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やってから

おはようございます。きょうも書いていきます。

以前に「信頼と依存」という記事を書いたが、やはりまだ「任せる」という表現に、僕は違和感を持っている。なんだか「放棄」のにおいがするのだ。

「ああ、それはあの人に任せてありますから」「彼に任せていたのになぁ」と言われると、途端に責任を放棄された気分になる。「任せる」とは一体、なんだろうか。

ここで山本五十六の格言をひっぱりたい。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」とは人材育成の場でも、よく使われる言葉だ。後半の「させてみせ」は、まさに「任せる」と思うのだが、前半の「やってみせ」に着目してみたい。

「任せる」という言葉を使う前には、かならず「やってから」という前置きが、入るべきではないだろうか。僕はこの、前後の文脈が気になっていたのである。

たとえば、働いている男性が「家事全般は妻に任せてあるから」と言うと、「おや?」と感じる。それはこの男性が家事をやっていなくて、「任せる」という表現を使っていることに、勘づいているからではないか。

自分がやっていたことを誰かにお願いするのと、やっていないこと、やろうとしていなかったことをお願いするのとでは、大きく異なる。

ここでは「できる」「できない」は問題にしない。それぞれに得手不得手があり、そこは許容すべきである。だが「やったか」「やってないか」や「やろうとしたか」「していないか」は、厳粛に判定すべきと考える。

「任せる」はやりたくないことから、逃げることではない。自分がやって、他にも手を広げるために、誰かにお願いをすることだ。やってもいないのに「任せる」と言っても、お互いに何を任せて任されたのか、わからないだろう。

「任せる」前には「やってから」を入れて、使いたい。

きょうも読んでくださってありがとうございました。よい一日を、おすごしください。

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ありがとうございます。よい一日を。
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吉澤 馨

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