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企業の寿命は「原則」の重さに左右される

ベンチャー企業というのは、創業時は時代の少し先を行っている。
そして時代と企業の提案が交差するところでブレイクし、
企業が変われなければ、時代に追い越されていく。
これが企業の寿命のカラクリだ。

起業当初に起こることはすべてが例外

起業するときに起こることに原則はない。
日々新たな経験をし、その都度、その場限りの対応をする。
そうやって振り返ってみたとき、同じような「その場限りの対応」がたびたび出てくることに気付く。
すると、それは原則になる。

そして、組織においては、こういった個別対応(例外)の集まりが次々と「原則化」していき、これまであいまいだった原則と例外の境目が次第にはっきりしてくる。

効率を求め始めると例外の扱いが難しい

だんだんとビジネスが加速すると、組織も大きくなってくる。かつては、一つ一つのことを、議論したり、目配せしながら進められたことも、だんだんと議論する余裕がなくなったり、人が多くなることでその場を設けるのが難しくなったりしてくる。目配せに至っては、相手が見えない場所にいることも増えてきて、意思疎通はかなり難しくなる。

そこで、目配せも議論も必要のない仕組みが必要となる。それが原則を網羅したマニュアルである。そしてその原則は次第に勢力を大きくしていく。なぜなら、これまでは「例外」を「目配せ」や「議論」である程度調整し、対外的にそこそこ公平に対応できるよう配慮できたものの、組織が大きくなるとそれができなくなる。結果、原則がすべてで、例外は認めない方向へと動いていく。

原則が組織を支配しはじめると起こる事

原則が組織を支配し始めると、その原則を忠実に守らせる仕組みを導入し始める。個別の判断はとうぜん、益々軽くなってくる。組織の統制>個人の意見となるわけだ。

これが起こると、内向きの会議が増えてくる。一見これは価値のないように思えるものが多いが、その会議は原則を徹底させる習慣という役割を担っている。原則が支配することを組織に知らしめ、原則の統治者(いわゆる上司)を敬うべし、というセレモニーである。これらは記録をとられ、上司に提出され、殺生与奪権の根源として保管される。

ここまでいくと、個別対応はもはや反逆罪を課せられるほどの重罪となる。一人の顧客の利益や信頼よりも、組織の維持システムの正常運転が重要である、ということが次第に組織構成員にも見えるレベルになってくる。

大企業病の発病である。

原則を維持するための組織維持機構

こういった大企業病を予防するには、その発生メカニズムをさかのぼればいい。それは、つねに「例外」を認める文化を持ち続けること、といえる。
そのためには、「効率」がスポイルされる覚悟が必要である。あるいは、会議も増える可能性さえある。それは原則重視の場合、内向きである一方、例外重視であれば外向きの会議だ。

大企業においては、効率を追い求めるのになぜか非効率な内向きの会議が行われていることが多い。一見それは非効率ではあるのだけれど、それ以上に「原則」を重視することは効率が良いのだ。そして原則を維持することは、組織の治安を維持することであり、組織の治安を維持する方法の1つが非効率な会議である、ということなのかもしれない。

意味を感じさせない会議を招集することで、組織に忠誠を誓わせ、上下関係という原則を常に確認させているのだ。意味を感じさせない行事への参加を強制することの中には、昭和の時代で言うなら例えば社内運動会や、慰安旅行なども含まれるだろう。今やこれは効率の波に呑まれて消えていったようではあるけれど…。(ややこしいけど、効率と非効率は常に微妙なバランスのもとで存在している)

そして企業は寿命を迎える

人間の老化の原因は様々なことが言われている。その一つに、身体の中の毒素が、循環し、排出されずに蓄積されるから、ということを耳にしたことがある。企業においても似たような事態が発生する。

それは、その組織を構成する人間一人一人の思いが循環しきらないことだ。その思いは企業をめぐることなく、企業の所々で澱となってとどまる。じつはその中には、顧客から預かった思いや意見が含まれている。そういった、ベンチャーのころには大事にしてきた原動力が、原則運営の企業にとっては血液をドロドロにする悪の根源に見えたりするものだ。

そういったものが循環せず、滞ることで、企業は新陳代謝をとどめてしまう。そして進化は止まり、時代に追い越されていく。これが企業が寿命を迎えるメカニズム。

ボトムアップ経営が何を目指しているのか

近年言われるホラクラシー経営や、ボトムアップ経営というのは、こういった「現場の声」を澱とせず、重視していくことが肝なのではないだろうか。さらにいうなら、「原則」における運営をあるいみ放棄した経営といえるのではないかと思う。原則のウェイトを減らすことで、例外をどんどん取り込もうという意思の表れである。

つまり、企業は効率的進化の過程で獲得した「原則」重視の経営を再び捨てることが求められているのではないだろうか。原則で乗り切ることができるほど、時代の波は穏やかではない、ということなのかもしれない。


こんな本も書いてます(^^)/



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