08/23-31


08/23 長々と話したのにふつうの結論に

「マッチングアプリ症候群」という本を読みまして、実際にアプリを使用した著者が出会ったひとびとにインタビューをするというものなんですが、ろくでもない男たちが取り上げられていました。
とはいえ、著者の女性が還暦を過ぎており「それはおのずとマッチングする男に偏りが出るのでは…しかも悪いほうへ…でも書きたい内容には合っているからいいのか」って感じで、幸福なカップリングではありました。趣旨と現実の。

この本を読んで、男性が結婚する近道は思い浮かばなかったのですが、女性に関してはちょっと浮かびました。

「男性が結婚する近道は思い浮かばなかった」と言いつつも、それは新たに思い浮かばなかったというだけで、道は知っています。いちばん単純だけどむずかしい道は、社会的ステータスを上げることでしょう。
婚活のボリュームゾーンである30代〜40代、このあたりの年齢になると良くも悪くもステータスがひとまずの完成系を見るので、そうそう下がることもないが上がり目があるわけでもない。手持ちのカードで勝負するしかないですが、ポケモンカードも資産になる時代ですから、自分がコラッタだとしても前向きに壁を破っていくしかないでしょう。歯で。

「ちょっと浮かびました」の女性の近道について。
学生の頃の話ですが、彼女がいる友達が浮気していました。ぼくの目から見た限りですが、彼女に対してはまともに付き合っていましたし、浮気相手とは雑に付き合っていました。ちゃんと付き合っているから良いとか浮気しているから悪いとかの話ではなく、ひとは良い面もあれば悪い面もあるということです。
そして、女性の結婚への近道というのは、この丁寧か雑かの扱われ方の差を埋めるため、自分の雑度を取り除いていく作業。ふつう、適当に付き合っている浮気相手とは結婚しません。

どうしたら雑度は上がり、下がるのか。これは複合的な要因で変動するので、一概には言えません。そもそも個人の属性とは無関係に上下するところさえある。
たとえば、おなじひとでも出会いの形によって変わります。職場恋愛は雑度が低く、合コンは雑度が高い。スポーツバーでワールドカップのパブリックビューイングを見に行って知り合った場合は雑度が高いですし、友達に誘われてしかたなくついていった場合は低くなりますし、バーの場所は千代田区より渋谷のほうが高くなるでしょう。皇居まわりで雑な関係性を結ぼうとする男は小室圭しかいないのです。

このように、様々な要因で雑度は上下します。
個人の嗜好や性格は関係ない、とまでは断言しないですが、ヤリモクでOmiaiをインストールするひとでも、ヤリモクでお見合いの場には向かわないのです。場合によって変わります。この「場合」を、雑な場にしないようにするしかありません。

コラッタたちには、社会的ステータスを上げればいい、と書きましたが、女性が社会的ステータスや世間的評価を上げても雑さは下がりません。習い事とかやめましょう。駅前留学とか、むしろ高まる危険性がある。

個人で操作できる雑度でいえば、これも単純でむずかしいのですが、まずは自分ではなく相手を大切にすることでしょう。先に学生の頃の友達の話をしましたが、浮気しているような男でも、自分に優しくしてくれる相手を雑に扱うことはそうそうしないものです。自分を雑に扱う相手を雑に扱うのです。

それはむずかしいのか?とも思いますが、件の本を読む限り、おそらく婚活しているひとびとにとってはむずかしいのです。結婚は相手が必要なわけですが、婚活というのは相手がいないところから始めるので相手を大切にするもなにもない。となると、まずは自分のことを考えるしかないので、どうしても自分本位な方向へ傾きがちなんでしょう。

そもそも婚活というのは、相手がいて結婚という恋愛結婚とはルートが逆です。結婚という目的が先にあり、そこから相手を探すという順序である以上は「結婚したいという自分の欲望」が優先されてしまうのは構造上やむを得ないところがある。婚活に成功したひとびとは、この矛盾を解決したひとびとなのでしょう。
ついでにいうと「結婚をちらつかせる女性からのプレッシャーに男性が引く」というよくある話は、このあたりに原因があるんじゃないかと睨みつけています、コラッタのぼくは。

