一枚の求人チラシ

#お金について考える

首題について。

私が一枚の求人チラシを見たのは中学3年生の冬ごろである。

早くバイトがしたい。
義務教育真っ只中の私が求人チラシを見たのは、適当に高校に進学しバイトをして自分のお金で自分の好きなものや服を買いたかったからだ。
一般家庭で生活が苦しかった訳ではないが、何故か洋服を自分の意思で服を選んだり買ったりしてもらえなかった。

中学1年生の頃に新品のジーパンを買ってもらったことがある。だがそのあと服が欲しいというとその話題をもち出し、あの時買ってあげたでしょう。あんたは贅沢な女だと罵られ他の服はほとんど買ってもらえなかった。母の着なくなった服を押し付けられて要らないというと揉めることもしばしば。
高校に上がっても洋服が欲しいというとそのジーパン話は続いた。
幼少期から母のそのスタンスは変わらない。小学校高学年の時に遠足で使用したリュックは幼稚園の時に買ってもらった物を背負っていた。小学校の間、靴を母に買ってもらった記憶がない。祖父母の家に行った時ボロボロになっていることに気づいて買ってもらっていた。今でも祖父母に感謝している。

何より自分らしくいられない気がしていた。自分の考えを否定され押さえつけられている苦しさが耐えられなかった。欲しいものがあるなら自分の金で買えの一点張りの母に早く黙って欲しかったのである。

高校受験よりも、女の子として10代として楽しい事をしたい。大好きなバンドのライブに行きたい。早くバイトがしたい。大学より専門学校へ行き好きなこと勉強するか高校を卒業して働きたい、大学へ行くと卒業するのに4年かかる、早く自由になりたい。

進学校を勧める母とは喧嘩をして揉めていた。
大学へ行く価値を見出せない。言うことを聞いて自分を否定されるのは嫌だ。

そんなある日、父親にちょっと来いと言われダイニングチェアに腰かけた。
私がいつも見ていた求人チラシを差し出された。

早くバイトしたいと言うが、何かスキルがある人と何もスキルがない人では時給が200〜300円も違う。稼げる金額が変われば欲しいものを買うのに早く手に入るようになる。
これがもし社会人ならもっと開きが出る。お金ももちろんだが、資格として大卒を求めるところも多い。これからは大卒がほとんどになってくる時代だ。仕事を選ぶ自由が増やせる、だから先生も母もみんな大学へ行けと言うんだ。

そのような趣旨の話をされた。

チラシをよく見ると、当たり前のことではあるが、単純な仕事ほど時給は低く資格を有する仕事は時給が高かった。

それまで見ていた求人のチラシは自分の自由を獲得できる夢のチケットのように思えていたが、その時は現実をお金で突きつける淡々とした紙へと見方が一変した。

同じ時間働いているのに、若い頃勉強してたかどうかで貰える金額や仕事が変わる、お金について考えるきっかけは間違いなくあの時だと思う。

結果大学卒業した。大学まで出させてくれた両親には感謝している。
当時は高校進学後、相当な後悔や葛藤があったが今の自分があるのはあの時の父のおかげだと思っている。

そして成長して、自分の甘さを痛感する。好きなことをすることだけ簡単に考えていた。その先にある未来を全く考えなかったのだ。
どんな進路を選ぶとしても深く考え覚悟と責任を持つべきだと本当に思う。
今この話を振り返り自分の選択肢に責任を持つことをこの文章を書き改めて考えさせられた。

#エッセイ #コラム #昔の話 #小噺 #進路選択 #選択の自由

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