10/08-14


10/08(日) 五条のおわりは休載のはじまり

呪術廻戦の五条悟が死にました。
ぼくはスーパー銭湯の休憩室で話を追っている単行本派なのですが、SNSで四級呪霊たちが「五条が!五条が!」と、ネタバレに配慮したつもりのネタバレをしていたので、ぼくもジャンプ本誌を立ち読みしました。完膚なきまでに死んでた。でも、五条が殺されるのは必然だったと思っています。

呪術廻戦を未読の方々のために、かんたんに説明しておきましょう。ストーリーに関してはwikiでも読めばいいので、漫画の雰囲気と需要を伝えます。
呪術廻戦とは、冨樫フォロワーの漫画のなかでいちばん優秀な漫画です。新宿編に入ってからは絵柄も限りなく冨樫に近づいています。特にアリ編あたりの冨樫。
呪術廻戦が売れたのは、本家冨樫が休載をしすぎて世のなかが深刻な冨樫不足に陥った結果、冨樫的な感性を求める読者たちの需要にマッチしたからです。いわゆる腐女子的な読者が多いのも共通しています。

冨樫の漫画は、少年誌で連載しているわりには年齢層がやや高めです。小学生でも楽しめるバトル要素がありつつ、中高生が読むにも耐える漫画でした。

とはいえ、そこまで大人っぽいわけでもなく、中二病的な背伸びした少年のような年齢層の高さです。そもそも冨樫が中二病的な感覚の完成系である。
そのくらいの年頃の子どもが描く漫画は、既存の漫画のモノマネばかりで読めたものではないですし、へたくそなモノマネを見た時に感じる気恥ずかしさを覚えます。

そして、中二病的感性を持ち合わせた冨樫の漫画もパクリは多い。ただ、パクリの手つきが上等すぎるので商業漫画として成功したのです。
幽遊白書の単行本で「誰も知らないところからパクればオリジナル」という、露悪的で韜晦めいたコメントをしていましたが、これは冨樫の本心です。
冨樫漫画において、相手の能力をパクるタイプの敵は重宝されます。これは冨樫の資質が如実に現れています。戸愚呂兄はいまだに生きているし、クロロは圧倒的なカリスマ性を持つし、王は能力者を食いまくることで作中最強となります。冨樫漫画における優先順位は、単体で独立して強い<他者を取り込んで強い、なのです。

また、別の単行本コメントでは漫画制作について(特に少年漫画の制作について)、辞典風に記していました。冨樫が凡百の中二病と区別されるのは、身勝手で主観的な中二病とともに、そのような冷徹で客観的な視点が前面に出てしまう部分があるからです。

冨樫の話ばかりしていますが、これは呪術廻戦の作者である芥見下々の話をしているのと、そう変わりません。さすがに冨樫ほど洗練された手つきではないですが、万引きのプロくらいの称号は与えていいでしょう。
先に「絵柄も冨樫に近づいている」と書きましたが、しかし芥見が冨樫フォロワーとして成功したのは、そのような表面的な冨樫っぽさを真似ているからではありません。万引きのターゲットがほぼほぼ冨樫に限定されており、さらに冨樫的な感性をパクることに成功したから、成功したのです。

五条は単体で独立して強いタイプです。これは冨樫的感性においては迫害されて当然であり、漫画制作においても邪魔な存在です。
主人公たちがピンチに陥っても、けっきょく「作中最強の五条が出れば解決するじゃん」と思ってしまう。なので、なるべく五条を出さないための言い訳をする必要がある。主人公たちの教育係だからとか、活躍させるのは過去編にするとか、渋谷で封印されるとか。
よくよく考えれば、五条はその強さのわりに、ろくな実績がないのです。

五条は冨樫的感性においても、漫画制作においても邪魔なのです。ただ、芥見が冨樫完全体になりきれなかったのは、作中最強の五条に単体での強さとカリスマ性を持たせ、しかも主人公たちに限りなく近い味方サイドに設定してしまったところです。会長がゴンとキルアを見守りつづけるような形になってしまった。
また、カリスマ性を持たせるための過去編で「天上天下唯我独尊!」とか言わせてましたが、冨樫はそんなこと言わない。芥見は五条への感情移入が強そうですが、冨樫はこういう「ぼくが考えた最強キャラ」にはあこがれを持ちつつ冷たさも持ちます。「天上天下唯我独尊!」はかっこよく思えるし、そう思わせようとして描いていますが、会長の「感謝の正拳突き!」はぜんぜんかっこよくないし、なんならちょっと笑わせようとしています。

