エンタメはリアリティ

おはようございます。

きょうは「リアル」と「ヴァーチャル」と「リアリティ」の関係について。

ずっと「リアル」の対義語は「ヴァーチャル」だと思っていた。だけど最近「リアル」の対義語は「リアリティ」なんだということに気がついた。

それはどういうことか。

僕たちは何か創作をするとき、「リアル」ではないキャラクターや出来事を思い浮かべようとする。ある日宇宙人が襲ってきたとか、タイムマシンを発明したとか、そういった類だ。

それらは架空や想像の出来事であり、まさに「ヴァーチャル」という表現がふさわしいと思っていたが、それでは人の心が動かないのである。人は「はい、いまから想像の話をしますよ」という前置きに、シラけてしまう。

たとえば、アイドルがそうだ。僕たちはアイドルを「つくられた存在」と認識する一方で、一人の人間として見ている。そのアイドルが度の過ぎた「ヴァーチャル」な設定を語りはじめると、一気に冷めてしまう。僕らは頭のなかで、その先にいる人間の存在を払拭することができないからだ。

また僕たちは「リアル」にも弱い。そのアイドルが文春かフライデーに熱愛をスクープされたとする。それだけで一気に夢から醒めてしまうのだ。(最近は耐性ができつつあるが…)だから「リアル」一辺倒も、求めてはいない。

そこで、気持ちのいい嘘というのがある。「私は彼氏いません」という発言が、それにあたる。嘘か本当かはわからない。もっと言えば、どっちでもいい。最近は「彼氏いました」という展開もあるが、いずれにせよ恋人の有無は重要ではない。

大切なのは「そうかもしれない」という、見ている側の期待なのだ。その「リアル」と「ヴァーチャル」の狭間にあるもの、それが「リアリティ」である。

では冒頭で述べた、宇宙人やタイムマシンはどうすればいいのか。それは「ヴァーチャル」から「リアリティ」へと近づけていくのだと、僕は考えている。そしてその近づける距離が長いほど、作品は面白くなる。

最初は「いやありえないでしょ」から始まる。だが、だんだんと「いや待てよ。もしかしたらあるかもしれない」に、心境が変わっていくのが理想だ。観客の「かもしれない」をつくること。それがエンターテイメントなのだ。

本当か嘘かは重要ではない。
本当でも嘘でも「かもしれない」はつくれない。

すべては、観る人の頭を想像で満たせるほど、気持ちがよいかだ。それを「リアリティ」と呼ぶのだということに、最近ようやく気がついた。

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吉澤 馨

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