ちなみに「男も雑度を下げないといけないのでは?」という意見を想定した話をしておくと、たしかに女性から雑に扱われる男性というのもいますし、雑度の質が男女で違うということもありますが、ほとんどの場合、雑度が高い男性=モテない男性なのです。コラッタなのです。丁寧か雑か以前に、ボールも投げつけられないネズミの話なんてどうでもいいでしょう。


08/24(木) 名前も良くないと思う

お盆休みに一泊二日という強行軍で熊本の牛深に行きました。なにをしに行ったというわけでもないのですが、他人以下の関係性である親戚たちに囲まれたり、いまや誰も住んでいない家のまわりをうろついたり、じいさんのお墓を見るだけ見てお供えとか掃除とかはせずに去ったりしていました。
こう書いてしまうとなにもしていないかのようですが、行っている最中はとても忙しい気分でした。でも、改めて思い返すとなにもしていなかったのかも。

牛深にはレンゾ・ピアノという建築家が設計した橋があります。ポンピドゥー・センターを作った有名な建築家で、竣工された際は「なんで牛深なんかにレンゾ・ピアノが…?」と、驚きよりも不可解さを先に覚えました。
牛深といってもぴんとこないでしょうが、おそらく牛深の地に外国人が降り立ったことはないしピアノも一台としてない、そのくらい田舎なのです。人間と文化と文明、そして建築物から遠く離れた地、それが牛深。ゆめマートというスーパーはありますが、この名前も夢がない町に対する皮肉でつけているのでは、と勘繰っています。

そんな町に作る橋ということで、レンゾ・ピアノも手を抜いていたんだと思いますが、数年前にばあさんが死んだ時に行った時は改修工事していました。耐震構造皆無って感じで車で走るたびに怪しい異音がしまくっていたそうです。でもそれもしかたないですね、ぼくがレンゾ・ピアノだとしても適当に仕事します。なにせ牛深は行くの自体が大変ですし、泊まる場所も民宿しかありません。民なんかいないのに。

ただ、海水浴場にはたくさんのひとが来ており、ジェットスキーっていうんですか?違うかもしれませんが、ぐおおおおおって海の上を走るやつです。そんなんをやってるひともいました。これもまぁひとがいないからこそ、でしょう。ぼくはすこしだけ浅瀬に浸かっていました。本当になにをしに行ったのかわかんないですが、事実なのでしかたないです。

とはいえ、普段ぼくが住んでいる摩天楼と田んぼがある大都会に 比べれば涼しかったです。これは単純に、コンクリが少なく植物が多く海辺である、ついでにひとも存在しないので排気熱も微々たるものという、田舎ならではの理由でしょう。なので涼しいといっても田舎は嫌ですし、最悪のなかに潜む唯一の最良でしかない。ほかのことは不便なので、やっぱ。


08/25(金) あと最近の歯医者は麻酔打ちすぎ

歯医者の定期検診に行くと、風が出る変な筒を口のなかに入れられたり、ピッキングの際に使うような細い針で歯茎を突かれたり、シルバニアファミリーが使っているようなプチサイズのシャワーで歯石を取ってもらったりしますね。顔にタオルをかぶせられるので器具の形は想像ですけど、おそらく正解のはずです。

歯石を取ってくれるのはいいのですが、たまに歯と歯茎の境目にシルバニアファミリーがピッキングする際に使うであろう超極細の針を入れて歯石を取られる時があります。風が出る変な筒は、そのまま。
そこまでする必要あるのか、とも思っていますが必要なんでしょう、最初にそんな説明をされた気がします。ぼく、説明って聞かないんですよね、説明書も読まない。読まずに失敗した経験も当然ありますけど、ぼくは失敗を糧にしないので、今後も聞かないし読まないです。

これ、いつも微妙にふたつの恐怖を覚えています。
ひとつは、痛くはないんですけど、歯科衛生士のお姉さんを手放しで信用していないというか。そんなところに針を入れてセーフなのか?っていう。そもそも歯医者のおじさんのことも信用していないんですよね。けっきょくのところ、虫歯治療って削ったり埋めたり詰め物という名の土嚢を使ってみたり、要するに土方でしょう。口内でシルバニアファミリー土木部門が仕事しているだけ、ただそれだけです。

しかし、治療中はまったく信用していないものの、終わってみたら口のなかがすっきりしている感じになるので行かざるをえない。信用できないことと役に立つことは矛盾なく併存できるのです。
底辺職業ランキングみたいな品のない記事が話題になっていましたが、あなたたちが底辺と見下している土方たちがインフラも口内も支えているわけです。ああいうランキングは想像力が足りなさすぎると思います。

ちなみに、ふたつめの恐怖は、歯石を取られているあいだ、歯科衛生士のお姉さんの指を舐めてしまったらたいへんだ、というもので、ぼくはひたすら舌を微動だにさせない努力をしています。不随意運動というか、無意識で動いてしまうことあるでしょう。それ。


08/26(土) 慶應を判官贔屓で贔屓できるかどうかの差もある

甲子園で慶應が優勝しました。朝日新聞などは号外まで出す始末。おまえ、そんなことしてる暇あったら裁判傍聴の連載を更新しろ。さわやかな高校生の球遊びより犯罪に手を染めたクズたちの顛末を見たい、これが朝日新聞読者の総意や。

ともあれ、朝日がはしゃぐのもわかります。慶應出身者、多そうじゃないですか。完膚なきまでの偏見ですけど、慶應…というか早慶でもいいと思いますが、マスメディアへの憧れ、強そう。「メディア」って言葉の使用回数、ほかの大学生と比べて断トツだと思います。酒に酔ってハイテンションが極まった際は語尾に「〜めでぃ」ってつけてしまうはずです。

慶應の優勝は、いろいろと言われていましたが、高校野球というより大学野球の雰囲気に近かったです。選手の自主性を重んじたり、早慶戦とおなじノリでの応援だったり、見た目が垢抜けていたり、監督や主将の優勝コメントも先駆者的な自意識を強く感じさせるものでしたし、そのあたりもメディア的感覚を想起させます。今回、神奈川県代表という地域性よりも、慶應が優勝したということが前面に出されていたのも大学野球感がある。報道やSNSを見ていると、神奈川なんてこの世に存在しないかのようでした。

関西圏には早慶にあたる学校はありません。
学力的にもなく、京大を受ける生徒が関関同立を併願先に選んだりするのですが、関関同立というのは中の上くらいの位置付けで悪くないのですが、国公立と比べるとかなりの差がある。ざっくり言えば、そのあいだに入るのが早慶って感じでしょうか。

そしてなにより、早慶のあの感じ。独特のスマートさ、愛校心があり、学閥を作りたがり、ブランド化への意識が強く、学力的には一般的に上のほうだが高学歴のなかに入ると下のほうになってしまうプライドとコンプレックスが相半ばになるアイデンティティ、それに折り合いをつけるためカラオケの締めに校歌を合唱してアイデンティファイしてそうな、あの感じ。
偏見に次ぐ偏見をとめどなく放出していますが、まだ出ます。

今回、慶應の優勝に際してなぜか早稲田が祝福コメントを出していました。しかし、そこにはどうしても「なぜか」と頭につけざるを得ない不純物が混じっている。代わりに「いきなり」でも「勝手に」でも「祝福そのものよりも祝福している自分たちをアピールしたい」でもかまわないのですが、いずれにせよほかの高校が優勝した際には想像しにくいムーブです、あの感じも。

「あの感じ」を是として「かっこいい」とするか、非として「いけ好かない」とするか、これはひとによるとしか言いようがないのですが、今回の優勝で慶應を祝福するひとびとはいいとして、否定的なひとびとが現れているのは、優勝がどうとか野球の内容がこうとかではなく、あの感じを手放しで受け入れるか、中指を突き立てるかという意識の差です。

そして甲子園の本拠地である関西圏にあの感じはないうえに、高校野球ファンたちはあの感じと程遠い生活を送っています。やはり、高校野球的なイメージと大学野球的なイメージは…特に早慶戦ですが…相容れぬところがある。正反対といってもいいくらいかも。

なので慶應の監督や主将が語っていた「多様性や自主性を重んじて」とか「高校野球の常識を変えたい」とか、眩しくて直視できないほどの正論だと思いますが、正論だけで世の中が変わるのなら苦労も犯罪もありません。少なくとも、早々に変わるものではないと予想しています。

観客も、そして当の高校球児も監督も、高校野球的な枠組みのなかで生きてきて、いきなり慶應の枠組みを導入しようとしても厳しい。高校野球においては特殊なパターンにあたる枠組みをプラスに変えられたのは、彼らがその枠に適合した特殊な人間だからです。「慶應のあの感じ、かっこいい」と素直に思えてしまうひとびとであり、反対にそうは思えない、その枠に適合できないひとびともいるのです。
システムはすぐに変えられてもひとが変わるのには時間がかかります。おそらくは来年も再来年も甲子園は坊主だらけになのはまちがいない。坊主率を賭けるなら、90%以上に全額です。

8/27(日) povoに支配されそうに

1年くらい前に携帯電話のキャリアをauからpovoに変えたのですが、povoは生活を変えてしまうのです。

povoにはトッピングと言いまして、その都度データ容量を購入するシステムがあります。3GBを買えば3GBまで使えますし、20GBを買えば20GBまで使えます。
以前、ぼくはauのデータ使い放題のプランに入っていましたが、自宅ではWi-Fiを使っていますし、会社でもWi-Fiを窃盗しています。
auの電波でネットに接続するのは、それ以外の場ということになります。しかしぼくは電車通勤でもないですし、お出かけした際にスマホばっかいじることもない、飲み会でNetflixオリジナルのドラマを一気見することもありません。なので、使い放題意味なさすぎぜんぜん容量使わないじゃん、と気づいたのが1年くらい前。
これを読んだあなたが「気づくのが遅すぎるバカかよ」とぼくを罵倒するのはかんたんですが、ぼくがあなたを殴り飛ばすのもかんたんです。

本題ですが、povoにはトッピングというシステムを破壊する爆弾が仕掛けられています。それがギガ活というシステムで、これは、提携しているお店でau payを支払いに使えばデータ容量がもらえるというものです。たとえば、ローソンやすき家で500円以上を買い物なり食事なりをすれば、それぞれ300MBがもらえます。
ただ問題がひとつある。この場合、条件は「500円以上で300MB」であり、1000円の買い物すれば600MBをもらえるわけではない、ということです。すき家で1万円分の牛丼を貪り喰い続けてワンオペのバイトを過労死させたところでリターンは300MBです。

ぼくはローソンやすき家にはほとんど行かないのでいいのですが、コクミンドラッグには行くのです。そして、コクミンドラッグでも500円以上で300MBがもらえます。
そして、上記の条件がある以上、ぼくはデータ欲しさにコクミンドラッグばかり行くようになってしまいましたし、500円を越えたら精算、ちょっと時間をあけて(たいていは、おなじくデータがもらえるドトールで時間をつぶします)またコクミンドラッグで500円以上を買い物し…という店員さんに対する迷惑行為、そして「いったい俺はなにをしているんだ」と自分の迷惑行為に疑問を抱くはめになっているのです。

コクミンドラッグは生活用品がメインなのでまだいいのですが、ドトールなど本来ぼくは行きません。こないだ計算してみたところ、ドトールでの使用金額だけでauのデータ使い放題の月額に匹敵してしまう有様。
これを読んだあなたが「なんて無駄で無意味なことをしてるんだ」と言いたくなる気持ちはわかりますが、そんなあなたを無に還そうとする気持ちがぼくに芽生えてることもわかってほしいです。

けっきょく、いまはだいたいふつうに容量購入しています。特に生活はauの頃と変わってないです。


8/28(月) いまもうPV自体減っている

kindle unlimitedという、対象となる本が読み放題になるAmazonのサブスクサービス。何度か入っているのにしばらくするど再びキャンペーンに入れてしまうために今回も2ヶ月99円で登録しました。ふしぎなことですが、理由は調べたらわかるんでしょうね。調べないです。何度も「ふしぎだなぁ」と思っています。

このサブスクのラインナップは微妙に購買意欲をそそらない本が多いんですが、それでもなかには読みたい本もありますし、この微妙さを覆い隠すために客寄せパンダ的な本が用意されていたりします。売れ線で有名、一過性の流行には乗っていたけどいまや誰も手に取らず、ブックオフの在庫を圧迫しているような本。
まだCDが売れまくっていた90年代に、小室ファミリーやビーイング系の中古シングルCDがワゴンの番人としてステンレスのカゴに住まわされ二束三文で売られていましたが、そんな位置付けの本。

話が逸れますけど、番人で思い出しました。
むかし、カウントダウンTVでTRFの「寒い夜だから」のPVが流れているのを見た時に思ったんですけど、あれって海外で撮られていて…イギリスかアメリカでしょうか?わからないですけど、あのなかで集合住宅の前で踊っているシーンがあります。番人としての自覚を表しているんでしょうが、あれ、いやですね。
学校や仕事に疲れて「はやく寝たいなぁ」とか思ってたら、うさんくさい格好したやつらがマンションの前にたむろしてて、それだけでもいやなのに、あまつさえ「サァムゥイィッヨルダァカァラァァァッ!!」とか叫んでいるわけでしょう。奇怪な踊りをしながら、集団で。イギリスなら即時スコットランドヤードですし、アメリカなら黒人に厳しいタイプの人種差別系ポリスを呼びます。

しかし、あの頃のミュージシャンたちはPV撮影にしろレコーディングにしろ、よく海外へ行っていた印象があります。社会的にはバブル崩壊して景気が悪かったですけど、音楽業界はCDがバカ売れしてるせいで元気でした。
件の迷惑集団TRFは当然として、みんな金あって海外行ってハイになるせいか、変なPVも量産されていた気がします。ビーイング系も、曲名は忘れましたがB'zが海外のなにもないほぼ砂漠みたいな荒野に立たされてふたりぼっちで歌ってるのとかあったはずです。B'zじゃないかもしれないですが、そもそもほかのやつらもこの手の「いまのおまえたちの状況は歌ってる場合ではない系」のPVを量産していました。もっとちゃんとするべき。

kindle unlimitedで去年の「この漫画を読め」で1位に選ばれていた、いしいひさいちの「ROCA」って漫画を読んで感動した話をしたかったのに、小室ファミリーとビーイングのせいで叶いませんでした。ラストの数ページがよかったです。
ちなみに、この漫画にワゴン感はないです。自主出版だったらしいのでAmazonの資本力に飲まれてラインナップに入れられたんだと思います。


8/29(火) 今日は詩のよう!

こないだ花火大会に行って、まぁ花火はそんなにちゃんと見てないんですけど…ほら、花火って予兆がないでしょう。意識を花火方面に集中していれば気づくんでしょうが、まわりはひとだらけですし。
これはぼくが鈍感というわけではなく「いまなら焼きそばの行列も少なくなっているのでは!」と、花火に気を取られているバカたちより二段階は上の知略を発揮してるからです。行列、少なくなってなかったですが。

花火は気づいた時には終わっていることがほとんどですからいいとして、出店でさかなのぬいぐるみをゲットしまして、最近はそれを寝る時に顔に乗せて寝ています。ぼくは寝る時、顔にクッション的なものを乗せるのです。みなさんもだいたいそうだと思います。

さかなの種類はわからないですけど、このぬいぐるみは顔に乗せるにはうってつけの形態をしています。ジャストフィット。顔に乗せて寝るために作られているんだと思われますが、目覚めた時にはそこらへんに転がっています。活きも良い。

でもこのさかな、いまはもういません。

8/30(水) 非常事態

数年に一度、会社に置いてある非常用キットが交換される時があります。なのでぼくも、業者さんが集めた消費期限が近い非常食をかすめ取る作業を数年に一度やらなきゃいけないのですが、それが先月くらい。まだお昼に食べてます、非常食。

ぼくが窃盗しているのは強化版カロリーメイトみたいなもので、ひとつ食べるだけで一食分の栄養素を無駄なく摂れるエネルギーブロックです。でも、めっちゃぽろぽろ落ちる。一食分が間食分になるくらい落ちる。

さすがに我がパーソナルスペースが汚れるのはいやなので多目的トイレで食っているわけですが、風の噂によると清掃の方から「最近、あのトイレに粉末状のなにかがたくさん落ちている」という報告があがっているらしい。
あくまでも風の噂であり、犯人が特定されているわけではないので、もちろんぼくは知らんぷりです。
「す、すみません…」という天使の気持ちと「それを掃除するんがおまえらの仕事ちゃうんけ!」という悪魔の気持ちがせめぎ合っていますが、それはそれとして今後はどこで食えばいいのか。

エネルギーブロックは栄養を与えてくれるかわりに、口のなかの水分をすべて吸収します。なんにでも犠牲はつきものということです。
いま、とても暑いです。こんなの8月の炎天下で食べてると、むしろエネルギーなくなるのでは。


8/31(木) 坂本の意思はぼくが継ぎます

神宮外苑の木を切る話、あるでしょう。坂本龍一が反対して、志半ばで木の根元に埋められることになってしまったやつ。人柱のやつ。

東京へ行った際に思うのは、坂道が多いですね。ちょっと異様なほどに坂道が多く、あんなのタモリ以外は喜ばないでしょう。それに道もくねくねしています。
スポーツサイクル的な自転車の問題ってありますが、少なくとも東京は自転車が走るのには向いてないと思います。あとベビーカーも向いてない気がする。ていうか日本で自転車が市民権を得られずヘイトを持たれがちなのは、マスメディアが集中している東京が自転車に向いていない都市だからという理由があるのでは、と思っているくらいです。
それにひきかえ京都の中心部など、平坦なうえに碁盤の目のような都市設計のため、とても自転車に向いています。それどころか、あまりにも自転車に向きすぎているせいで暴走サイクラーが続出、それが災いしてか自転車に規制が入っていました。バカなのか。市民権ないの、東京のせいじゃないのかも。

しかし、坂道はたしかにしんどいのですが、東京の坂道はたくさん街路樹が植えてあったり、イルミネーションで飾ったりします。
ぼくもああいうのは「きれいだなぁ」と思っていますが、あれは元を辿れば軟弱な都民たちが、身体的なつらさに耐えかねて気持ちだけでもごまかそうとした結果なのです。ダイエットコークなのです。

神宮外苑。みなさん、通ったことないでしょうから教えてあげます。いちょう並木の道がありますけど、あれそこそこ長い。でも、そんなに長さが気にならないのはいちょう並木があるからです。いちょう並木がなくなってごらんなさい、とてもじゃないが歩けたものではありません。東京で唯一の平坦でまっすぐな道なのにもかかわらず!
とはいえ神宮外苑の再開発ではいちょう並木は切らないらしいので、この話は無意味です。

しかしですね、神宮の核となる部分はなにかと考えた際、それは球場ではないし、ましてや高層マンションでもない。木なのです。神宮外苑の核は木なのです。あっこ、木がなくなったら神でも宮でも苑でもなく、ただの外ですからね。
でもまぁたまにしか行かないので、べつにどうでもいいっちゃいいんですけど、ほら、やっぱ小池って気持ち悪いでしょう。それへの反発心というか。むかし、ウラBTTBを買ったことがあるぼくにはわかりますが、坂本もおなじ思いだったのです。

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