五条を殺したのは、ストーリー的に邪魔という理由もありますが、これはむしろ芥見が冨樫完全体へ一歩近づいたという意味がある。そしてその意味は、恍惚と不安のふたつがある。芥見が冨樫完全体と化した時、芥見が見た夢は現実となり、呪術廻戦は休載されるからです。


10/09(月) こんなのをまじめにやってるやつがいるとは

フューチャーデザインという政策決定の手法をご存知でしょうか。かんたんに説明すると、未来人の立場から現在の問題を見て解決に役立てよう、ということらしい。

要は「相手の立場になって考えてみよう」という、幼稚園児でも知っているようなことを、人間から時間へと軸を変えて実践するわけですが、個人レベルでの啓発ならとにかく、政策決定レベルではおままごとに近いでしょう。
財務省が記者向けに、2070年の人間になったつもりで、経済やエネルギー問題をネタにやらせたらしいんですが、まず前提が成り立たないでしょう。50年後に経済やエネルギーがどうなってるかなんてわからないんですから、けっきょくのところ自分に都合のいい未来をフィルターにして、自分に都合のいい現代を見出すという話にしかなりません。

しかし、ぼくはフューチャーデザインを否定するつもりもありません。なぜならこの程度の手法、とっくにぼくは自作して活用していたからです。
政治や経済など、主語を大きくすると不確定要素が複雑に入り組んでしまい役立ちませんが、個人単位だと未来予測の精度はそれなりに高まるでしょう。

たとえば、結婚を例にとります。
いま、ぼくは「結婚しなくてもひとりで充分だ」と思っています。
が、未来のぼくがこう思っているかは甚だ怪しいものです。仮に30年後のぼくとしますが、ぼくの意思や価値観が30年も一貫するとは思えません。3日でもあやしいです。

未来のぼくは言うでしょう。

「おまえはひとりでいいと言うが、独身と結婚は対等な二者択一ではない。結婚するほうが上位互換なんだ」と。
いまのぼくは「???」と思いますが、未来のぼくは続けます。

「結婚して子どもを育て孫も生まれ、60代になったひとは、たしかにしがらみもあるしたいへんなことも多い。が、ひとりになろうと思えばなれる。でも逆はむり。絶対むり。60代から結婚して子どもも孫も…ってのは、なにをどうしようが、むり。ただただひとりで死ぬ。生きてもひとり、死んでもひとり。選択権そのものが、ない。俺にもおまえにも」と。
いまのぼくは「殴って黙らせるしかないな」と思いますが、フューチャーデザインの便利なところは、実際に未来の自分を殴ることはできないところです。どんなに厳しく煽る言葉でも、いまの自分にひたすら投げかけることができるのです。

フューチャーデザインを活用する場合、未来の自分を想定するといいのですが、甘い言葉は吐かせないほうがいいでしょう。自分で自分を甘やかすとキリがないので。


10/10(火) ミスタードーナツ盛衰史

一時は閉店しまくりだったミスドが、ふたたび開店ラッシュに入ってるそうです。
世のなかは戦争ばかりですが、じつは1970年以降の日本ではドーナツ戦争も勃発していたのです。ぼくがいろいろ調べたので、今日はドーナツ戦争の歴史を振り返ります。

まず、日本におけるミスドのフランチャイズ権を握っているのはダスキンです。なぜ清掃業者のダスキンがドーナツを売るようになったか、ご存知でしょうか。
それは、ダスキン創業者の鈴木がアメリカに行った際にドーナツを食べたらめちゃくちゃ美味くて「これみんなにも食わせたい!俺はみんなが喜ぶことをやりたいんや!」ということで、いきなりミスドのフランチャイズ権を買ってきて日本にドーナツ王国を作ったのです。清掃業なのに。

バカそうに思うでしょうか。
たしかにダスキンという名称の由来も「ダスト+雑巾」という5秒で考えたようなネーミングセンスですし、バカはバカなのかもしれませんが、でもピュアな感じもします。
ダスキンは宗教感が強そうなイメージがありますが、そもそも掃除というのは道徳と結びつけられがちですから「みんなを喜ばせたい!ドーナツで!」というピュアな動機も自然でしょう。

ミスドが日本に上陸したのは1971年。その前年にダンキンドーナツ一号店が出店しています。
長らくドーナツ界は、このふたつが牽引していたのですが、ダンキンドーナツは98年に日本から撤退します。ちなみにダンキンドーナツは吉野家がやってました。

