10/22-31


10/22(日) 11人いる

大麻問題が発覚した時、日大のラグビー部員は「花園に向かって練習してきたのに、たったひとりのせいで連帯責任を負わされ出場停止はくやしい…納得がいかない…!」と、涙ながらに訴えていました。でも11人いたらしい。陽性反応が出る涙だったのか。

ラグビーは何人で行うスポーツなのかわかりませんが、たとえばサッカーならグラウンドに立つ全員が大麻をやっているということです。ラグビーの話をしているのでサッカーで例えられも困るでしょうが、とにかくたくさんということです。

彼らの部室も阿片窟と呼ばれていたとかいないとか。これは、いまぼくが勝手にほざいているだけで証拠はないですけど、でもきっとそう。
もしもぼくが日大生だったら陰口を叩くはずですから、現役日大生たちもこっそり言っています。表立って言うとこわいですから。筋力はあるが知能はまったくない、しかもラリってるやつらの前で、そんなことは言うべきではない。危機管理。

これ、かばっていたひとたちは赤っ恥もいいところです。
恥によって怒りは増幅されるようで「学生たちにバカにされてんじゃねえか!」と会議で怒号が飛び交っていたそうです。ぼくの読んだ記事では「怒号」とは書いてなかったですけど、ぼくの想像する会議では怒号でした、飛び交ってました。

大麻の売人側は、ナチュラルハイになるほど喜んだと思います。どんどん大麻買ってくれるし、まだまだ部員数はいるし、やめる自制心もなさそうだし。ぼくならグロスで仕入れますね。

日大の管理者側は、ダウナーに次ぐダウナーになっていることでしょう。ぼくなら燃やしますね、部室も大麻も、11人のすべてを。


10/23(月) 最後のほうは眠たくなった

先日、キングオブコントが放送されていました。
東京03の飯塚が毎年のように「今回みんなおもしろいんですけどー…」と前置きしながら審査をしていますが、今回に関しては低レベル戦だったと思います。

ぼくは誰が出るかも知らずに眺めていたのですが、最後にラブレターズが出てきた時点で「やはりか」と思いました。彼らが決勝進出できるレベルというのは、つまりそういうレベルなのです。
その証明は、ラブレターズが決勝進出した年の優勝者はロバート、シソンヌ、ライスという3組である…これだけで充分でしょう。

先の言葉も、飯塚は芸人たちへの気遣いで言っているんでしょうが、はっきり言うべきところは言うべきです。「例年に比べるとどのコンビもおもしろさは控えめなんで、結果的に接戦になってますね」と。
なんなら、つまんないやつらには「おまえらそんなネタでここに出てきたんか?ちゃんとせえや!予選のスタッフも考え直さなあかんな!」とキレてもいいでしょう。飯塚は紳助からなにを学んだのか?

それはそれとして、ジグザグジギーってコンビも出ていまして、大喜利していた政治家役のほう…宮澤。彼は、将棋の渡辺明九段と中学高校で同級生だったのです。

渡辺といえば、ハゲのなかではいちばん将棋の強いハゲとして有名ですが、クローズアップ現代の藤井聡太特集にゲスト出演して話題になっていました。
藤井を持ち上げるために、おのずと渡辺の負けばかりがクローズアップされてしまい、アナウンサーからの「今後、藤井八冠とどのように戦っていきますか?」との質問に対しても「さぁ…」と、そっけなく回答。

世間では「このハゲ、不機嫌なのか?」という意見も少なからずあったそうです。
ぼくはそこまで違和感を覚えず「不機嫌ってわけじゃないと思う、このハゲはこんなもんだろう」と考えていたのですが、ハゲがTwitterで「不機嫌でした(ピカッ」と表明。ハゲの気持ちはわからんわ。

しかしまぁ、いちおうハゲの擁護をしておくと、あれだけ「藤井様強い!ハゲ、おまえ負けすぎや、優勢な時でも凡ミスして負けてるし…えっ、また負けた?藤井様最高!おいハゲ、おまえはまず毛を生やせ、話はそれからや」みたいな番組構成にされると不機嫌になるのもしかたありません。

あと、このハゲって将棋界ではヒール扱いされてきたんですよね。初期藤井の前に立ちはだかったり、永世竜王を目指す羽生を邪魔したり、三浦に冤罪の疑いをかけたり。笑い方も悪役の笑い方が似合う、件の「さぁ…」の時の笑い方もハゲた悪代官のような笑い方をしていました。

飯塚も、つまんない時はこれくらいの対応をしてもいいはずです。嫌われることを恐れるべきではないのです。


10/24(火) 菊花賞あれこれ

京都競馬場で菊花賞を見てきました。見てきたというか、まぁ…勝負ですよね。

京都競馬場の駐車場は2000円も払わなきゃいけません。しかもG1の日ってのは駐車場から脱出することもままならないほど、帰り道が混みます。

これはむかしからそうしているのですが、ぼくはまず橋本という駅に向かいます。そして橋本駅近くのタイムズ(500円)に車を停め、そこから電車で淀へ向かう(往復440円)。
こうして1000円以上もの勝負資金を捻出するのです。

近年の競馬場は、家族連れやカップルも増えてクリーンな環境になっています。京都競馬場もリニューアルしたことで綺麗になっていますし、ポニーがいたり、子どもたちの遊具があったり、グルメフェス的な出店があったりします。

ぼくも女性と京都競馬場に行ったことは何度かありますが、いつも橋本から淀への1000円捻出ルートを使います。
京都競馬場の駐車場に停めたほうが楽ですが、それは端的にまちがいです(勝負師的に)。
こうすることにより同行している女性にも「ここまでしてお金を大事にするということは、今日は遊びじゃないんだ!勝負なんだ…!」と意識させ、鉄火場の感覚を身体の奥底にまで染み込ませすのです。

ここまで意識を勝負に向けたうえに、ひたすら感覚を研ぎ澄ませているぼくに敗北などあるのでしょうか。結果的にはあったのですが、それはいいでしょう。

肝心の菊花賞は、ぼくも含めて観客の反応がおもしろかったです。

これが出馬表と、ぼくのつけた印です。

レースが始まると4番人気のドゥレッツァ(鞍上はルメール)が大外枠から先頭に飛び出ていきました。

大外枠から先頭に行くには斜めに走ることになりますし、そもそもドゥレッツァは先頭にいくような馬ではありません。そして1000mの通過タイムは60.4。3000mのレースにしては早めです。
場内は「ルメール、やっちゃったな」って感じのどよめきが起こっていました。タイムが早めということは、ゴールまでもたない可能性大だからです。

2000mを通過したあたりでしょうか。
ドゥレッツァは先頭を譲り、2番手、3番手、4番手…と追い抜かされていきました。場内は「案の定だな、さてさて後ろの馬たちは、っと…」みたいな雰囲気でした。

後ろにはドゥレッツァより人気を集めていた、ソールオリエンス、タスティエーラ、サトノグランツがいました。
ドゥレッツァよりもこの3頭を買っているひとが多いため、競馬場全体が後ろへ意識を向くのは当然です。
前が崩れるペースに見えましたから、おのずと後ろからの馬たちが最後の直線でやってくる寸法です。

4コーナーを曲がり、タスティエーラは真ん中、ソールオリエンスは外に出して最後の直線、最後の勝負。しかし、タスティエーラの前に1頭いる。ドゥレッツァ。

「!?」でしたね、競馬場の雰囲気は。京都競馬場の上のほうに吹き出しが出てました、「!?」と。

タスティエーラやソールオリエンスの馬券を買っていたひとも、藁にもすがる気持ちで希望は持っていましたが、そんな藁をかんたんに燃やし尽くすドゥレッツァの手応えの良さ。

ゴールのあと、なんだかふしぎな気持ちになりました。吹き出しは「???」って出てました。ルメールがうますぎる、というのはそのとおりなのですが、魔法のような騎乗だったのです。
冷静になった帰り道、ぼくは気づきました。17人いた騎手のなかで、騎手の仕事をしたのはただ1人、ルメールだけだったのです。ほかはだめ!

そして、あの競馬場のあの瞬間、勝負をしていたのは2人、ルメールとぼくだけだったのです。ほかは「はてな?」となっているアホばかり!そんな日曜日でした。


10/25(水) 姑息なからあげ

Twitterで話題になっていたバーベキューとからあげの話を知っているでしょうか。

要約しますと、中学生男子を息子に持つお母さんが「こいつら食い盛りでバーベキューで肉が焼けるまで待てないから、先にからあげを食わせて腹の虫をおさめさせる」っていう話に対して「肉が焼けるまで我慢できないってどういうしつけしてるの?」とケチをつけられた、という話です。

ぼくはかなりマイルドに要約しましたが(やさしいので)、文章をどこからどう読んでもケチつけるほうが気の狂った異常者たちに見えました。
こういう異常者たちって、できるだけ日常生活では避けているため、そもそも言葉を聞くこと自体がないわけですが、やはりおそろしいですね。この異常者たちをしつける人間がいないあたり、特に。

それはそれとして、この話から言葉を奪われていたのは当の男子中学生たちです。からあげ母ちゃんと異常者たちの視点ばかりで、肝心の男子中学生たちは、肉が焼けるのを待つことさえできない野生児たちかのように扱われたまま。

そこで、ぼくが中学生の代弁をしておきます。
まず、もしぼくが中学生だとしたらからあげを渡されても喜びはしないです、そんなには。
我慢できるとかできないとかそういうことではなく「こいつ…からあげで腹を満たさせて、なるべく俺にバーベキューの肉を食べさせないようにしてやがる…!」と思うからです。

ただまぁ、からあげはからあげで食べるでしょうね。
なにを言っているかよくわかんないかもしんないですけど、中学生の時ならからあげ程度ではバーベキュー肉の摂取に支障は出ないです。「俺の胃袋をなめるな!」とも思うわけです。

あと、異常者たちとはちがう意味で「肉が焼けるまで待てない」というのもわかります。
件のバーベキューの主催側がどういう集まりなのか知りませんが、こういう時の母ちゃんたちって妙に焼きすぎるところがあります。「まだ焼けてない!」とか言って制止してくる。食中毒的な心配と、ほかの母ちゃんたちからの目もあるんでしょうが「しっかりと焼く」ことを意識しすぎるきらいがある。
待てない、というよりその過保護かつ世間体を気にする意識に中学生たちはいらだちを覚えるものです。そもそも男子中学生は親たちとバーベキューなんてしたがるのか?という疑問もある。

はっきり言って、肉なんてものは少々焼けてなくても大丈夫です。もう一度言っておきますが「俺の胃袋を舐めるな!」ですね。
たしかに、ちゃんと焼けてないのを食べてお腹を壊した経験もありますが、それも実際のところ、焼けてないからなのか?食べ過ぎたからなのか?原因は不明瞭です。不明瞭ということは、大丈夫ということです。

異常者たちは、謎のしつけマウントを取ろうとしていましたが、むしろこっちを指摘するべきだったんじゃないでしょうか。ずれています。
「おい、おまえ…子どもたちにバーベキュー肉を食わさないためにからあげやってるだろ!あと焼きすぎ」と。これこそが子どもの立場を踏まえての意見なのです。


10/26(木) 途中ちょこちょこ寝た

Netflix、解約したり契約したりしているのですが(ぼくは気づいたのです、月によっては1秒も見ていない月があることに。見たいのがたまってきたら契約して一気見するのが良策であり、賢帝のやり方であることに)、加入する時は790円の広告付きプランにします。

情報によると、1時間の再生で4分の広告が流れるのが目安とのことですが、ぼくのNetflixは4時間再生して30秒くらいしか流れません。
最初に加入した時は、あまりにも広告が流れず「まちがって高額プランに加入してしまったのでは!?」と不安になり契約プランを再確認したほどです。ちゃんと790円を契約してた。

それならそれでかまわないのですが、広告が流れるタイミングも話のキリがいいところで挿入してくるんですよね、テレビドラマのCMみたいに。
ぼくのNetflix、ちょっとぼくに優しすぎるので逆に不安になっています。不自然で過剰な優しさは下心の匂いがするものです。

ぼくはNetflixのことをマクドナルドやコカコーラの仲間のように思っています。
最高級の美味さではないが、世界中がそれなりの値段でそれなりに美味いと思うような、絶対に必要なわけではないが生活の隙間をちょっとした彩りで埋める役割を果たすもの、くらいの。

Netflixオリジナルのドラマを見ていると、おもしろく見れるんですけど、なんていうか、脳みそのおもしろみを感知する部分が刺激されるように最適化された物語を供給されている気分になる時がある。Netflixたちの思惑通りに感情をコントロールされている気分というか、サプリメント食ってる気分というか。

すべての制作物にはそのような意思は宿っているわけですが、Netflixの場合、その意思を隠そうともしていないと思います。
マクドナルドやコカコーラも「健康に良くない?そうです!ぼくたちばっか食べたらろくでもないことになりますけど、たまには飲み食いしてください!」って感じで堂々としているでしょう。そういう印象。

で、今回観たのは「ロストインスペース」というドラマです。


10/27(金) paypayで1000円もらった

TikTok Liteで小銭がもらえるとのことで毎日使っているんですが、思いのほか時事問題についての動画が多く、いまはイスラエルとパレスチナについて解説するものが多いです。
あと10年以上前の話になりますが、東日本大震災時の津波映像もよくでてくる。それにいいねしたせいで「こいつは東北好きだ!」と判断されたのか、サンドイッチマンのコントも頻出するように。

性別とか年齢とか入力しているんで「どうせおじさんだから国際情勢だろ?」というレコメンドされている可能性も大。
2000年代CD売り上げランキングの動画とかも出てきますので。こういう、知識や思い出の再確認になってしまうのがビッグデータ分析の良くないところ。だからといって、ちょっと眺めてしまうのがくやしいところですが。

2000年代CD売り上げランキングは、1位はサザンの「TSUNAMI」でした。
これは津波映像へのいいねが影響してしまったのかどうかわかりませんが、震災時はこの曲も不謹慎の煽りを受けて自粛されていた記憶があります。
しかし改めて聴いてみると「ツナミノォヨォナ、ワビィシサニィ‼︎ウォウォーウォー‼︎オビエテルーゥー!!」と歌っていたので、自粛しなくてもよかったんじゃないかと思います。桑田、悲鳴を上げながら怯えてたんで。むしろ津波のおそろしさを周知する歌です。

あとは宇多田や浜崎が多かったですね。宇多田はまだしも、浜崎に関してはピンとこない若者が多いのでは。
うさんくさい痛めのセレブおばさんみたいに思われていることでしょう。もし若者が思っていなくても、ぼくはそう思っています。

とはいえ、当時はちがいました。在りし日の浜崎がどのくらいの支持を得ていたか。
件のランキングで、10位に浜崎あゆみの「M」が入っていました。当時ぼくは中学3年生で、卒業式で歌う曲をみんなで話し合っている際、ふざけて「M」を推薦したら、女子たちが「それはそれでありだな…」という雰囲気になったのです。危うく「マァリアァッッッ!!」と合唱しながら卒業しそうになるほど、浜崎の支持率は天井知らずだったのです。

TikTokで2010年代のヒットソングも聴きましたが、いまいちピンとこなかったです。だから「おまえはイスラエルの戦争でも見てろ」と思われるのか、アルゴリズムに。

しかし、どうなんでしょう。
こないだ「YOASOBIの曲は全部おなじに聴こえる」という話題がありましたが、これは曲をちゃんと聴いていないからとか、認知の解像度が低いとかいう以上に、音楽と思い出が結びついていないからだと思います。記憶術って、覚えたい事柄を無関係の事柄と結びつけるものですから。

浜崎の曲もおなじような曲ばかりでしたし、ぼくは特別好きでもなんでもなかったですが、それでもちがいがわかるのは結びついている思い出がちがうからです。「M」は卒業式で歌いそうになった曲、「appears」は変な女子たちが教室の後ろにある黒板に歌詞を書いてうっとりしていて吐き気がした曲。

2010年代の曲がピンとこないのは、ぼくに思い出がないからです。大人になると行かないですからね、中学校。


10/28(土) 書くことない時は描く

うってかわって最新音楽情報ですが、米津玄師がアメリカからゴールド認定されたという知らせが飛び込んできました。めちゃくちゃ漠然とした知らせですが、ぼくもちょっとよくわかんないです。

でもとりあえずアメリカとかゴールドとか、そういうのは置いといて、ぼくが驚いたのはニュースに添えられていた米津の近影、前髪が垂れていなかったことです。厳密にいうと垂れてはいますが、でこ丸出しなのです。米津のまゆげと目、はじめて見ました。

ゴールド以前の米津
ゴールド以降の米津


これ、人気なくなると思います。
「さかなくんの本体は帽子」みたいなネタがあるでしょう。それに倣えば、米津の本質って前髪なわけです。歌とか曲とか、そんなのどうでもいい。
はっきり言いまして、はじめからゴールド以降の米津としてデビューしていた場合、ここまで売れなかったと思います。

米津はゴールドを手に入れることで、なにかを失ったと思います。「なにか」って思わせぶりな書き方をしましたが、要は前髪のことです。ちなみにゴールドがなにかってのは、本当によくわからないし、わかる必要もないことだろうと思っています。


10/29(日)

ちゃんとしたうどん屋さんに行ってきました。「ちゃんとした」という形容が漠然としてわかりにくいでしょうか。

説明しにくいので、逆に「ちゃんとしていないうどん屋さん」はどのようなものか?といえば、香の川製麺的なうどん屋さんのことです。
あのセルフ方式、無限に天ぷらやおにぎりをお盆に載せてしまうでしょう?もちろん、うどんも食べるんですが、ふとお盆の上を見てみればうどんが脇役に追いやられたかのような景色。こんなの、うどん屋さんを名乗れたとしても「私はちゃんとしたうどん屋さんです!」なんて恥ずかしくて名乗れません。

最初の話に戻ると、セルフうどん屋さんの反対の位置にあるうどん屋さんを思い浮かべてください。それが「ちゃんとしたうどん屋さん」です。言い換えれば「セルフではないうどん屋さん」ということです。

なんだかあんまりちゃんとしていない感も出てきますが、本当にちゃんとしたうどん屋さんです。だって有名なうどん屋さんだし。土曜日しかやってないし。
「それはむしろちゃんとしてないのでは?週休6日って、おまえ…」と思うでしょうか。
ぼくもちょっと思いましたが、考え直しました。
「6日間はうどんをこねて、残りの1日にすべてを賭けてるんだ!うどんだけにかけてるんだ!」と考え直しました。邪念を振り払いました。

どのくらいちゃんとしているか、もう決定打を放ってしまいますが、きつねうどんが1800円もしてました。バカじゃないのか。本物のきつねが入ってるならまだしも。「まだしも」で表現が正しいのかは知りませんが、ぼくが言いたいことは伝わるはずです。

ただ、フォローをしておくと野菜たちも別皿に載ってました。フォローできているかどうか心許ないですが、ぼくが頼んだにしんうどん(2300円!)にも野菜たちがくっついてきました。むしろそっちのほうがメインで、うどんはサブかのように。にしんの主張も相まって、なおのこと。

ぼく、気づいたんですけど、うどんってすべておなじなんですよね。ぼくは香の川製麺でも、今日のうどん屋さんでも、うまいなぁとは思います。それはすべてのうどんは寸分違わず同一だからです。

でも作り手たちには、ちゃんとしたうどんだと評価されたい欲望はある。だって週6でこねたりしてるし。報われない努力なんて誰もしたくありません。
しかし、この世のうどんはすべておなじ、という現実は立ちはだかる。では、どうすればいいか。「ほかの食べ物に意識を向けさせて、うどんの解像度を下げるしかないだろう!」これです。

「ちゃんとしたうどん屋さん」というのは、この世に存在しないのです。「ちゃんとしていないうどん屋さん」と「セルフのちゃんとしていないうどん屋さん」しかないのです。


10/30(月) 出たがりだから11作目もあると思う

世界でいちばん成功したハガキ職人はウディ•アレンで、オタクならクエンティン•タランティーノなわけですが、オタクのほうが引退するらしい。ハガキ職人のほうはめちゃくちゃジジイのうえにハリウッド追放されてもがんばっているにもかかわらず。

いきなりですが、ぼくはむかしタランティーノがイヤでして、彼の映画を観ても、いかにも映画オタクがはしゃいでるって感じの印象がしてイヤでした。バカみたいな表現ですけど、イヤとしか言いようがない。あとアゴもイヤ。
「パルプ•フィクション」を見たのと同時期だった思いますが、電車のなかでオタクの女が「ぼく」を一人称にしてペラペラ喋っているのを見た時もイヤな気分になりました。それとおなじです。

今回、アゴのインタビューを見ましたが、アゴは「完璧なフィルモグラフィー」を意識して監督してきたらしい。作品単体ではなく、作品群として意識していた、と。点ではなく線だ、と。
アゴに反論しておきますが、それはちがうと思います。アゴの映画は点で捉えるものです。

たしかにアゴの後期は、オタクくささが抜けてきて、ぼくもイヤじゃなくなってきました。むしろ好きになりました。
オタクが大人になっていく成長物語として考えると、庵野秀明のエヴァみたいに捉えることも可能ですが、アゴは庵野ほどダイレクトに自分語りをするわけでもない。
アゴは、どうしても作品として成立させてしまうので、まぁアゴファンたちはフィルモグラフィーとしてアゴの映画群を意識しているかもしれませんが、大多数はそんなことないでしょう。

こういうところがオタクの悪いところです。
自分が見た自分と、世のなかから見られている自分、このふたつのズレが大きめってところが。

いま、ハリウッドにおいて本当の意味でやりたい放題できるのはアゴとノーランくらいで、その域にまで到達する監督はそうそういないでしょうから、アゴ引退には「おぉん…」とは思いました。そのくらい。

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