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そこにあるから

おはようございます。きょうも書いていきます。ちょっとあとがき風です。

「小説を書きたい」というのは偽物の気持ちで、「小説で書きたい」が本物の気持ちではないか。なぜなら小説は目的ではなく、手段だからだ。

今回『おわりのデート』を書くにあたり、コラムやエッセイという選択肢は浮かばなかった。そもそもメッセージが何か自分でもわかっていない。

小説で書かなきゃ、という状態になるには幾つかパターンがあると思う。まずわかりやすいのが、心のわだかまりA型だ。(勝手に名づけた)胸にひっかかってとれない靄や、頭に焼きついて消えない映像を、なんとか昇華したい。これは小説に限らず、創作全般にいえるのではないだろうか。

次に思いつくのは、それを言っちゃあB型。(AやBに特に意味はない)それを言っちゃあB型とは、コラムとの分岐を考えるとわかりやすいのだが、なにかメッセージがあるとき、それをコラムで書くとあまりに正論で、「それを言っちゃあ、お終えよ」とか「お前が言うな」となるものである。

A型は衝動的だからさておき、B型は技術だ。正面から言っても聞き入れてもらえないときは、小説というオブラートに包めばいい。社会的にあまり強い立場でない人ほど、そのアプローチに助けられるだろう。反対に社会的強者は、小説で伝える必要性が無い。(「朝生」にでも出ればいい)

C型は思いついたらまたどこかで書くが、結局、小説を書くというのは自分の心を冒険、探検することではないか。やっぱり書いてみると、予想と全然違う方向に行ったり、思いもよらない展開や台詞が出てきたり、摩訶不思議なのだ。だから、もしかすると手段の枠からも出るかもしれない。

山登りが山に登る理由を聞かれ、「そこに山があるから」と答えたという話は有名だ。小説も同じで、別に何か目的があるわけでもなければ、特別な手段というのでもなく、ただそこにあるだけなのかもしれない。だから大層な理由はつけず、そこにあるから書く。たぶんそれだけでいいのだ。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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ありがとうございます。よい一日を。
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吉澤 馨

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