見出し画像

『できたてごはんを君に。』のウラバナシ(1)

さて、集英社文庫ナツイチも始まりまして、『できたてごはんを君に。』を手に取ってくださった方もおられるでしょうか。

まだ読んでいらっしゃらない方もいると思いますので、ザラっとおさらいをいたしますと、本作は『本日のメニューは。』に続く、ごはんシリーズ第二弾ということで、飲食店にまつわる短編集となっております。シリーズ間のつながりもありますので、ぜひぜひ、一作目も併せてご一読いただければ幸いでございます。

と、前置きをしたところで、今回は『できたてごはんを君に。』のウラバナシということでございまして、第一話「ほほえみ繁盛記」についての元ネタとかあれやこれやのお話。


以下、ネタバレも含みます。

■ボクシングが書きたかった

さて、一話目の「ほほえみ繁盛記」は、夫の失踪で突如とんかつ店を経営することになった笑子(えみこ)と、新人ボクサーで、かつ丼が好物という大和(やまと)の交流を描いたお話。

僕は格闘技全般好きなんですけれども、最近はボクシングが一番好きで。ボクシングジムにも通って多少経験もあるもので、ボクシング小説書いてみたいなあ、なんてずっと思ってたんですよね。
でも、どの版元の編集者さんに話してみても、「今、ボクシングもの書いても売れない」と却下されてしまうので、こうなったらごはんものでボクシング書いたれ、と思って書いたのがこの第一話。

ボクシングと切っても切り離せないのが減量でありまして、試合前1~2ヵ月間もの間、ほとんど食事も摂れないってやっぱり大変なことだと思うんですよね。なので、ボクシングシーンを書きたかったとはいえ、無理にこじつけたわけではなく、食という観点から見たボクシングを描くことにしました。

僕も、昔アマチュアの試合に出たことがあって(その当時はキックボクシングでしたが)、普段70キロ近くあった体重を三週間で63kgまで落とさなくてはならず、体重超過の恐怖感から減量もやりすぎて当日計量59kgになってしまい、見事、63kgの相手に力で押し負けた、という経験があります。

減量中は、毎日5時間くらいハードな練習して、食べるものはゼリーだけ、とかですからね。アマチュアでこれなんだから、プロはもっとキツイだろうと思います。三週間、しんどかったけど、減量明けに食った炊き込みご飯はとても美味しかったです。かつ丼じゃなかった。

修正前の原稿では趣味が暴走してボクシングの試合の描写とか、かなり詳しく書いていたんですけど、これはたぶんごはんものだと思って買ってくださった読者さんがきょとんとしてしまいそう、ということで、完成稿はだいぶ抑えた感じになりました。いずれ、ガチのボクシング小説も書きたいなあ。

■モデルにしたお店

(ちょっとネタバレになりますけれども)話の最後で、試合で打たれたせいか手の震えが止まらなくなってしまった大和に、笑子はスプーンで食べられる「オムライスのようなかつ丼」を考案します。これ、読んでくださった方はどんなの想像しましたかね。完全に僕のオリジナルなので、まったく同じようなかつ丼を提供しているお店は、たぶんないんじゃないかなと思います。もしあるよ、という方がおられましたら是非教えてください。

ただ、かつを一口サイズに切る、というお店はありまして。それがこちら。

愛知県豊橋市のお店なのですが、残念ながら、現在は閉店されたとのこと。

僕は件のお店に行ったことはなかったのですが、とんかつについていろいろ調べる中で偶然この「縦横にカットしたとんかつ」という珍しいメニューを提供しているお店があることを知りまして、これがこの作品のストーリーを考えるきっかけになりました。


もう一店、こちらは食べに行ったことがあります。

渋谷の「瑞兆」さん。
有名店なのでご存じの方もいると思いますが、いわゆる「のせカツ丼」のお店ですね。メニューはかつ丼一本というストロングスタイルのお店。

近年、のせカツ丼とかかけカツ丼とか、いわゆる「カツ煮」を乗せるタイプとは少し違う作り方のお店も増えてきましたけれども、本作でも、かつ丼をどういうタイプのものにしようかなあ、と悩むのが楽しかったですね。


■ラード地獄

作中のとんかつ店「梅家」は物語の中で、肉や米のランクを上げたり、新しい調理法を取り入れたりして素人料理人が作るショボイとんかつ店からだんだん進化していくのですが、中でも大きな変更は「炊きラード(または「焚きラード」とも)」を使うようになったということ。

この「炊きラード」とはどういうものかというと、豚の背脂を大鍋でじっくり加熱して脂を抽出するもので、市販の精製ラードに比べて旨味や香りが強く残ります。また、肉屋さんなんかでは万力などで絞って抽出することも多いのですが、ただ炊くだけで作る炊きラードは、抽出量が減ってしまうものの、絞りラードよりも雑味が少なくて済みます。

などと、蘊蓄を申し上げたのですが、この炊きラードを使っているお店ってそうそうなくて、あんま食べたことなかったんですよね。で、毎度のことですが、ちょっと自分で作って試食してみよう、となりまして、自宅で作ったんですよ。炊きラード。

ただ、酔った勢いで、背脂を10キロも買ってしまい。

国産A背脂10キロ

いや、しっかりとんかつを揚げられるくらいの量のラードを抽出するには、10キロくらい必要なんじゃないか、と思ってしまったんですよね。酔ってたから。
でも、背脂って思った以上に脂の塊で、歩留まりの悪いはずの炊きラードですら、結構な量が取れてしまいました。絞ったらもっと取れんのかこれ。すごいな。

6リットルくらい取れた

ということで、自宅で作ったラードで揚げた試作カツは非常に香りもよく、思ったより重たくもなくておいしかったんですけど、試作&試食に使ったのはいいとこ1リットルくらいで、その後しばらくいろいろな料理にラードを使う羽目になりました。皆さんがラードを自宅で作るときは、背脂3kg分くらいにしときましょうね。作らないか。

■細かすぎて伝わらない小ネタ

僕の作品は、いつからか小ネタをぶち込むのがお決まりになってきているのですが、これが小ネタも小ネタすぎて誰も気づいてくれないので、今後はちょいちょいネタバラシして行こうかなと思います。

(1)登場人物の名前

第一話の登場メニューが「かつ丼」ということで、登場人物にはブランド豚に由来する名前を付けてみました。主人公「梅山笑子」は、中国の「梅山豚(メイシャントン)」と、秋田の「笑子豚(えこぶー)」から。ボクサー「林大和」は、「林SPFポーク」と「やまと豚」から取っております。

特に、「笑子」という名前から、「辛い時こそ笑顔を絶やさない」というキーワードのようなものができて、作品に一本筋が通ったかなと思います。

その他の登場人物も銘柄豚の名前を拝借してつけておりますね。

(2)タイトル

タイトルの「ほほえみ繫盛記」。
編集者さんは気づいてくれましたね。元ネタは昭和のドラマ「細うで繁盛記」から。
僕は(2023年現在)40代なんで、リアルタイムではさすがに観ていないですけど。

(3)大和の階級

作中、大和は「フライ級」のボクサーなのですが、これはまあわかりやすいですかね。カツがフライ(揚げ物)だからですね。

ただ、当初は、林SPFポークから名前を取ったので、スーパーフェザー(SuPer・Feather)級にしようかなと思っていました。でもね、スーパーフェザーってちょっと大和というキャラクターのイメージより一般的に体が大きい(だいたい170cm前後の選手が多い)のと、作中の時代的にジュニアライト級がスーパーフェザー級に名称変更された下りとか説明しなきゃいけなくなっちゃうのがネックで。

ボクシングの階級名がジュニア〇〇→スーパー〇〇になったのは1998年とかだったので、僕の場合は作中の年月日は明記しないんですけれども、「〇年前」みたいなものを今の時代に置き換えるとこの辺の年代ドンピシャになってしまったんですよね。

まあ、小ネタのせいで作品の大筋を変えるわけにもいかないので、フライ級というストレートなネタに落ち着きました。ボクシングだけに。


ということでございまして、今回のウラバナシは、『できたてごはんを君に。』の第一話「ほほえみ繁盛記」についてお話させていただきました。次回は、第二話「スパイスの沼」についてお話させていただければと思います。ではまた。


小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp