んで、何事もなく店を出た時に、強烈な解放感を味わうことができるそうなのです。それが、日常の中で抑圧されている精神の解放に繋がって、一時的な精神的安定を取り戻すことができる。前述の老人の万引きと違って、こちらは中高生がスリルや刺激を求めて万引きをする理由に近い気がしますね。

 通常、盗みは「見つからないように」行うものですが、窃盗症の人の場合、どこかで「見つかりたい」「捕まりたい」という欲求もあることが多いようです。冒頭の事例でもそうだったのですが、自分のおかれている苦境から逃れたい、自分の人生を壊したい、という自己破壊衝動と、誰かに自分の苦しみをわかってほしい、という欲求が根源にあるのかもしれません。そういう意味では、リストカットやOD(オーバードース)などの自傷行為にも近いのかなあ、と思います。

 モノをただで手に入れたい、というだけではなく、「盗み」そのものが行為の動機になってしまう。一時的な解放感を味わった後、また精神的抑圧が深まっていくと、「盗まなければ」という強迫観念のようなものに駆られて、盗みを繰り返してしまう。普通の窃盗とは違う、病的な窃盗。それが、窃盗症という「病」なのだと思います。

■犯罪と病気の狭間

 ネットでですね、この事件についての意見をさらってみると、大きく二つの意見に割れていたように思います。一つは、結局のところ窃盗は犯罪なのだから、「病気」というのは言い訳である、という意見。もう一つは、「病気」なのだから仕方がない、というもの。

 僕は、どちらも違うんじゃないかなあ、と思うのです。

 まず、窃盗症というものが、通常の窃盗とは違う「病気」であるということは、理解すべきところではあります。そこに至るまでにはさまざまな抑圧があって、当人にしかわからない苦しみがある。それを自己責任と言ってしまうのはあまりにも不寛容ですし、無知と言わざるを得ない。
 ただ、「病気だから」という言葉で単純に擁護するのは、またそれも違う気がするのです。実際、盗まれる側から見れば、病気であろうがなかろうが、生活に直結する被害を受けているわけですから。

 僕が「怪盗インビジブル」という「盗み」をテーマにした小説を書くにあたっては、前担当編集さんから「書店から本を盗んだ万引き犯が地獄の苦しみを味わう小説を書いてほしい」と半ば本気で言われた、という経験も一つの出発点となりました。書店の万引き被害はほんとうに深刻であるようで、万引き被害が経営を圧迫して、つぶれてしまったところもある。そういった視点から見れば、いくら「窃盗症」が自分ではどうしようもない病気であったとしても、商品が盗まれることに変わりはないのです。

 ちょっと前に、LGBTに絡む某雑誌の廃刊騒ぎがありましたけれども、その中の寄稿文で、「痴漢症候群」なる言葉が取り上げられて問題になりましたね。「痴漢を擁護するのか」という批判が起きて。これ、たぶんなんですけど、時期的に寄稿文の筆者は僕と同じテレビ番組を見たんじゃないのかなあ、と思うのです。それは、NHKの「クローズアップ現代」。その回で取り上げられたのは、「痴漢症候群」と「窃盗症」でありました。自分ではどうしようもない依存症で、かつ犯罪行為になってしまうもの、というくくりでしょうね。

 犯人は、自分でコントロールができず、やめたい、やりたくないと思ってもやってしまう。ここに同情すべき点は確かにありますが、窃盗や痴漢という犯罪行為には明確に「被害者」が発生する。アルコール依存などと違って、被害者側の受ける苦痛や実害も考える必要があるわけです。犯罪につながる依存症の難しさはここにあるのだと思います。

