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父の鶏がゆと、スクラップブック

父が亡くなった後で、一冊のスクラップブックが出てきた。

几帳面な父は雑誌や新聞から料理の記事を切り抜いて貼り付けていた。そこには料理も多少やる父が作っていた料理がいくつもあった。雑煮、豆のスープ、味噌汁の基本。やはり汁物が多い。

そう、父はスープをこよなく愛していた。「好きだった」ではなく「愛していた」のほうに近い気がする。私のスープ好きは完全に父譲りなのだ。

料理人でもないのに築地まで足を運んで鰹節や昆布を買ってくるほどのだし好きで、晩年は自分で味噌汁のだしをとっていたし「おでんは大根でもさつま揚げでもなくて、だしを味わう料理だ」などと子供たちに言い聞かせていた。ポトフもロールキャベツもビーフシチューも「具は少なくていいから、汁をたっぷり」と、母によくせがんでいたのを覚えている。うちのシチューが汁多めでスープに近かったのは、間違いなく父のせいだった。

そんな父が作っていたお気に入り料理のひとつに「鶏がゆ」がある。

早起きの父は冬でも朝4時頃に目が覚め、活発に動き始める。犬の散歩に出かける日もあれば、読みかけの推理小説に熱中する日もあり、休日には料理をすることもあった。
鶏がゆの作り方はこうだ。家でいちばん大きな鍋に、鶏の手羽先数本か、骨付きの鶏もも肉を1本入れる。そこに米を半カップ、それから水を驚くほどたっぷり加える。「たったこれだけの米で家族5人分できるんだよ」と父が自慢していたのを私は覚えている。

これをとろ火でコトコトと2時間ほど、煮込む。

……と、まるで私も早起きして手伝っていたかのように話をしているが、これは父から聞いた話で、鍋が火にかかっているほとんどの時間、家族はまだベッドの中で熟睡中。

ごく弱い火加減で煮つづけると、米一粒ずつが花のように開いて水に溶け込み、重湯のように白濁する。鶏の手羽先は少しさわると肉が自然に骨から外れてしまいそうなほど柔らかくなった。鍋にはふたをずらしてかけてあり、寒い冬の朝、鍋から逃げた蒸気で窓ガラスにびっしりと結露がつく。

ようやく鶏がゆが出来上がった頃、家族たちは温まった部屋にゆるゆると起き出してきて朝食が父のおかゆと知って喜ぶ。

この料理は食べ方も父が指図した。人数分の卵を白身と黄身にわけ、めいめいの丼に卵黄をひとつずつ、すべりこませる。醤油少しとごま油をひとたらし、ほぐしておいた鶏肉に、白髪ねぎと針しょうがも入れる。
さあ、ようやく準備完了。みんなが食卓に着くと、父がめいめいの丼に、湯気の立つ熱々の鶏がゆをたっぷり注いでくれる。

粥をれんげで底から混ぜると、ごま油としょうがの香りが湯気と一緒に立ち上り、鼻の奥に流れ込んでくる。やわらかくてあたたかい液体が、喉から起き抜けの胃にやさしく落ちていく。それは粥というより、もはやお米のポタージュだった。

途中まで壊さないよう大事にしておいた卵の黄身をぷつっと割ると、また味が変わってなんともいえないおいしさになる。その頃は家族の誰ひとり中国旅行の経験はなかったけれど「中国の屋台みたいな食べ方だね」なんて話をした。

ひとつかみの米とちょっぴりの鶏肉、卵。
たったこれだけの素材でも、家族みんなが豊かな気持ちになる。ひとつの鍋から料理を分けあうことの、楽しさと安心感。あの心地よさが忘れられず、それを人に伝えるために、私は今スープを作っているのかもしれない。

実は、父のスクラップブックにあの鶏がゆのレシピは見つからなかった。とはいえ、シンプルな料理で味の思い出もはっきりしているので、自分で何度か再現したら、すぐに近いものができるようになった。メモに記して、父のスクラップブックの空いたページに、貼りつけておこうと思う。

中華風の鶏がゆ

材料(4人分)
米 1/2カップ
水 2リットル(10カップ)
鶏の手羽先 5~6本
(トッピング)
卵黄 4個分
しょうが 1片
長ねぎ 1/3本
醤油、ごま油 適宜

つくりかた
1.
鶏肉をボウルに入れ、熱湯を注いで色が変わったら水を切って鍋に移す。
米を加え、水を注いで火にかける。
沸騰したらアクをすくい、弱火にして2時間煮込む。

煮あがる頃、丼に卵黄1個分、醤油小さじ2、ごま油小さじ1を入れ、
しょうがとねぎを千切りにして加えておく。

かゆが煮えたら、まず鶏肉を取り出して骨からはずして丼に入れ(柔らかく箸でほぐれます)、かゆを上からたっぷり注ぐ。

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※このコラムとレシピは、2018年に企業のオウンドメディアに掲載したものを、加筆修正したものです。鶏がゆのレシピを知りたいという声があったのですが、元記事がなくなっていたため、こちらに転載します。

読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。