へ音奏者への道その5

このご時世にはめずらしく2週間ほどコンサート(今年初!)やそのリハーサル、ライブなどが立て込んでしまい、前回から間が空いてしまいました。今回は1976〜7年、高校1、2年生の頃のお話。

1976年、Led Zepplinは「プレゼンス」、Jeff Beckは「ワイヤード」をリリース。かの有名なレッドブーツが1曲目のやつです。このアルバム以降、彼の方向性はワンアンドオンリーとなり、確固たる地位を築いてゆきます。私はといえば、ブリティッシュロックからジャズフュージョンへと興味が移ってしまい、クイーンなどは大人になるまで殆ど聴かない有り様。何を聴いていたかというと、いわゆるフュージョン、当時はクロスオーバーと言われてました。中でもよく聴いていたのは、ハービーハンコック。


そして日本のミュージシャンでは深町純という方がいて、そのバンドも含めファンになっていました。

文化祭などではベックのワイヤードと深町純のコピーを主に演奏してました。それとサディスティックミカバンドもやってました。日本のロックの名盤「黒船」

ボーカルが見つからず、殆どインスト曲ばかりやってました。高校の文化祭が主戦場で、たまにアマチュアフェスなどにも学校サボって出てました笑。なつかしいな〜。ミカバンドといえば忘れられないのが、僕が35歳の頃にミカさんのライブのバンマスをやったこと。ミカバンド解散後イギリスに暮らしていたミカさんが94年頃に帰国してソロアルバムをリリース、その記念ライブで私に御鉢が回ってきたのです。ミカさんはあの通り超感覚派の人ですから色々と大変でしたが、高校生の頃の憧れのロックスターとのお仕事はすべて楽しく、たった1度のライブでしたが逸話もいっぱいできました笑。その後も数年にわたり親しくさせていただき、いい思い出がいっぱいできました。今でも大好きで心から尊敬しています。お元気でいらっしゃるといいなと思うしだいです。

高校2年で中高と続けていたバスケット部を引退してからは、毎日のようにジャズ喫茶に通い詰めました。向ヶ丘遊園駅近くのハーフノートという小さな店。レコードを買う余裕がなかったため、新譜が入荷するとそれをリクエストしたり、1日中いる日もありました。キースジャレットのソロ群、ジョニミッチェルのミンガスなど、ジャズの名盤はほぼ全てここで知ったものでした。あらためて感謝しています。




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