 ただ、「自分でコントロールできない」ということを、「甘え」という人がいます。甘えなのだし、そういう状況に陥ったのは自己責任なのだから、さっさと有罪にして刑務所に放り込め、という論理。きっと、「自分がコントロールできない」という感覚がわからないからだと思うんですよね。
 僕も、自分で自分の意思がコントロールできなくなるといった経験はありませんが、窃盗症を扱った「怪盗インビジブル」や、薬物依存がテーマの一つである「バイバイ・バディ」といった自著の執筆にあたって、本当に自分の力ではどうしようもないという状態はやっぱりあるのだ、ということを痛感しましたし、自分がいつそうなってもおかしくないのだ、ということも恐ろしいな、と思いました。
 体感したことはなくとも、理解はすべきだと思います。

 病気であることは理解した上で、万引き被害にあう経営者側の立場にも立たなければならない。だとすると、一番の解は、「窃盗症の人が盗みを行えないようにブロックすること」だと思うのです。

 これには、社会全体の取り組みが必要になります。病気であることを早期に発見すること、そして窃盗を起こす前に止める人がいること。本人が病気なのだと自覚すること。事件を起こす前に、窃盗症の根源となる抑圧状態を解消したり、精神障害の治療を行うことができること。

 そのためにまず必要なのは、「知ること」です。多くの人が「窃盗症」という「病気」を知って、理解すること。そこがまず出発点になるはずです。

■痛感した「難しさ」

 冒頭で紹介した原裕美子さんの事件ですが、この方は、2014年、2015年にも万引きで捕まっておりまして、僕はその時にニュースを見て知っていた記憶があります。当時はまだ、「窃盗症」という言葉を知らず、また、原さん自身がメディアに登場することはなかったので、僕は記事の内容から「病的」だな、という感じは受けつつも、どちらかというと「競技引退後に生活が荒んでしまった人」か、「なにかしらの原因があって精神的にかなりおかしくなってしまった人」というイメージを持っていたのですよね。

 ですが、ここ数日、メディアに出ている原さんは、ぱっと見でそういった「病気」を抱えているようには見えなかった。元トップアスリートということを除けばごく普通の女性に見えましたし、受け答えも破綻などなく、普通。彼女が友人であったり家族であったりしたとして、果たして「窃盗症」であるということに気がつくだろうか、と唸ってしまいました。

 「知る」ということがこの問題にとって大事なのだ、というのが僕の持論ではありますけれども、たとえ知ったとしてもなお、この問題は難しいのだということを、ここ数日痛感させられたように思います。

 ただ、少なくとも、罰するだけで解決する問題ではないことは確かです。冒頭の判決が、すべてを物語っているのではないかなと思います。


■やはり僕らは知るしかない

 こういう事件に自著を絡めるのはいかがなものか、という葛藤はあるのですが、今月刊行した「怪盗インビジブル」に登場する「窃盗症」のキャラクターのモデルの一人が、実はこの原さんだったのです。モデルと言っても、キャラクター造形に影響を受けたというよりは、「窃盗症」を知るきっかけになった人である、ということなのですけれども。

 「怪盗インビジブル」の執筆中は、まだ原さん自身が語るところを見る機会はありませんでしたので、今回、会見で述べられたお話は興味深い話であったとともに、作中キャラクターの苦しみとリンクする部分があって、非常に貴重な情報であったなあと思います。ご本人にとって、テレビの前に出ることはさぞかし勇気のいることだったでしょうが、彼女が赤裸々に自身の経験を話してくれたことで、こうして「窃盗症」という言葉がいろいろな人に知られ、注目を浴びることになりました。それが、とても大きな一歩であると思います。

 僕のようなモノカキも、こういった難しいテーマについて取り組むことで、なにかしら社会に貢献できないかなあ、という思いもあります。便乗するような感じになるのは本意ではないのですが、せっかく世間の耳目が「窃盗症」という言葉に向いていることもあるので、僕が自著を通して考えたかったことも伝わればいいな、と思いました。


 ここで何かしらの結論を出すことはできないわけなのですが、昨今の中ではとても考えさせられたニュースであったので、つらつらとヒトリゴトを書かせていただきました。こういうものをなくす、撲滅するというのは難しいのでしょうが、少しでも加害者・被害者が少なくなればいいですね。




小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp