09/22-30


09/22(金) いまからボケ防止の手遊びボールみたいなのやったほうがいいのでは

むかし、北野ファンクラブを見ていたら「オイラも30代後半くらいから言葉が出なくなってきてよ」などと言っていました。北野が。
中学生だったぼくは「ふーん、30代後半なんておっさんだもんな、そりゃ頭も鈍くなるよな」と、他人事を通り越して別世界のできごととして受け取っていましたが、おそろしいことにいまのぼくは別世界の我が事となっています。

ちなみに、別世界にきてしまったとはいえ自分のまちがいを察知する能力はまだ持っていますので、いま北野ファンクラブの放送時期を調べました。ぼく、中学生じゃなくて小学校の高学年ですね。このへんに気づく叡智、北野との格の違いってやつでしょう。

そうは言いつつも、ぼくも明らかに頭が悪くなってってます。北野が言うとおり、たしかに言葉が出てこない時ある、多々ある。
正確には、言葉自体は出てきます。ただ、的確な言葉が出てこないのです。

あることを表す言葉が3つあるとして、その選択肢のなかからTPOや文脈、話し相手によって、最適な言葉を選び出す能力。この能力自体は経験によって磨かれるところがありますから、衰えは感じませんし、むしろ精度は上がっていると思います。
問題は…大問題は、そもそも3つの選択肢が出てこないということです。1つしか思い浮かばないし、それが最適な言葉ではないこともわかっているのに、残りの2つが出てこない or 出てくるまで時間がかかる。そして、やむを得ず選択肢なき選択をし、不本意ながら不適格な言葉を提出することになる。

さらにいえば、3つどころか1つどころか、0になる時さえあります。
「そうだ、あのことを検索しよう」と思いGoogleを開き、その際にページの下部にトピックスが表示されて「お、このニュースはなんだ?」とクリックし、読み終わって検索画面に戻ってきた時には「さーて、あのことを検索するかぁ…あのことあのこと…検索しようと思ってたあのことって、どのことだっけ…?」となる時がある。改めて書いてみるとこわいですね、自分が。
おそらく、もっと歳を重ねれば「Googleを開き」の時点であのことを忘れてしまったり、ニュースを読み終わると検索しようとしていたこと自体を忘れるようになってしまうんでしょう。

そして最後に、もっとおそろしいことがある。いま、北野は76歳です。言葉が出なくなり始めた30代後半から考えて、倍の年齢です。
ということは、ぼくがふつうに生き続けるのなら、このボンクラ化が絶賛進行中の頭脳で残り半分の人生を過ごさなければならないという現実。平均的な76歳と比べれば、北野は頭を使っているほうのはずです。それでもあのフガフガ感。
ぼくはもっと早くフガフガになるでしょうから、まわりの人間をフガフガ慣れさせたほうがいいかも。こっちの衰えは止められない以上、まわりがぼくに合わせてくれるしかありませんので。


09/23(土) 所さんの思い出、わりとあった

先週、VIVANTで別班の面接を受ける時の堺雅人のすごさを「マジカル頭脳パワーの所さんくらいすごい」と評しました。
あの面接での問いは、戦時中の軍でも実際に行われていたとかいないとか。しかし、それはぼくの表現になんら瑕疵を与えるものではありません。
旧日本軍の知性=マジカル頭脳パワーの所さんの知性、というだけの話です。

当時、アメリカは世界の最先端をひた走っており、それは暗号解読も物理学もその他いろんな分野でも、他国に何馬身差もつけて走っていました。
しかしだからといって、アメリカの知性を100とした場合、日本の知性が0だったとは思いません。局所的にはかしこいひともいましたし、トータルすれば0ということはない。
では何馬身差だったか。アメリカが相対性理論発表時のアインシュタインだとすれば、日本はマジカル頭脳パワー時の所さん。これくらいの差です。なんとなく腑に落ちないでしょうか。だめでしょうか。

Twitterで老人会の連中が、たまに所さんの画像をあげている時があります。意味はわかりませんが、所さんを選んでしまう彼ら彼女らの無意識に潜んでいる根源はわかります。

あの連中は、ぼくと同世代が多いわけですが、子どもの頃に所さんが天下を取った時期がありました。それ以前の所さんはバカキャラだったらしいですが、ぼくもそのあたりのことはよく知りません。しかし、所さんが中心にいた90年代というのは、たしかにありました。

NHK教育ではアレフで笑わせ、マジカル頭脳パワーでは持ち前の知性で感嘆させ、たまに「私は貝になりたい…」などとシリアスな演技で泣かせ、それが終わればBIG3と楽しそうに遊んだりもする。

先に「天下を取った」と言いましたが、それは芸能界的な意味ではありません。天下ならば所さんのともだちであるBIG3がいましたし、勢いではダウンタウンが猛威を振るっていました。当時の子どもたちに「いちばん好きな芸能人は?」と聞いたところで、所ジョージの名を挙げる子どもは多くもなければ少なくもなかったくらいのものでしょう。

所さんの天下というのは、当時の子どもたちの喜怒哀楽のすべてを支配していたという意味です。
90年代の子どもたちにとって、BIG3の全盛期は過ぎてしまい、全盛期のダウンタウンは笑いという局所戦で圧勝しても、ありとあらゆる感情を動かしてくれるわけではない。
喜びも悲しみも、すべてを担う存在。90年代の所さんは、ほとんど家族のような原初的存在の位置にあったのです。それが90年代に子ども時代を過ごした者たちの無意識に潜む根源なのです。

うちの父親はビートたけしを蛇蝎の如く嫌っており、父親の前では彼の出演番組を見ることができませんでした。勉強要素が強めの平成教育委員会でさえアウトでしたし、ひどい時にはテレビのチャンネルを切り替えてる際にチラッとたけしが映るだけでも機嫌が悪くなる始末。
そんななかで唯一見ることを許されていた番組がありました。世界まる見えテレビ特捜部です。なぜか。
ここまでの話を読んでくれた方にはおわかりでしょう、所さんが出演していたからです。父親も所さんのことは「たけしはろくなもんじゃないが、こいつはかしこい」と評していました。所さんは蛇蝎も殺す。

最初の話に戻りますが、堺雅人や旧日本軍をマジカル頭脳パワーの所さんくらいのすごさだと評することは、最大限の賛辞なのです。
大人になったいまとなっては所さんの影響下になんていないですし、感情を動かされることも、彼についてなにかを思うことも特段ありませんが、たまにふと思い出す時もある。でも、家族ってそういうものですからね。


09/24(日) 逆にAmazon倉庫をショッピングモール化すればいいのでは!

Amazonの配送がてきとうになっている…!
ぼく、これは個人ドライバーに託し始めた時点で気づいていたんですけど、さっきTwitterでおなじようなこと言ってるやつがバズってました。でも、ぼくはとっくに気づいてたんで。

以前、マーケットプレイスで古本を購入し、Amazonから「配送済みやで!」という連絡がきたのでワクワクしながら宅配ボックスに向かったら、なにも入っていないことがありました。

ワクワク損じゃないか!と思いつつも、Amazonに連絡したら「配送されてへん?…でも、配送しとるんで!」と、なぞなぞのようなことを言われてしまいました。
次に宅配業者へ連絡したらしたで、こいつはたしかに配送したっぽい。なぜなら、ぼくが住んでいるところの特徴を仔細に話していたので…生まれてからすべての記憶を保持するギフテッドを授かりし者かと思うほどに。なんでそんな能力あるのに宅配業してるんや。
けっきょく、古本はどこに消えたのか謎です。ふしぎですけど、消えてしまったものはしかたありません。消えるものってそこそこありますからね、国家とかでも消える時あるので、本一冊くらいは。

で、昨日です。昨日の話です。
最近はAmazonポストとかコンビニ受け取りとかが多いのです。仕事に向かう際に受け取ったり、家に帰らずそのまま飲みに行く時に受け取れば、休憩時間や電車で本を読めますから便利。

コンビニ受け取りの時も「配送済みやで!」という連絡がきます。プラス「このリンクを踏んだらバーコードが出るから、それを店員はんに見せるんや!」というメールもきます。
今回はその連絡がきてから2時間半後くらいですかね、ワクワクしながら指定のコンビニへ行きました。
店員さんが荷物を持ってきてくれて、いざメールのリンクを踏んだのですが、まったくバーコードが表示されず「まだ荷物届いてまへんでwww」と笑われたのです、サファリに。
それを見た店員さんも「バーコードないひとはちょっとねwふつうあるよね、まともな大人ならねw」みたいな感じでした。

確実に荷物は届いています、ぼくの名前が書いてあったので。
どうしようもないのでAmazonに電話しました。次はこっちがなぞなぞを出す番だ!と言わんばかりに「配達されてるのに、配達されてないってなります!」と言ってやりました。
向こうの解答は「配達されてるのに配達されてないってなるということですね!」と3回くらいなぞなぞをリピートした末に「ちょっとそれ、ウチにはわからへんわ…」でした。

「メールが届いてバーコードが出るまで2時間くらいかかるかも」とも言っていましたが、とっくに2時間など過ぎています。でも、このひとにこれ以上言っても解決しそうになかったので電話を切り、なんだかんだあって家に帰ってからリンクを踏むとバーコードが表示されました。これでやっとまともな大人に。

このAmazonの体たらくの原因、ぼくは本屋を駆逐して調子に乗ってるからだと思います。そんなになぞなぞが好きなら今後はAmazonarを名乗るようにしてほしい、本気でそう思っています。


09/25(月) 罪と罰

佐賀の鳥栖市にて両親を殺害した19歳に懲役24年の判決が下され、世間から「虐待されていたのに重すぎだ」と怒られていました。被告である19歳の親族にまで怒られていました。
また、名古屋にて飼い主の女児の目の前で犬を轢き殺したじいさんは書類送検されるらしいですが、こっちは「軽すぎだ」と怒られていました。犬も「軽すぎだワン」と怒っていることかと思います。

このような事件レベルまでいかずとも、日常生活でも罪と罰のバランスが悪いことは、よくあります。ちょっとしたことで予想外に怒られたり、逆に怒られるかと思いきや「あれ?ぜんぜんセーフなのか?」ってなったり。というか、ちょうどいいバランスのことのほうが少ない。
ひとは、なかなか的確なジャッジメントを下せないのです。うちの親父も野球を見ながら「いまのはセーフだろう!」などと勝手に審判をしていましたが、このようなゆるふわジャッジメントは世に蔓延しています。実際、鳥栖の件もなかなかのゆるふわジャッジメントです。

小学生の頃、給食当番が給食を運んでいる時に、当番じゃなかったぼくと友だちは他のクラスの子と廊下で喋っていたのですが、こんな罪とさえいえない罪に対して、担任がぼくらに与えた罰は給食抜きでした。

この時は、ほかの子たちから給食を恵んでもらったうえに、なぜかみんなが食い終わったあとに給食を与えられたので(公立小学校の教師は自分がなぜ怒っていたのかもすぐ忘れます)、結果的に規定量の1.5倍くらいメシを食うことになったのでよかったですけど、これはまぁ不幸中の幸いのようなもので、与えられた罰が重すぎることに変わりはありません。

あと、むかしから思っているのは…これはだれかにやられたとかじゃないんですけど、コップやお皿を床に落として割った時の被害って大きすぎると思います。
罪でいえば「ちょっと手がすべって落としてしまった」くらいもので、情状酌量の余地ありありのはずです。

でも、それに対する罰は「コップや皿が消滅」「うっかり動くと破片で怪我する可能性もあり(すでに怪我している可能性もあり)」「破片の掃除もめちゃくちゃめんどくさい」「掃除し終えたところで『これはなにゴミに出せばいいんや????」』という大量のクエスチョンとその解決」と、罰として異様なほどの社会奉仕活動をしなければいけなくなるのです。しかも、たいていの場合「お腹いっぱいで眠くなっている時に」という条件付きです。

このような二例を持ってしても、世のなかにおける罪と罰の天秤が釣り合っていることなど限りなく少ないのだ、ということがわかるかと思います。
ぼくが正しい天秤で測りますと、給食の例に関しては罰を与える必要さえありません。コップ落としに関しては、さすがに無罪とはいきませんがコップ消滅のみで罰は充分のはずです。おとなしく割れろ。

さらに最初にあげた事件ふたつにも、ぼくが的確なジャッジメントをしときます。

両親殺しの19歳は、いくら虐待を受けていたとはいえ、ふたりも殺してしまうと有罪は免れません。
懲役3年と、あと彼には命の大切さを学んで改心していただきたいので、今後の人生では食肉禁止+虫を殺すのも禁止とします。焼き肉屋さんに行っても野菜しか食べちゃだめですし、その野菜にアオムシがついていたら指にそっとのせて草原に連れてってあげる生活をするのです、一生。彼への罰は、まぁこんなところでしょう。

名古屋の犬殺しジジイに関しては、殺した以上は犬を救ってもらわないといけません。
クーアンドリクというペットショップが問題ありありらしいので、ジジイが檻のなかの犬を解放し、犬のふりした自分が代わりに檻へ入る刑ですね。クーアンドリクに「あれ?こいつ人間なのでは?」と疑われて鬼畜の所業をされても、ジジイは「わん?」とすっとぼけた顔して頑なに犬のふりをして受け入れてもらう、これくらいが罰としてちょうどいいバランスです。

世間にはびこるゆるふわジャッジメントではなく、びしっとジャッジメントの例でした。

09/26(火) 年越しラーメンのほうが良い

ちょっとした嘘をつくことがある。
今日もつきました。会社でちょい歳上の上司が「歳をとったせいか眠りが浅い、若い頃は10時間とか寝ることもあったのに」と話してきたので「あーそうですよね」と合わせたわけですけど、本当はぼく、そうでもないです。
たしかに、年齢を重ねるごとに浅くなってはいます。夜中に目が覚めることもある。ただ、10時間どころか半日眠り続けることもある。だからまぁ本当と嘘のハーフアンドハーフくらいですけど「夜中に目が覚めるぼく」という人格だけを表に出しました。

こういう処世術的な嘘自体は誰にでもままあることだと思いますが、あまりにちいさい嘘すぎて設定を忘れる時がある。上の例なら、今後その上司がいる席で「半日くらい寝た!」と言ってしまうような。
この程度の話なら相手も覚えていないでしょうからいいんですけど、けっこう微妙な時もあります。

20代の頃、女の子が「そば食べたい」と言うので「俺もそば好き」と答え、そのせいで付きあってからもずっとそば好き人間だと思われたことがありました。
「わたしはたまにそばを食べたい時もある程度だけど、このひとはそばが好きなんだ」と思われ、ひどい時には「ラーメンよりそばのほうが好きでしょ」的なことさえ言われる有様。ラーメンよりそばを優先する20代男性なんてこの世に存在しません。
これも実際は「好きでも嫌いでもない、世界からそばが消えてもがっかりはしない」くらいが答えですけど、付き合う前ですから「すこしでも共感していきたい…!」というちょっとした下心がありました。このちょっとした下心は、ちょっとした嘘と量的にイコールです。しかしその結果、ちょっとしたという言葉では済まない大きな十字架を背負い生きるはめになってしまったのです。そば好きって書かれた十字架を。

(そもそも、そばってうまいんだかまずいんだかわかんないんですよね。今度みなさんもリズムで食わずに冷静に味を確かめてほしいんですけど、そうめんやうどんよりも味の主張はあるし、甘みのような苦味のような味はたしかにあります。でも、その甘みや苦味がうまいものなのか、まずいものなのか、よくわかりません。けっきょくはつゆの味だし。)

しかし、だからといって正直に答えるのもなかなか厳しい。これは人格の問題などではなく、コミュニケーションそのものに潜む特性によるんだと思います。
ひとは、森羅万象すべてに判断や決定をするわけではないし、する必要もないのですが、相手と対する時にそれでは話が進まないということがある。本当はどっちでもいいことがほとんどなのに。
よくある話ですが「なに食べたい?」への答えが「なんでもいい」では険悪な雰囲気が忍び寄ってくる。心の底からなんでもよかったとしても「そば!」と答えなければ話が進みませんし、そばがうまいんだかまずいんだかわからなくても「そばうまい!」と言わないと、一度は振り払ったはずの険悪な雰囲気が走ってやってくる。
そいつを殺すには、ちょっとした嘘を撃つのがいちばんかんたんなのです。そば粉でできた手錠をはめることになろうとも、です。

今日はSNSでバズりそうな話となりました。そばってうまいんだかまずいんだかよくわからない、ってあたりが。


09/27(水) ふたつのメモ

数年前から、カテゴリ問わずなにか思いついた時はiPhoneのメモ帳に書き残すようにしています。

なぜか。
学生の頃、まわりが就活で慌ただしくなり、それまでちんけな学生だったみんなが急に手帳を持ち出して「なにをかっこつけてるんだ、俺は予定くらい記憶できる」と頑なに手帳を持たないことを決意し、実際スケジュールなんて余裕で覚えられていたのですが(そもそもそんなに予定ないし)、いまはもう思いつくそばから忘れていくようなリス以下の脳みそになっているからです。
そしていま、一週間前にも似たようなことを書いてあることに気づきました。ね、ぼくの言ったとおりでしょう。

メモには一見すると謎の言葉も書かれていますが、さすがに書いた本人であるぼくが見ると理解できます。深く沈んだ記憶を汲むためのつるべとしてのメモ。
以下はメモの断片です。

「ジョジョは一休さんとおなじ」

これは説明するまでもないですね。ジョジョという漫画は、まず謎に包まれた敵のスタンドが現れピンチに陥り、それをなんとかして撃破する話が続くわけですが、要するに無理難題をとんちで解く一休さんとおなじ構造なのです。
超長期連載で家系の話でもあるのに恋愛描写がないのも共通しています。一休さんがさよちゃんを口説くわけにはいかない、きもい。

そもそも恋愛には明確なゴールがあります。別れるか、結ばれるか。
時間経過を永久に引き延ばすような少年漫画的な長期連載には向かず、少女漫画に長期連載が少ないのもそれが理由です。数少ない長期連載であるガラスの仮面にしろパタリロにしろ、恋愛を描かないか、関係性が変化しない形式的な恋愛設定が挿入される程度です。

閑話が入り込みましたが、こう考えると、ジョジョが長く続くのもわかります。あの漫画は主人公が変わろうとも絵に技巧をこらそうとも、本質的にとんちを楽しむ漫画ということです。

「BSで椎名林檎の歌詞解説をしていたのは、ねじめ正一」

おそらく25年近く前のBSで椎名林檎の特集が組まれており、詩人のねじめ正一が椎名林檎の歌詞を読解していました。これ自体は覚えているのですが、どうしてもねじめ正一という名前を忘れてしまうのでメモに残しています。ぼくの脳みそのエアポケットに入りやすいんですね、ねじめなんとかさんは。
この番組自体は特段おもしろくもなかったのですが、まれに思い出すのです。そして、毎回ねじめ正一という名前が出てこない。というか、名前を忘れるからこそ、この番組のことを思い出してしまうのです。

「詩人の名前を忘れてしまうあの番組」ということだけを明晰に記憶してしまっており、その記憶は引き出しの前のほうに入っている。でも、その記憶のなかに「ねじめ正一」はいないのです。忘れてしまった記憶で固定されている。その番組は検索ではなかなか引っかかりにくいので、毎回がんばって思い出していたのですが、いい加減うんざりしてきたのでメモに残しました。
なかなか伝わりにくい事象かと思いますが、それは各々が努力して理解してください。

椎名林檎がデビューしてしばらくは、この手の文芸寄り、サブカル寄りのひとびとから絶賛されていました。ぼくはそういう雰囲気がいやで、椎名林檎までいやになった時期。それがBSでの特集番組の時期なのです。臭いものには蓋的な感じでねじめ正一も記憶の底に閉じ込めたんだと思います。

なぜいやだったか。
いまのクイックジャパンはポピュラーなメインカルチャーを扱う雑誌へと変貌しましたが、当時はサブカルチャーの前線で活躍する雑誌でした。かんたんにいえば、人気者や売れっ子に唾を吐くような、まぁいまでもあるといえばある文化ですけど、そういうノリが支配しており、ぼくも思春期の中学生らしく積極的に支配下へ置かれにいってました。

しかし、ある日の号の編集後記で、皮肉でもなんでもなくストレートに「椎名林檎様、愛しています」と書いている編集者がいたのです。
これを目にした時のぼくは吐き気を催しました。
けっきょくおまえらは、いくら尖ったふりをしていても自分たちの感性に媚びてくれる若くて綺麗な女がいれば、そいつがメジャーな舞台にいようがなんだろうがかんたんに籠絡されるんじゃないか!という吐瀉物を吐きながら。

この時、クイックジャパンは死にました。
そして、サブカルチャーの精神を体現する役割を終え、現在のメインカルチャーを扱う雑誌へと舵を切ることとなったのです。

今回はメモふたつしか紹介できませんでした。


09/28(木) はじめてサプリの効果を実感

数種類のサプリメントをてきとうに飲んでいます。
ビタミンとかカルシウムとか、幼稚園児でも身体に良さそうってわかってそうなものを。大人のぼくは具体的にどのような良さがあるのか掴みきれていないですが、だいたい毎日摂取しています。

最近になって亜鉛のサプリも増やしました。
ぼくはディアナチュラのサプリで統一しているのですが、亜鉛のサプリってマカも入ってるんですよね。亜鉛のみのものも販売はされているみたいですけど、ぼくが行っているコクミンドラッグには置いていません。

マカって、髪や肌の健康維持に効果がある。しかしそれは表向きの顔であり、やはりイメージとしては精力剤でしょう。特に男性ですね、ちんちんをちんこに変貌させるための栄養源。
ちなみに、ぼくは通常時を「ちんちん」、勃起時を「ちんこ」と表現いたします。「こ」っていうのが固そうな印象を付与してくれるからです。

かっこつけたいわけじゃないんですが、そういう意味でのマカをぼくは必要としていません。
だけど、亜鉛&マカって書かれた容器をレジに持っていくとコクミンドラッグの店員さんに「あ、ちんちんのひとだ」と思われることでしょう。だってマカってそういうものだから。バックヤードでもバカにされているにちがいない。いや、マカにされているにちがいない。

とはいえ、それはべつにいいのです。
それよりも、亜鉛&マカのサプリを摂取しだしてからですね、ちんちんがちんこを通り越してちんこ!って感じになります。解説しておきますと、びっくりするほどのちんこってことです。

いままでサプリを摂取し続けて、どういう意味があるのか身をもって知ることはありませんでしたが、はじめて目に見える効果を知れました。
ということは、ビタミンやカルシウムも認識できていないだけでなんらかの効果が出ているんだろうと思います。ちょっと嘘なんじゃないかと疑っていたので、サプリ。よかった。


09/29(金) 楢山節考0.5%

昨日は少々下品な話になってしまったし、明日はただの競馬予想を書くつもりなので、今日は良い話をしたいと思います。20年近く前の話ですが。

真夏のある日、自宅近くのコンビニで煙草を吸っていたら見知らぬおばあさんに声をかけられました。
「このあたりに霊園があるかと思うんですが」
たしかにあります、獣道のような山道を上がった先に。

話を聞いていると、おばあさんはかなりの山道であることを知らなかったらしく、しかも徒歩で行くつもりだったよう。炎天下+山道+徒歩+ばあさん=死。この式は絶対でしょう。

霊園までのバスはありません。車で向かうのが当然の場所にあるので、タクシーを呼んだほうがいい、ということも伝えたんでしょうが、おそらくそのおばあさんは携帯電話さえ持っていなかったんだと思います。
記憶が定かではないので推測になりますが、2005年くらいのおばあさんなら携帯電話を持っていないのも不自然じゃないですし、なんにせよ「タクシーを呼ぶ」って選択肢が選べなかったor選びづらかったのはまちがいない。
霊園まで、ぼくが車でおばあさんを送ったからです。炎天下+山道+車+ばあさん=生。式を変えたのです。

車だと10分もかからないし、ぼくもひまだったんでしょうし、自動車免許を取得したばかりで運転したがる時期だったんでしょうし、いろんな理由でそのような結果になったんだと思います。
霊園までおばあさんを送り、ぼくは善行を積んだことに満足しながら帰りました。

ただ、家に帰ってから気づいたのですが、歩いて行けるような場所に霊園はない。
行きは善のかたまりであるぼくが車で送ったからいいとして、帰りは?さっきの公式は不完全だったのです!
炎天下+山道+車(送りのみ)+ばあさん=?。答えはわかりません。変数がある。

変数に代入されるものによっては死に近づきます。極端に偶然が偏った場合。そういうことってたまにあります、悪いことが重なる時ってあります。
たまたま霊園にひとがいなかったり、いるにしてもばあさんがひとを見つけられなかったり、気の迷いで歩いて帰ることを決意してしまったり、そうこうしているうちに日が暮れる時間になってしまったり、山道で迷ってしまったり。
ばあさんがすべての選択肢をまちがえて運にも見放された場合、ぼくが行ったことは善行どころか姥捨です。

良い話どころか殺人のにおいさえ漂ってしまいましたが、よほど薄いところの確率を引いてなければ、良い話で終わっているはずです。でもまぁ薄いところ引いててもすぐ近くに霊園ありますから、ね。


09/30(土) スプリンターズS予想

ナムラクレア

前走はキーンランドカップ1着ですが、外が超有利のなかでの大外からの差し切りで、見た目ほど強く評価できるものではありません。
距離が向かないヴィクトリアマイルは度外視でいいですが、高松宮記念では外有利の馬場かつ差し追い込み有利の展開で勝ち馬のファストフォースを外から捉え切れずの2着。
今回は1番人気が濃厚ですが、かなり疑ってみるべき馬だと思います。そもそも中山がベストといったタイプでもないし、ナムラと冠がつく馬に名馬なし。ナムラタメゴローとかですからね、クレア以外は。
最内枠に入ったのはプラス。並び的に包まれて進路をなくしそうでもありますが。うまく捌けさえすれば、去年5着にはきているので、馬券内は充分かもしれません。

テイエムスパーダ

セントウルS勝ち馬。ただし、あの日の中山は極端に逃げ馬が強い馬場になっており、そこへノーマークで逃げられた展開がハマったことは否めません。
今回は内枠に入り、同型のジャスパークローネやモズメイメイは外枠のため、逃げられる確率は高まりましたが、楽逃げになることはありえないので、どちらにしろって感じ。こういう馬は引き出しにしまった宝くじのようなものなので。

ピクシーナイト

前走のセントウルSは8着。逃げ馬有利の馬場で出遅れたのは情状酌量の余地があるものの、どんなに高めの下駄を履かせたところで「これまでよりかはマシ」くらいの評価でしょう。
でも、それもしかたないかと思います。香港のレースでの大事故は、ぼくが馬だったら二度と走りたくなくなるほどのものです。こわい。
一昨年の本レースで優勝に導いた福永が調教で乗ってましたが、まるで社会復帰のリハビリを手伝っている保護司かのようでした。枠は良いですが、すべてがハマっても掲示板まで、社会復帰はまだ遠い。

ナランフレグ

前走のキーンランドカップは出遅れや進路取りにも問題があるものの、さすがに負けすぎています。安田記念は距離や出遅れで目をつむってよい。
高松宮記念は4着、前年のスプリンターズSでは3着と見るべきものがあり、7歳馬とはいえ完全に見限ることはできないです。
枠は内の偶数番で絶好。当日、内が伸びるか外が伸びるか、勝ちへの進路さえまちがわなければ入着も見えてきます。丸田、わかるか?

ウインマーベル

前走は調教過程に問題があったうえにスタートでも他馬と接触、スタートも決まらず参考外でいいでしょう。
今年初戦のシルクロードSや二戦目の高松宮記念も馬場や進路が厳しく、着順ほど能力が衰えているわけではないはず。実際、京王杯SCでは外差し有利のなかで勝ち馬と0.1差。前走や春の惨敗の結果をそのまま能力と結びつけるべきではない馬だと思います。
昨年の2着馬でもあることから中山は向くはず。枠も良いところです。ただ馬場が重くなると、アレですね。アレですわ。

ママコチャ

今回もっとも買いたくないタイプ。
前走の北九州記念は初の1200で実質トップハンデで2着。短距離戦線での目処はついたといえる。だけどG1での目処がついたわけではない、ぜんぜんない。
前走は道中外にまわされたロスはあるとはいえ、外差し馬場でもあったわけで相殺されたといっていい。あのレースに関しては、ハンデを考慮してもそこまで強いものではないと思います。
1200のペースでも楽に追走できたことやマイルでも勝てる体力面は中山に向きそう。しかし、これもけっきょくは1200に目処がついた以上の意味は持てません。
ただ、枠がめちゃくちゃ良い。内のテイエムスパーダと外からの逃げ先行馬たちを見ながら、インの絶好位を走れる可能性は高い。最後の直線は好きな進路を選び放題でしょう。
もっとも買いたくないけれど、買わざるを得ないかもしれません。

オールアットワンス

長期休養明けでアイビスサマーダッシュを勝利しての参戦。近走は千直が多いため、なんとも判断に困りますが、いちおうは中山芝1200での勝ち鞍はあります。ただし2歳時のものであり参考にするには頼りない。
先に書いたとおり、近走はまっすぐしか走っていないため、最後の直線以外はほぼカーブになっている中山芝1200では、まともにコーナリングができるかどうかも怪しい。まっすぐ走ればいいと思ってる可能性ある、馬ですからね、しょせんは。
真ん中あたりの枠を引けたのはラッキーですが、その程度のプラスでは厳しいでしょう。

メイケイエール

もっともレースにいてほしくないタイプ。
調教を見ましたが、相変わらず気性面に大いなる不安を感じさせる動きを披露していました。
今年は高松宮記念と安田記念に参戦してぼろ負け。ですが、意外と人気だけはする馬でもある。
ピンかパーのタイプといえば買うひともいるわけですが、ピンがあるのはG2までです。
G2までなら7-0-0-1と7勝もしており、そのうち重賞は6つという凄まじいピンですが、G1となると0-0-0-8とすべてパーです。調教もパーっぽかったし、ここもパーでしょう。

アグリ

セントウルSは2着。後方待機から上がり最速で飛んできており、いちばん強い競馬をしていました。
本番にもっとも繋がるトライアルがセントウルSではあるので、相応の評価をしなければいけないが、過去10年のスプリンターズSで上がり最速馬で勝ったのはグランアレグリアのみ。上がり2位だと5頭が勝っているので、そこまで気にすることもないかもしれないが、わりと前が残るレースで差し切れないケースはありえます。
枠は悪くはないですが、直線では外を回すか、エイシンスポッターの関係で外よりすこし中を突っ込むか。どちらにしろ内を突くのはなかなかむずかしいはずなので、当日どこが伸びるか、馬場次第。

マッドクール

前走のCBC賞は9着。調教師は「熱発かも」と怪しい言葉を吐いていました。とりあえず信じましょう。新卒社員が仮病で休もうとして、それが嘘の疑い濃厚だとしても「嘘だろ」とは言えないものです。
しかし、その前の春雷Sもさほど強いレースではなく、その前のシルクロードSも馬場を味方につけたにもかかわらず3着に負けており、あまり評価できるものではない。しょぼい実績のわりにそこそこ人気だけはするという、人柄だけで出世するような男。
枠的には、どちらにしろ逃げ馬3頭の後ろとなり、直線ではそいつらの外側に出すことになるでしょうが、後ろからの馬たちを振り切れるほどの力はない。

ジュビリーヘッド

前走のキーンランドカップは流れ込むような形で6着。馬場や展開を考えると、評価できるともできないともいえないような内容。
今年初戦のオーシャンSは直線で進路がなくなるタイミングがあり、まだ多少の評価は可能。
春雷Sも、評価を下げるほどではないが上げるほどでもない内容。
枠に関しても悪くはないが良くもない。
常にどっちつかずだなぁって感じ。中山適性と展開利でこっそり流れ込む可能性はある。

ドルチェモア

前走セントウルS13着。初の1200という同情点はあるものの追走にさえ苦労しており、最後の直線でもまったく伸びず。その前の安田記念は古馬一戦級が相手であり同情できるし、NHKマイルも馬場に泣かされたとして同情してもいいが、それにしても負けすぎですし、1200への適応も疑問。
同情をさせるためだけの出走と断言してよいでしょう。

ジャスパークローネ

CBC賞と北九州記念ともに、馬場や展開に恵まれた部分はあるとはいえ、重賞2連勝はそれなりに評価すべき点です。なにより、中山で必要とされるコーナリングのうまさがある。
ただ、3月から毎月使われており、夏がピークだった可能性は大きい。少なくとも夏前にスプリンターズSを目標にしていたということはない。
そして枠。決して良くはない。出して行くんでしょうし、テイエムスパーダを制して先頭を取るかもしれませんし、スプリンターズSは逃げ馬でも残る場合もなくはない。ただ、その好結果は過労死と引き換えかもしれません。

エイシンスポッター

セントウルSは7着。前走は最後の直線で最内を選択し伸び切れず。ただ、ほかの進路をスムーズに通っていたとしてもアグリに先着することはできなかったと思います。
上がり勝負にかけるしかない馬だが、めっちゃくちゃ前総崩れになるような展開になればくるかもしれない。しかしスプリンターズS、めっちゃくちゃ前総崩れにはなりません。
枠順的には大外ぶん回ししかないかも。しかし、それで届くほど甘い話はないと思います。

キミワクイーン

キーンランドカップ7着ですが、極端な外差しの重馬場でインをまわされ直線では最内を選択せざるを得なくなったものであり度外視余裕です。
前々走の函館スプリントSは外差しがハマったもので、あまり見るべきところはありません。
さらにその前の春雷Sは、伸びづらい内を通ってのマッドクールとタイム差なしの2着。外を気持ちよく走ったマッドクールよりも評価できます。
しかし枠。隣のモズメイメイが外から斜めに飛んでくるでしょうし、枠的にも先行するのはむずかしいでしょうから、差すのか、追い込むのか。なんにせよ外を回されることは確実であり、めちゃくちゃな外差し馬場にならない限りはきつい。

モズメイメイ

今回、最悪の枠順の馬。
前走は北九州記念10着。同型のジャスパークローネやテイエムスパーダの後手にまわってしまったり、無理に前に出していってしまったり、同情すべき点がなくはないですが、それにしても負け過ぎ伸びなさすぎです。
今回もジャスパーとテイエムが主張するでしょうし、好位から差せるほどの足もない。そのわりに人気してるのは例のロケットスタートのおかげでしょうか。

◎09アグリ
〇06ママコチャ
▲05ウインマーベル
☆01ナムラクレア
△04ナランフレグ
△10マッドクール
△11ジュビリーヘッド
△14エイシンスポッター
△15キミワクイーン

あとは当日の馬場とパドック、馬体重の増減次第で差し引きです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?