08/16-22


8/16(水) 台風には負けなし

これまでに甚大な被害を経験したことがないため、台風に対しては完全に舐め切っています。当然その浅はかさによって不都合が起こったこともないので、一生このままでしょう。台風が原因で死ぬ直前には「ふ、深く考えておくべきだった…ぶくぶく(増水した川の藻屑と化す擬音)」と後悔するかもしれませんが時すでに遅し、どうせぶくぶくしてるのですから浅かろうが深かろうが無意味、浅はかなままで問題ありません。

でもアメリカで起こるハリケーンに関しては、ちゃんと恐怖を覚えています、アメリカなんて行ったことさえないにもかかわらず。じゃあ書き出しはなんやったんや。でもこれはメディアのせいでしょう。

「台風 被害」「ハリケーン 被害」で検索すると様々な画像が表示されますが、前者は地に足をつけて人間の視点による撮影、後者は空撮で鳥の視点からの撮影が多いのです。
空撮に限っても、画角に差があります。前者は見下ろすような狭い範囲を写す角度が多く、後者は地面と並行に近く、地平線まで見えるような広い角度が多い。

はっきりとした理由はわかりませんが、このことからいろんなことが推察できます。日米での取材費の違い、土地の形と都市設計、そしてどこにフォーカスをあてるのかというのも違います。これは印象に残りやすい認知パターンの種類ではないか。日本人は個人の被害に注目してから全体を想像し、アメリカ人は俯瞰して全体を把握してから個別へ意識を収斂させていくような思考パターンのほうが印象に残りやすいのかもしれません。

そしてハリケーンに恐怖を覚えるぼくは、おそらくアメリカ人なのです。メディアからのイメージとその影響が、台風よりハリケーンのほうを強く受けてしまう思考タイプなのです。どおりで浅はかだし、ピザやハンバーガーも食べてしまうし、街中で黒人を見かけたら「売人かも…」と思ってしまうわけです。
結果、今回の台風直撃でも特に被害はなかったので、このアメリカンな思考は温存されます。bukubuku...となるまで。


8/17(木) 蜂の巣は孫の手で落としました

すこし前の話ですが、岡山かどこかで危険な蟻が現れたという新聞記事がありました。岡山じゃなかったかもですが、どこでもいいでしょう。中国地方とかあのあたりって形式上は都道府県として区分けされていますが、いま図らずも申し上げましたとおり、社会通念上は「あのあたり」で一括りにするのが一般的です。

そのニュースからのメッセージはふたつありました。
ひとつめは「危険な蟻が出たぞー!」という土人みが溢れる情報、ふたつめは「蟻、かっぱえびせんめっちゃ食う」という幼児みが隠しきれない発見。

この蟻はとても小さくて、どこに隠れているかわからない。困っていたあのあたりの連中は、環境省からのアドバイスでかっぱえびせんをばら撒いて蟻をおびき寄せ、殺戮を繰り返したらしいです。HUNTER×HUNTERでいうところの、かっぱえびせん=白髪のやつが使ってた能力みたいなものでしょうか。

強化系のぼくは先日、ベランダにあった蜂の巣を叩き落としました。ですが蜂というのは巣を破壊したとて、しばらくのあいだはもともと巣があった場所を飛び回るのです。
「ホームレスのテントを撤去する行政のひとたちもこんな気持ちなのかなぁ」と思いながら浮浪蜂どもを眺めていた時に、先述のニュースと学研に書いてあった「ハチとアリは親戚なのだ!」という知識を思い出し、もしかしたら蜂もかっぱえびせん食べるのでは!?と考えました。

そのあと、かっぱえびせんをぼくがひとりで食べて、今日は終わりです。


8/18(金) いつものラジオ

「いつものラジオ」という書籍でラジオリスナーたちのインタビューが載っています。
そこで今日は宣伝として、ぼくの部分だけを公開します。



ーはかいしさん、今日はよろしくお願いします

「はい、よろしくお願いします。コーヒー飲みながらでいいんですね」

ーええ、もちろんです。早速ですが、ラジオを聴き始めたのはいつ頃ですか?

「中学生の時、技術の授業でラジオを作りまして、そこから聴き始めました。その時は主にオールナイトニッポンを聴くことが多かったのですが、LF-Rという…ラブフレンズ-ラジオ、でしたか?なんかそういうのが始まって自然とオールナイトニッポンから離れ、TBSラジオなんかを強引に聴いていました」

ーわかります。ラジオってぼくらみたいなクズが聴いてるのに、急にLF-Rって言われても馴染めなかったですよね

「ぼくはクズではないです。あなたなんかといっしょにしないでください」

ー強引にラジオを聴いていた、というのは?

「ぼくは関西に住んでいたのですが、TBSラジオはネットしておらず電波が届きにくいので、先ほど話しました自作のラジオを改造し、延長アンテナをつけて無理やり聴いていました。それでもノイズ混じりでしたが、FMなんかは雨の日は電波がクリアになったりしましたね。いまはradikoがあるので聴きやすくなり便利になりました」

ーいまはradikoで聴いているんですね

「いえ、ほぼ使ってないです。あれ、UIがクソでしょ。いまはたまにYouTubeで違法アップロードされたものを聴いています。ただ、radikoにはお金を払っています。しかも2倍の額を」

ー違法聴取はいいとして、2倍払っているというのは?

「2種類のアカウントで登録してあり、ひとつは聴けるのですが、もうひとつのアカウントはログインパスワードがわからずに放置していて、毎月お金だけ奪われているのです。ぼくはなにも悪くないのに」

ーそれは許せませんね。今後は私もradikoは聴かずに違法聴取を励行していきます
 ところで、いまのラジオとむかしのラジオで違いって感じますか?

「radiko以降、もしくはSNS以降といってもいいですが、リスナーの質が変わりましたよね。むかしもいまも、まるで玉音放送を聴くかのようにラジオへ過剰な没入をしてしまうリスナーはいますが、没入の種類が違うというか。どちらが良い悪いという話ではないですが」

ー具体的にはどのような違いがあるのでしょう?

「いまのほうが健康的に思えます。おなじように必死に熱を上げてても、たとえるならラジオのことを、自分を全肯定し承認してくれる恋人のように捉えている。むかしのリスナーは、おなじ没入でもラジオを痴漢のターゲットかのような捉え方をしてますよね、陰湿というか粘着質というか」

ーわかります。おじさんのリスナーっていかにも痴漢って感じの雰囲気ありますよね

「SNSの隆盛とも関係しますが、いまは『ラジオを聴いている』ということを堂々と言える印象があります。これはまわりに恋人を紹介するような感覚に近いのではないか。しかし、痴漢は公に言えないわけです。むかしのラジオでも少なからずリスナー間の交流はありましたが、それもやっぱり痴漢集団のようなクローズドなものですよね」

ーはかいしさんは、どちらに属するのでしょうか?

「がらがらがっしゃーん!(コーヒーカップを投げつける音)」

ーぐわぁっ!(インタビュアーが死ぬ音)

「愚問すぎます、ぼくが痴漢リスナーのわけないでしょう。失礼ですよ」

ーすみませんでした

「でもまぁなんとも言えないかもしれませんね。この本に関しても、公的にも世間的にも、出してなにも恥ずかしくないラジオ本といった感じで、しかしこの『ラジオ』はぼくが作った自作の『ラジオ』とおなじ性質のものなのか…よくわからないですが、なんだかんだでいまのぼくは肯定的に受け止めています。でも、ぼくのなかに潜む中学生のぼくは『焚書焚書!』とシュプレヒコールを叫んでいます」

ーやはりそうですよね。出版と同時に燃やします

「本当にしなくていいですが」

ーわかりました。はかいしさんが常識的なひとでよかったです

「ぼくはそのへんに落ちてるようなリスナーと違って、まともな社会人ですから。ぼくも多少はラジオで読まれたことはありますが、毎週送っていたのは無職の期間だった3ヶ月ほどです。働きながら毎週送ってるやつって気狂いという表現以外には言い表せない」

ーおっしゃるとおりです、まともな社会人は送らないですよ。社会のピラミッドのなかにさえ入れてもらえない、砂粒に埋もれたラクダの糞のような臭くて陰気な連中だけが送れるわけですからね

「そこまでは言わないですが、たしかにまぁ陰気なリスナーは多いですよね。クラスのすみっこにいて、中心で騒いでる人気者たちを見下して『本当はぼくのほうがおもしろいんだ、ラジオでメールを読まれてるんだから』って自分を慰めているような連中。陰気だからおもしろいんだ、っていういまだに松ちゃんの遺書的価値観を引きずってるような」

ー暗い性格のやつが全員おもしろいわけじゃないですからね

「因果関係ないですよね。たぶんそいつらって、暗いうえにつまらない、誰からも必要とされていない人間、っていう救いようのない現実があるんだけど、それを直視する度胸も改善する能力もないから、たまたまラジオで読まれた事実をもってして目を逸らし、なんとか自我を保ってる連中なんですよね。そういうやつって質は度外視で数を送るんです。そりゃそうですよね、読まれなかったら見たくない現実を見ることになるんだから、必死ですよ。気持ちがわからないわけじゃないですけど、逆にそういうリスナーを集め殺し合いさせて間引きしたいって気持ちが社会の総意としてあるのもわかります」

ーそのとおりです。でもラジオリスナーってメガネかガリガリしかいないですから、殺し合いさせても泥試合になってなかなか減らなさそうですね笑、使える武器も近距離はペンで遠距離はハガキだし…
 話を戻しますが、はかいしさんはどのようにしてネタを考えていたのですか?

「これは簡単です、相手のこと、つまりはパーソナリティのことを考えて送っていました。ラジオによってウケるネタの質って微妙に違いますから、とにかくそのラジオのパーソナリティがおもしろいと思うであろうことを考えて送るのを心がけていました」

ー立派です、いままで生きていていちばん感動した言葉です。世のなかには何の才能もないくせに「自分がおもしろいと思うことを送ればいいんだ」と勘違いしているクズリスナーたちが蔓延っていて辟易としますよ、承認欲求だけはご立派で、毎日のように2時間もあるような番組を聴いて…

「しかし、ラジオのゴールデンタイムは深夜ですが、基本単位が2時間って考えたら長すぎですよね。いまのぼくは聴いてても途中で寝ちゃいます」

ー私もはじまって10分ほどで寝てしまいますね

「あいつら、どうやって2時間も起きてるんだろ?コーヒーがぶ飲みしてんのかな」

ーさぁ、わかんないですね

「………」

ー………

「いや、さっきあなたを殺したんで、ずっとぼくのコーヒーないじゃないですか。欲してるんですけど」

ーすみません!コーヒー3つください!

「いえ、そんなにいらないです。ていうかもうギャラください」

ーわかりました。すばらしいインタビューでしたので、これがギャラの10億円です、本日はありがとうございました

「ありがとうございました」


みなさん、絶賛発売中の「いつものラジオ」、ぜひともご購入ください!


8/19(土) 171cmに縮んでた

たぬかなに言わせるまでもなく「背が高い」というのは一般的にはプラスとされています、特に男は。しかし、それはすこし乱暴な話でもあり、背の高さが利点にならないひともいます。
「背が高い」というより「バカでかい」印象が強く、モデル感やスマートさは一切ない、ひたすら馬場っぽさを感じさせてしまう悲しき巨人みたいなやつ。たぬかな、数字だけを追いかけてるうちは半人前、顔とか知能とか雰囲気とかも含め見下してこそ一人前なんや。

広島カープの現監督は新井貴浩という方なんですが、ぼくはこいつを間近で見たことがあります。元プロ野球選手ですから身長は189cmもあり、充分に背が高いわけですけど、残念ながらバカでかい馬場系の印象だけが残る。なんか全部がでかいんですよね、首とか太ももとか。
仮に喧嘩したところで微塵も勝てる気がしないですが、ウィークポイントは頭脳って感じなのでホウ酸団子をプレゼントするような絡め手を使えば瞬殺できそうでもある。

野球選手でいうと、いまは大谷翔平でしょうか。彼も大きいですけど、バカっぽい印象はないですね。少なくとも新井と違ってホウ酸団子は食べないと思います。
でもちょっと野球がんばりすぎだと思う。それはバカとは言わないですが、彼の場合は逆に野球を冒涜してるレベルの成績でして、今日も満塁ホームランを放っていましたし、観てて「やりすぎだろおまえは…」とドン引きすることがある。

ぼくなんかは大谷が登場したおかげで、過去の自分を恥じているところさえあります。
むかしはイチローを見てはしゃいでいたのに、いまとなっては「よくよく考えると、イチローってシングルヒット打つだけのいけ好かないマイペース野郎でしかないよな…」としょぼく感じてしまっています。これ、ぼくだけの思いじゃないです。イチロー本人も恥ずかしくなっています。

大谷以降、イチローの数字ってどうしてもしょぼく見えるし、本人も「俺、しょぼいのに調子に乗りすぎてたな…変なTシャツ着るのもすべってたし…」と顔を赤らめていることでしょう。
その証拠に、引退後の彼はメディアにほとんど出ません。たまに現れたと思ったら高校球児相手にマウントとってるだけ。おまえそんな…同級生にいじめられてるやつが年下の子を集めて王様気取るような真似を…情けなくないのか!

イチローの身長は180cmらしいですが、たしかに一般的には高いほうではある。そしてイチローは元々、背が高いことがプラスに働くタイプのはずでした。なのに、もはや、よもや。こういうパターンもあるということです。背が高いのに、モデルにもなれず馬場にもなれず、何者にもなれなかった哀しき男。

喧嘩すれば、大谷には負ける、新井は団子で勝てる。そしてイチローには真正面から戦っても、勝てます。


8/20(日) はてなブロックをうんこの形に配置してた

ここ最近、ぼくが悩んでいることといえば「どうやら甥っ子はバカであることが判明」というものです。甥っ子の母親であるぼくの妹に「京大進学実績めっちゃある!」みたいな個別指導塾へ行かされてました、無理やり。

甥っ子は現在小学四年生で、いままでも「こいつ、スイッチとYouTubeにしか興味を示さないな…まーたマリオメーカー2やってやがる…」と、大いなる不安を覚える機会は何度もありました。
「でもまぁ子どもはそんなもんか」と思いつつも、宿題として出されていた絵日記を読んだところ、居直り強盗でも躊躇するほど堂々とネットからパクっていました。お花の根と茎の違いもわからないやつが「AIアルゴリズムにより膨大なデータを高速で処理し…」なんて文章を書けるわけがないだろう。
あとパソコンらしき絵も描いていました、およそ高速処理とは程遠いダンボール箱みたいな絵を。距離、京大までの距離。

はっきり言いますが、ぼくは中学まで主要科目に関しては、特に勉強せずとも100点、悪くともそれに近い点数を叩き出せる生徒でした。テスト前になると慌てふためいて休み時間にもかかわらず勉強しているバカどもを軽蔑していたほどです。その後に入学した高校では秒で軽蔑される側に落ちぶれて休み時間もなくなってしまいましたが、さすがに小四でそれはまずい。「『軽蔑』…?かる…くさ…?草刈りするひとってこと?」みたいな頭脳はまずい。

ぼくも妹夫婦も悪いのですが、甥っ子の育成は本人の意志を優先しすぎていた部分がありました。
そりゃ賢者タイプの子どもならいいですけど、そうではない子どもの意思を尊重しすぎると、マリオメーカー2で他ユーザがアップしたステージに対し「かんたんすぎwwwwwww」などと煽りコメントするのが趣味の子どもになってしまうのです。

子どもの意思を大切にするというのは、一理はあるけど二も三もあるわけでもない。多少無理やりでもやるべきことはやらせないと、死ぬ。社会的に死ぬ。
でも大人もそうですね、他人の意思に従ってたほうがいい時、そこそこある。小津安二郎もなんかそういうこと言ってました。どうでもいいことは世の中に従って、映画のことは自分に従って…みたいな意味合いのことを。ちょっとよく覚えてないです。それに小津じゃないかもしれない。なので、ぼくが言ったことにします。


08/21(月) 働いている大人は高校野球を観れない

高校野球が盛り上がっています。丸刈りがどうの熱中症がこうの、女子が甲子園の土を踏めないのはなんだかんだ。こいつらは毎年のように野球に絡めて野球以外の話をしています。

ひと昔前は、一塁へのヘッドスライディングの是非なんかがトレンドで、これは「怪我のリスクがあがるし駆け抜けたほうが早い」という浅はかな合理主義者と「戦う姿勢を見せることでチームとしてのモチベーションも大切、一見非合理に見えることでもプラスに働くことはある」という非合理な精神主義者のせめぎ合いでした。
どちらにも理はありますが、この解決法は簡単です。あいだをとって「一塁を駆け抜けたあとにヘッドスライディング」すればいいだけです。

最近は野球要素も薄くなった議題で盛り上がっているので、正直考える気が起きませんが、いちおう解決策を提示しておきます。

まず丸刈りの是非ですが、丸刈りではない学校が勝ち進んでいることもあって「丸刈りかどうかは強さに関係ない、昭和の悪しき風習!」という意見が強い。
たしかに古いですし、いまの時代の趨勢には逆らえません。ただ強さに関係ないというのは、むかしからわかっていることです。見栄えの問題です。高校野球には、自分が理想とする高校球児像を押し付けるファンがいます。部活してるだけの高校生には関係ないですが、高野連やメディアからすれば興行のようなものですから、そういう客への配慮をしなければいけない。

こういうの、バカバカしいと一言で片づけることはかんたんですけど、高校野球ファンのほとんどは社会不適合者です。平日の朝から晩までテレビに張りついて、なんなら球場にまで行って野球を観ているというのは、どう考えてろくな人間ではない。
平日に働いているようなまともなひとたちが「坊主は時代遅れ」だの「昭和の精神論だ」などと言って通じる相手ではないですし、だいたいまともなひとたちは高校野球の客ではないのですから、選手はとにかく高野連やメディアはそんなまともなひとびとを相手にしてもしかたないのです。
なので「髪型は自由、ただし試合中は坊主のヅラをつける」でいいでしょう。

次は熱中症、球児の身体問題です。これもむかしから素人からプロまで喧喧囂囂です。よく言われるのが球数の問題。肩や肘は消耗品ですから、高校野球の過密日程のなかで、ひとりのエースが投げ続けるというのはなかなか大変です。球数制限などが提案されますが、しかし、身体の丈夫さというのはひとによりますし、たくさん投げても平気な選手が、ちょっと投げたら肩を痛める貧弱な選手とおなじ球数しか投げられないのも不公平です。
これは「疲れてきたと思ったら、利き手ではないほうの手で投げなければいけない」で解決とします。

熱中症。「屋外球場の甲子園でなくドーム球場で開催すればいいのでは?」「いや甲子園は球児にとって特別だ」などと議論されていました。これ太陽を潰さなければ解決しないのでは?と思いますが、ここはとんちで解決です。「ドーム球場を『甲子園』と改名する」でいいですね。

女子参加に関しては、水原勇気という前例もありますので、一概に否定するものでもない。ですが、やはり男女差の身体能力の差はありますから、ルール改正したところで女子が試合に出られなければ形骸化してしまいます。
やむをえませんので「高校球児は全員去勢しなければいけない」というルールを追加して乗り切るしかありません。女子の身体能力が追いつかないというのなら、男子を女子っぽくすることで解決です。髪を切る必要をなくしたのですから、ちんちんを切るくらいはいいでしょう。よろしくです。


08/22(火) それはそれとしてあのひとがDJしてるとこはなかった

「男はけだもの」という言い回しに触れた時、世間のひとびとが想定しているのはどのくらいの獣なのか。「男はオオカミ」という表現もありますし、中型〜大型犬くらいでしょうか。さすがにシーズーを思い浮かべるひとはいないと思いますが、もしかしたらクマを想像するひともいるのか?わかんないです。

DJがライブイベントで痴漢に遭ったという話題がありました。これはダメですね。ぼくも急におっぱいを揉まれたらいやなので。

そして話題は痴漢全般の話になり「女性は夜道も安心して歩けない」とか「触られてもしかたないような服装をしているのも問題である」という話もされていました。
史上何億回目かわからない話題ですが、女性のみなさんは安心してください。ぼくも夜道はそんなに安心して歩いていないです。
「男はけだもの」理論に則ると、知り合いの犬ならとにかく、夜道で見ず知らずの野犬と遭遇し、仮にそいつがなにもせずついてくるだけだったとしても相当な危機感を覚えます。もし襲われた場合は到底ないでしょう、勝ち目。

しかし、おっぱいにしろ夜道にしろ、これほどまでに女性へシンパシーを感じているぼくですが、服装問題に関してはファッションへのこだわりがなさすぎるせいか「自分が着たい服を着てなにが悪いのか」という話に対して、たしかに悪いとは思わないですけど、シンクロ率が低いのです。

服飾のことはよくわかりませんが、HOT LIMITの時のTM Revolutionみたいな服とかあるでしょう。どうしても着たいか?あれ。安全に配慮する服装ということでいえば、たとえばぼくが溶接の親方的な立場で、現場に子分たちがそんな格好で現れたら「レボリューションするには十年早い」ってぶち切れて終わりです。

しかしこう言ってしまうと、痴漢=溶接になってしまいますし、言うまでもなく痴漢と溶接はまったく違います。このままではまたしてもぼくに勝ち目はなくなってしまうため、やめます。なかったことにしてください。

そもそも痴漢的に露出度の高い服装って大きい意味があるんでしょうか。おとなしそうで、イヤホンをしてたり携帯電話を見ながら歩いている注意散漫な女性が痴漢のターゲットになりやすいと聞きます。HOT LIMITな格好している女子って気が強そうでしょう。

なんにせよ、いまいち露出度と痴漢被害の相関が信じられないので「そんな格好をしてるから痴漢に遭うのだ」という意見に対しては、あなたがそんな格好に興奮するというだけであり痴漢の気持ちがまったくわかっていないんだ、と思います。女性になったり溶接親方になったり痴漢になったり、いろんな立場を想像して忙しいですが、そういうことです。だいたい、冬場になったら痴漢が出なくなるわけでもないですからね、冬眠するわけじゃないんだし。

「男はけだもの」で想定される獣のなかにクマはいない、という結論になりました。
手探りで話を進めてしまい、溶接がどうのレボリューションがどうのと右往左往してしまいましたが、なんとかまとまってギリセーフ。ほっとしました。


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