【感想】映画『ならず者たち』原題: "Gunday"




 人は、子供の頃、いや25歳くらいまでは、神が味方してくれているように感じている。ある種の全能感がある。それが、世間に揉まれる内に、欺き欺かれて、人にも自分にも嘘を重ね、やがてそのことによって罪悪感が生まれて無邪気に神に頼れなくなり、己か他者の中に神を見つける。これが大人になることではないか。

※以下ネタバレ有り

 ビクラムとバラは、2人で1人の人間のようにして生きて来た。やがて30歳近くなり、ある誤解から仲違いして、ビクラムは愛する女性を神と崇めるようになり、バラは『神は俺に味方してくださる』と言い己の情動に委せてビクラムの大切にするものを奪うことに執念を燃やすようになった。しかし、最後には誤解が解けた時、ビクラムは幼い頃から助け合って生きて来た唯一無二の存在であるバラを救うため、伴侶との優しく穏やかな愛ある安定した生活の将来を捨て、バラはビクラムを信じなかったことを『恐ろしい失敗だ』と心底悔いて猛省し、仲直りする。警察官として法の下の秩序を守る正義感と使命感に準ずるサティヤジートとナンディタも、自らの歩んで来た職業という道を貫き、ビクラムとバラを降伏するまで命懸けで追いかける。ナンディタがビクラムとの間に育んだ愛は、警察の策謀が判明しても2人にとっては真実として残った。最後にサティヤジートがバラにかける言葉は、子供の頃罵倒され差別されながら食べる為に働いた日々の中で聞きたかった言葉だったのだろう。長じても結局純粋だった彼にかけられたその甘い言葉は、一瞬バラの胸を掴んだかに見えたが、2人だけの助け合いの人生が始まった日のような汽車の音が聞こえて、2人は銃を手放す。それは、攻撃の意思を捨てた表明だった。もうサティヤジートとナンディタを撃って逃げるつもりは無い。しかし、降伏して穏やかな生活に身を浸すことは、魂の死を意味するのだ。あの日、運命に逆らって2人の絆を選び、ビクラムを傷つけようとした上官を殺め、親代わりの男のもとを離れて旅立った日から、他の誰にも頼らず従わぬ、2人だけの人生が始まった。ずっと誰の指図も受けず互いに力を合わせて這い上がり頂点までのし上がった。2人にとっては、互いが唯一無二の信仰する神だったのだ。互いを疑った時、ならず者なりに己の魂に嘘をつかない順風満帆の人生が崩れ始めた。しかし、この失敗を経て、バラは本当の男らしさと人を許すことを知り始め、ビクラムはずっと自分が守ってやっていたと思っていたバラにずっと支えられて来たことを知った。2人とも己の弱さと愚かさを知り、己にとっての本当に信ずるべきものを理解したのだ。だから、物語の最初と最後の2人の決断のシーンにおいて、
『偉大なる神が導いてくださる あなたなしでは生きる意味がない』
という歌が流れるのだ。
歌詞には、『神は俺たちを導いてくださる』
ともあったが、最初のシーンでは、恐らくまだ罪の無い無力な子供の2人には天上の清らかな神が味方して下さっていた。だから2人は自らの生き抜く意志に加えて運を貰い、追っ手から逃れて生き延びた。最後のシーンにおける神は、ビクラムにとってはバラ、バラにとってはビクラムであり、もう大人になって罪を重ねた2人には天上の清らかな神は味方してくれるかは定かではなくなってしまった。子供の頃の全能感は無い、だが、苦く痛い恐ろしい失敗を経て遂に自らの人生をかけて見出だした互いに互いの神であるという信仰が、2人一緒にならもう何も恐れず迷わずに運命に立ち向かえるという心の強さを生み出したのだ。最後に汽車の音を聞いた時に2人の心に去来したのは、心中の決意であったのだろう。最後まで抗うのが、ならず者として生きた15年間で骨の髄まで染み付いた、最早変えられぬ魂に正直な生き方であるとわかってしまった。2人一緒に生き抜く意志がある。人を殺めて逃げることはもうしない。しかし、罪を重ねた2人には今度はもう天の神様は味方してくれないかもしれぬから運はないかもしれない。それでも、「行かねばならぬ」道なのだ。自らの魂に正直な生き方をする為に。ーいや、最期まで"生きる"為に。

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