ミスドが第一次ドーナツ戦争に勝った理由はひとつ。ダンキンドーナツが自爆したからです。
吉野家はダンキンドーナツの経営に本腰を入れず、牛丼的感覚でドーナツを売っていたため、ファストフード感がアップ&スペシャル感がダウン。その間隙を突いた…というかふつうにしてただけのミスドがひとりがちする結果に。

しかし2000年代以降、新たな敵(ドーナツ)が現れました。クリスピークリームドーナツです。これは当時、ドーナツ界の黒船と騒がれていたそうです。
さらに2015年にはコンビニがドーナツを売り出します。コンビニオリジナルコーヒーとセットで売ろうと画策、ひとびとに「コーヒーとドーナツをコンビニで買う」という習慣を植え付けようとしていました。

ピンチに陥ったミスドは考えました。8秒くらいは考えたと思います。考えた結果「100円セールをやるんや!」と相成りました。7秒かも。

この100円セールは、たしかに売れました。100円のドーナツがたくさん売れました。ミスドも喜びましたし「みんなをドーナツで喜ばせたい!」という願いも叶ったといえます。

ですが、あまりに100円セールをやりすぎたため100円セール以外の時は閑古鳥が鳴くことに。バイトたちもセール期間外に働きたがったことでしょう。
「こ、これはまずい!」ということで慌てて元値を30〜40円くらい下げたのですが、それでも100円にはならないため「ミスドは100円。セールの時にだけ買えば充分」のイメージを払拭できず、時すでに遅し。1400近く店舗数があったのに、1000店舗を割るほどの閉店ラッシュとなったのです。

クリスピークリームドーナツはまだしも、コンビニドーナツは完全に失敗したため(そもそもドーナツを日常的かつ習慣的に食うやつヤバいでしょう。カロリー的にも知能的にも)、やらなきゃやられると焦ったのはわかりますが、ミスドの自爆といってよい。ドーナツ屋は自爆しかしないのです。

いま、ミスドが復活傾向にあるのはテイクアウト需要が増えたかららしい。機を見るに敏、といえば聞こえはいいですが、たまたまコロナがあって状況が変わったからってだけでしょう。

このように、ひとは争い始めるとなにも考えられなくなるのです。


10/11(水) 今年いちばん被害がおおきいうっかり

東北新幹線の車内で謎の液体と煙が発生した事件。
結果的には、地質調査で使う硫酸の試薬がなんらかの理由で爆発したらしく、故意も悪意もないとのことで、当の地質会社?のひとも爆発した時には「大丈夫なんで!」と言ってたらしい。

ここまで信じられない「大丈夫」も、なかなかないと思います。
実際にやけどしてるひとがいたり、煙が充満していたり、気体を吸って体調不良を訴えるひとも現れているなかで、その原因を作り出した男が「いやこれ大丈夫なやつなんで!」と叫んだところで。
命の危険はないとかテロじゃないとか、そういう意味を込めての「大丈夫」だったんでしょうけど、この男自身やけどしてズボンに穴開いてたらしい。「いやこれ大丈夫なやつなんで!(満身創痍)」。

たとえば、実際になにもしてなくても恋人以外の異性と一晩過ごしてからの「なにもしてない」、本当におまんじゅうを食べていないのに口のまわりをあんこだらけにしてからの「食べていない」。
硫酸男、こういう事実と無関係に信じてもらえない状況ランキングのなかで1位だと思います。地質調査の同業に就いているひとでも信じないかも。だいたい、硫酸男の場合は被害がないわけではない。「おまんじゅうですか?食べてません!(ひとくちかじってるけど)」。

しかしまぁ、たしかに硫酸男の身になってみれば「大丈夫なやつなんで!」としか言いようがないかも。
「試薬の硫酸ですけどー…」と説明したところで、おそらくパニックは加速するでしょう。試薬ってのがあやしい。硫酸男を殴って制圧しようとするやつまででてくるかも。原因はうっかりってだけかもしれませんが、被害が大きすぎますね。原因と結果の落差も最大級かも。

今回のこの物語から得られる教訓は、事実を伝えたところで効用があるわけではない、ほかのいろんな要素も含めて考えねばならない、ということです。
硫酸男が話すとおり、命の危険はないんでしょうし、落ち着いて対応すれば特段の問題は起こらなかったのでしょうが、だからといって「それなら安心なんだ!」とはなりません。ひとはファクトだけでは動かず、それ以外のファクターも含めて判断するものということです。


10/12(木) 焼き魚も会社でしか食べない

みなさんは海藻を食べてるんでしょうか。
海藻は栄養豊富なので摂取したほうがよい、ということを耳にしてから、ぼくは増えるわかめを常備しています。会社に。

会社の食堂でうどんを食べる時にちょい足しするのです。
ちなみに、わかめうどんというメニュー自体はあります。300円。ただ、天ぷらうどんでも300円なので損してる感があるでしょう。天ぷらとわかめがおなじ価値なんてことは天地がひっくり返ってもありえないのですから。

そこで、ぼくは恥を忍んでセルフでわかめを足すことにしたのです。
よって、ぼくはきつねうどんだろうが天ぷらうどんだろうが、まわりからの冷たい視線と引き換えにわかめうどんも同時に食べることができるのです。愚民たちを尻目にミネラルも食物繊維もゲットできるのです。

ここまでの話を聞いてバカにしてるひともいるかもしれませんが、この増えるわかめシステムは追随者も現れています。ぼくが3年くらい前からOJT担当として教えていたやつも増えるわかめを足している。ぼくの増えるわかめを奪って。
「なんでこいつのミネラルまで補充してやらないとだめなんだ」とは思いますが、だからといって「いやこれ俺のわかめだから!」と断るのも大人げないし、これもまぁ教育係としての役割なんだろうと割り切っています。大人なんで。

しかし、だからといってあまりおおっぴらには吹聴しないでほしいのです。
先日、追随者でありわかめ泥棒でもあるそいつが上司との面談で、ぼくについて良いように言ってくれていたらしいのですが、話の流れで「わかめもくれるし」と言ったらしいです。ぼく、ちょっとバカにされてると思います。

それに…なんていうか、これはうまく伝わらない気がするのですが、ぼくより上のひとたちにそういうこと伝えられるのは居心地が悪いんですよね。ぼくより下の者たちならいいんですけど、見下してるので。

ちなみに家ではわかめ食べないです。お皿を洗ったりするのめんどうだし、ちっちゃいわかめの食べ残しがシンクに残って、掃除したりするのいやなので。
そんなことは会社の食堂のやつらがやればいい、やりたいやつがやればいい。

10/13(金) 大谷の活躍は子どもに夢を与えるが、藤井聡太の八冠は絶望を与える

藤井聡太が八冠を達成しました。
今日は将棋にくわしくないひとのために、将棋ウォーズ三級のぼくから説明しようと思います。ちなみに将棋ウォーズというのは日本将棋連盟が監修しているアプリで、三級というのは棋力平均のちょっと下あたり、クラスのちょっとバカなやつくらいの位置です。

▪️八冠はどのくらいすごいのか?

今回の達成でメディアは騒いでいまして、知らないひとが見れば「騒ぎすぎだ」と思うかもしれませんが、仮にすごさと騒ぐ量が比例するならば、この程度の騒ぎ方は静寂に等しい。もっと騒ぐべきでしょう。

グランドスラムという意味では、羽生善治が達成しています。ただ、羽生は半年くらいで冠をひとつ奪われ、そのあとなんだかんだあって六つも冠を取られていました。当時のタイトルは七つなので、一張羅の冠はあれど替えの冠はない、ということに。

▪️棋士は将棋だけをすべきなのか?

羽生は96年に結婚して七冠を達成しています。
将棋というのは精神面も体力面も必要なゲームです。羽生が語るには「一局を指すごとに3〜4kgくらい痩せる」らしい。

恋愛や結婚というのは、安定も不安定も同時にやってきます。
羽生の失冠が結婚のせいとは思いませんが、少なくとも恋愛によって、精神を将棋に割くリソースは減ってしまうことは確実でしょう。
羽生は趣味としてチェスもやっていました。どれだけボードゲームばっかやってるんだという話ですが、おなじ世代の森内はバックギャモンをやっていましたし、旧藤井こと藤井猛はポケモンカードをやっていました。

そして藤井聡太は、電車です。

▪️現在の藤井と全盛期の羽生ならどちらが優れているのか?

将棋というのは最新こそ最強なので(ちなみに囲碁はそういうわけでもないらしいです)、その理屈に従えば藤井のほうが優れていることになるわけですが、ぼくが思うに藤井の強みは童貞という点に尽きると思います。

上で書いたように、将棋に割くリソースは多ければ多いほど良いのです。
今回の王座戦で対局相手だった永瀬拓也は藤井のお友達であり、研究熱心な男です。どれくらい熱心かというと「将棋のプロになるにはどうすればよいか?」という質問に対して「子どもの頃から毎日10時間将棋を指し続ければよい。なぜなら俺はそうやって棋士になったからだ!」と、ふつうのひとからすれば、ほとんど答えにならない答えを堂々と言い放っていました。

藤井は乗り鉄なのでまだマシかもしれませんが、そうはいっても電車に興味がある女性などいませんから安心です。
羽生の場合、あの分厚いメガネと寝癖頭と「羽生は根暗…!」という風評被害でごまかされていましたが、そもそも彼は整った顔立ちをしています。
その点、藤井は将棋に邁進できる面構えをしている。恋愛にうつつを抜かす時間を将棋に割くことが可能なのです。

藤井によるグランドスラムの維持は、羽生の期間を大幅に更新すると思います。

▪️永瀬の5二馬とはなんだったのか?

八冠達成を決めた対局ですが、実のところ藤井は劣勢でした。というか負け確であり、相手の永瀬が大チョンボを犯したのです。それが終盤に飛び出した、5二馬という一手。

将棋ウォーズ三級であるぼくから見てもめちゃくちゃな悪手である、といえばどれほどひどいか伝わるでしょうか。永瀬はタイトルを失ったので永瀬王座から永瀬九段へとランクダウンしたのですが、5二馬を指した時の永瀬は永瀬三級でした。いや、ながせさんきゅうと表記するほうが正確かもしれないくらいバカな手でした。

いくらでも言い訳はできます。
将棋には持ち時間がありますが、それを使い果たすと一分以内に指さないと怒られるのです。怒られるというか、厳密に言えば負けということですし、厳密に言わなかったとしても負けということです。
5二馬を指した局面は一分将棋に突入していました。焦りもあったのでしょう。「AIではなく人間ならではのミス」なんて慰めの言葉も見ました。

だけど、本質的に言い訳や慰めというものが意味を持たないのが将棋の良いところであり、つらいところでもあるのです。勝ったら自分の手柄、負けたら自分のせい。ほかの誰が悪いでもなく、自分自身がすべてなのです。

最初に書いたとおり、ぼくはクラスのちょっとバカなやつって感じの棋力なわけですが、ついつい調子に乗りがちな自分の驕りを正すべく将棋をしているところがあります。負けるたびに「しょせんおまえはちょっとバカ、バーカバーカ!」と自分自身に話しかけるのです。タクシードライバーのデニーロみたいでかっこいいでしょう。
念のため言っておきますが、これをやるとめちゃくちゃいやな気分になるのでやんないほうがいいです。

王座戦を終えてから、永瀬も鏡に映った自分に話しかけ続けていることでしょう。でも永瀬よ、元気を出せ。おなじ三級としてこれからも切磋琢磨していこう!


10/14(土) 秋華賞予想

リバティアイランドを除いた場合の勝ち馬を探すゲームとなりました。つまり2着と3着はどの馬が飛んでくるのか?とても難解です。

だからといって、それが大荒れするとも思えないメンツ。現時点で(10/14 20時)単勝100倍以上のオッズの馬は全切りです。狙いすぎて怪我して痛い目を見ることはよくある。大量の古傷がうずく。

ハーパーはオークス2着でルメールということですが、この馬は距離短縮はマイナスっぽい。さらに京都内まわりも合わなさそう。ルメールのくせにあわあわしそう。

マスクドディーヴァの前走はめちゃ強かったですが、レコード勝ちというのは、それだけ足への負担も大きいものです。鮮やかすぎて過剰に人気する点もよろしくない。

コナコーストは絶好の枠に入りました。外なら切るところでしたが、桜花賞のイメージで乗れれば馬券内に残れる可能性は高い。

紫苑S組。モリアーナの前走はたまたまでしょう。あんなのは年に一度です。むしろ前で粘りまくっていたヒップホップソウルのほうが良かった。コナコーストとおなじく前につければいいのですが、惜しむらくは外枠。コナコーストのほうが利はある。

ドゥーラの前走は古馬相手に快勝していますが斤量の恩恵もでかい。ただ、京都内まわりは合うでしょう。逆にラヴェルはぜんぜん合わなさそう。あわあわ組です。

グランベルナデットは前走度外視でいいのですが、松山の京都内まわりといえばデアリングタクトを思い出す。結果的に三冠達成しているのでいいが、三冠すべて下手くそでした。それならまだドゥアイズのほうがましかも。

◎リバティアイランド
◯ドゥーラ
▲コナコースト
☆ドゥアイズ
△グランベルナデット

30秒くらいで気が変わったので△はグランベルナデットにします。

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